2019年7月27日土曜日

ロバの耳通信「オリーブ」「妻が椎茸だったころ」

「オリーブ」(12年 吉永南央 文春文庫)

短編集の表題作で突然消えてしまった妻を描いた「オリーブ」が良かった。5年間連れ添った妻の家出の理由は「復讐」だったのだが、婚姻届けすら出していなかったから、妻でもなかったという不思議な話。結構な額を持ち逃げされたのだが、本当に失ったのが平凡な暮らしだったというオチはなんだか悲しくもある。先行き長くないから、お金を失うのはそう怖くもないが、カミさんが消えてしまったらと考えるとかなり、怖い。
5編の短編は普段の生活に潜んでいて、ちょっとしたきっかけで出てくる怪談みたいなものか。さらっと書かれていたらもう少し怖いのだろうが、作家が作り込んだ安直な辻褄合わせの不自然さが、怖さを消してしまっている。残念。

「妻が椎茸だったころ」(16年 中島京子 講談社文庫)

泉鏡花賞受賞作で、”ちょっと怖くて、愛おしい”と裏表紙の紹介にあった。短編集には当たり外れがある気がする。これは「ハズレ」。表題の面白さにちょっと惹かれた「妻が椎茸だったころ」も、読んだがイマイチ乗れず。作られたユーモアが不快。うん、コメディ映画がキライなのと同じ理由だ。
読んでいてつまらないとか感じだすと、つまらないことに気付く。紙が厚いのだ。190ページ弱のこの本が、一緒によんでいた270ページの文春文庫と同じ厚さ。そうか、これがこの本の硬さだったのか。文庫本のページが硬くて、ピンと立っているのはどうも、気に食わない。坊主憎けりゃ・・なのだろう。講談社文庫の活字の形や、しっかりした印刷は好きなのだが。
カミさんは気に入って、中島のほかの本も読みたいと。カミさんが借りてきたら、読んで見ることにしよう。

2019年7月23日火曜日

ロバの耳通信「ジョン・ウィック:パラベラム」「ペット・セマタリー」

「ジョン・ウィック:パラベラム」(19年 米)

暗殺のプロ、キアヌ・リーブスの「ジョン・ウィック」シリーズ(14年~)の第3作。5月に米国で公開され、10月には日本公開とのことで心待ちにしていた。
第3作は、コンチネンタル・ホテルでの殺人という掟やぶりのために、組織の殺し屋たちから狙われるが、組織トップのアラブ人と取引し指一本と引き換えに再び組織に戻るが・・と、スジは結構込み合っているから省略。第2作までは静かに暗殺が多かったのだが、今回はドンパチもカンフーシーンも多く、ずっと殺しまくり。敵の弾はあたらないし、無敵のカンフーでも連戦連勝。おいおい、殺し過ぎだよ。公開の折には、好き者が数えてくれるだろうが、100人はとっくに超えてる。ラストは第4作の含みを持たして終了。ドンパチも過ぎると飽きる。心待ちになんかするんじゃなかった、ちっ(舌打ち)。

「ペット・セマタリー」(19年 米)

スティーブン・キングの小説も映画「ペット・セメタリー」(89年 米)も憶えていて、なんだリメークかと軽い気持ちで見始めたら、これが怖いの哀しいの。

前作は気味悪さが全面にでていたのだが、新作は後半こそスプラッタ気味でゲンナリ感はあるも、軽い気持ちじゃ見れないドキドキの怖さ。母親の幼い頃の身障者の姉との葛藤やらが丁寧に描かれたり、子供たちのお面が怖かったりとスティーブン・キングがストーリーのなかでいくつも埋めておく「地雷」がこの映画でもあちこちに仕掛けられていて、怖さ百倍。オリジナルではトラックに轢かれるのは幼い息子で、生き返った息子も幼な過ぎて人形みたいだったが、新作のほうは9歳の誕生日を迎えたばかりの可愛い娘。生き返った娘はヒラヒラのドレスを着て父親の前で踊る。一層怖い。父親の娘に対する愛情が、異常なまでに強く描かれていてただのホラー映画にしていない。

配役も父親役にジェイソン・クラーク(「ターミネーター:新起動/ジェニシス」(15年)ジョン・コナー役)、妻役にエイミー・サイメッツ(色っぽいので好き)、隣のジジイ役に名優ジョン・リスゴーなど芸達者を揃え、作品に重みをもたせている。ひさしぶりに面白い映画だった。

2019年7月15日月曜日

ロバの耳通信 雨の日の4本立て「キングダム/見えざる敵」「サクラメント 死の楽園」「シャフト」 「ママ」

3連休最後の海の日は肌寒い雨。どこにも出かけられず、ネット動画で4本立ての映画の日に。最後の「ママ」はメッチャ怖かったけど、いい映画だった。

「キングダム/見えざる敵」(07年 米)原題 The Kingdom

サウジアラビアのアメリカ人居住区爆破事件をを解決したFBI捜査官の物語。なぜFBIがそんなところまで、しかもほかの省庁の反対を押し切ってまで出かけなければいけないかのワケが薄弱。映画の中では、爆破事件でふたりのFBI捜査官が死んだからだと。しかも、自動小銃まで持参し、散々ドンパチを繰り返し犯人にたどり着く。フィクションとはいえ、ちょっとね。
映画の冒頭にはサウジとアメリカの歴史が画像入りで説明される。時系列に並んでいるからアタマの整理にはなったが、だから、この映画のスジかとはゼンゼン結びつかない。派遣された4人の捜査官に紛した役者がなかなか収まっていて、映画のテンポもよく楽しめた。ラストのこの捜査の協力者のサウジ警察の大佐の遺族に語りかけるところなんて、ここだけセンチになってもね、の感。大佐役のイスラエル男優アシュラフ・バルフムの演技が光ってた。お薦め度B。

「サクラメント 死の楽園」(13年 米)原題 The Sacrament

人民寺院を率いたジム・ジョーンズによる集団自殺事件(78年 ガイアナ)をヒントにした一種のホラー。ドキュメンタリーフィルムによる撮影・インタビューという形をとっていて、カルト集団リーダー役にぴったりのジーン・ジョーンズの気味悪さや洗脳の怖さは伝わってきたものの、面白くも、さほど怖くもなく、タメになるところもなかったからお薦め度C

「シャフト」(19年 米)原題 Shaft

FBI分析官の息子(ジェシー・アッシャー)が私立探偵の父親(サミュエル・L・ジャクソン)の協力を得て、麻薬の過剰摂取で死亡したという友人の無実を晴らすというスジ。舞台はハーレム。らくがきだらけの汚い通りや風俗店とか、いまもこんなところなのだろうか。
サミュエル・L・ジャクソンのために作られた映画だから、彼だけが決まっている。ウィットやコミカル味をところどころに入れて、クライムアクションの暗さから遠ざけようとしたらしいが、ジェシー・アッシャーの大根演技ですべてオジャン。気が付いたら登場人物はほぼ黒人。ああ、そういう映画だったのね、だから日本では公開されないのか。お薦め度C

「ママ」(13年 スペイン・カナダ)原題 Mama

精神を病んで妻や同僚を殺した父親に連れ出された幼い姉妹。森の奥の誰も来ない廃屋で無理心中しようとした父親は廃屋に住んでいた”ママ”に殺さろ。父親の弟にみつかるまでの5年間”ママ”に育てられたのは幼い姉妹。”ママ”は精神病院で出産した赤ちゃんを引き離され、追いかける途中に死んでしまった女の亡霊。”ママ”は「リング」(88年 邦画)のテレビから出てきて四つ足で追いかけてくる女にそっくり。ただのホラーじゃない。「リング」の何倍も怖く、何倍も母子の愛を感じさせる映画だった。お薦め度A。

2019年7月13日土曜日

ロバの耳通信「監視者たち」「二重スパイ」

「監視者たち」(13年 韓国)

このところ面白い映画に当たっていないと不満たらたらでたまたま見つけた韓国映画。うん、このところこういうパターンが多い。韓国映画に行き着くのは韓国映画がワタシのシンパシーに合うことが多いためか。
この映画、とにかく面白い。新人女性警官の物語と、言ってしまえばそれだけなのだが、警官たちがプロジェクトを組みAIツールを駆使して犯罪者を追いつめる。韓国映画の刑事たちといえば、大部屋で悪口雑言を叫びながら出前のジャージャー麺を食うというのがワタシのイメージなのだが、この作品の若い警官たちとリーダーの親子兄妹のような親しさと格好良さにまいった。息をつかせぬ追跡シーンの連続と犯人を追いつめたときの「やったぜ」感は、涙が出るほど。浪花節の血のワタシと韓国人の血に共通のDNAを感じざるを得ない。

香港映画(「天使の眼、野獣の街」)のリメイク作品だというからそっちも探しているのだが、「監視者たち」に敵う気がしない。


「二重スパイ」(03年 韓)

2時間がずっと緊張しっぱなしで疲れた。脱北者のフリをして韓国に入り対北朝鮮防諜のスパイになった男(ハン・ソッキュ)の物語。彼を韓国スパイにした韓国防諜部門のリーダー(チョン・ホジン)との本音のわからない会話が面白い。ハン・ソッキュの顔のコイツ何考えてるんだって感じが、この二重スパイの役にぴったり。チョン・ホジンの一癖、ふた癖ある表情も、この映画では際立っている。

北の核や拉致被害者問題を考えるとき、本当は韓国と北朝鮮は裏でつながっている仲良しなんじゃないか、と疑ったりもするのだが、「シュリ」(00年)、「JSA」(01年)とかこの作品を見ていると、両国間の憎しみとかがこっちにまで伝わってくる。そういう意味ではこれら北朝鮮問題を扱った映画は、本当のところを隠すための情報操作なのかもしれない。

コ・ソヨンが北のスパイのラジオアナウンサーの役で出演していて美人女優として韓国でも人気らしいが、ちょっと暗すぎ。ラジオ放送のシーンで、意味不明だが甘い声のささやきにまいってしまった。




2019年7月12日金曜日

ロバの耳通信「いのちの姿」「望郷」

「いのちの姿」(17年 宮本輝 集英社文庫)

珠玉の随筆集の中の10ページにも満たない一編「ガラスの向こう」にドキリとするほどの衝撃を受け、同時に宮本輝の作家としての才能を感じた。淡々とした文章で、突然の死が淡々と語られた。思いは断ち切られて、その後に再び静寂が来て怖くなった。

年齢を重ね、持病を恐れ、突然の家族との別れも視野のどこかで感じながらも必死に生にしがみついている自分。その自分に向けて、宮本が呼びかけている、もうすぐだよと、静かに。

解説のなかで行定勲が映画「泥の河」(81年 邦画)について書いている。幼い頃にこの映画を見て”美しいモノクロームの中に、いかがわしい闇”を感じ、映画館の帰りの「泥の河」の単行本を求めたと。ああ、そうか、そういうことをしたのは私だけではなかったのかと。
宮本の小説の中で語られる死はいつも突然で、さりげない。風が通りすぎるように当たり前のこととして語られる。美しくも汚くもない。ただの死。ただ怖い。

「望郷」(16年 湊かなえ 文春文庫)

島に生まれたということはこういうことなのか。短編集のどれも刺さってくる苦しさを感じ、地方に生まれたワタシが頷きながら読めた。人に囚われた暮らしという意味では似ていて、自分を守ろうとすればそこで戦うか逃げるかしかない。

湊かなえは「告白」(08年 のち松たかこ主演で映画化)のトラウマがあって遠ざけていたのだが、「望郷」もやっぱり辛かったが、天秤が偏ってしまわないだけの優しさや温かみも感じた。作家のが変わったのか、ワタシが変わったのか。
誰かの解説がイケナイ。小学校の作文並みだ。解説を先に読まなくてよかった。



2019年7月7日日曜日

ロバの耳通信「オーヴァーロード」「アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲」「テスト10」

「オーヴァーロード」(18年 米)

ハリウッドの大物プロデューサーJ・J・エイブラムスの新作、今年5月公開の本作も好評ということで期待していたのだが。
プロデューサーやら製作やらよくわからない役割なのだがJ・J・エイブラムスが手掛けた「10 クローバーフィールド・レーン」(16年)、「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」(17年)、「ミッション:インポッシブル フォールアウト」(18年)の実績をワタシは買っていて、新作「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(19年)では監督・製作・脚本とすべてを仕切るときいていた、あのJ・Jの新作なのに、実につまらなかった。
ノルマンディー作戦を支援すべくドイツ軍通信施設の爆破を命じられたアメリカ軍パラシュート部隊の物語。フランス娘の案内で到着した通信施設の地下には、ナチスのゾンビ研究施設があったというスジ。戦争映画としてはいい出来なのだが、後半のゾンビたちとの戦いはグロ。アメリカではすでに公開され好評だと。作戦は成功し、ドイツ軍通信施設とナチスのゾンビ研究施設も爆破、とハッピーエンドなのだがなぜか後味が悪かった。
そりゃ、ナチスは戦争中にいろいろ悪いことしたんだろうけれども、「ナチス・オブ・ザ・デッド」(15年)とか「処刑山 -デッド・スノウ-」(07年)、「ナチス・ゾンビ/吸血機甲師団」(80年)とかやたら多いような気がする。うーん、何が不快かをうまく説明できないけれど。

「アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲」(19年 フィンランド・ドイツ・ベルギー合作)

月の裏側に潜んでいたナチスの残党が、地球を侵略すべく核戦争を仕掛けるという「アイアン・スカイ」(12年)の続編。動画サイトの口コミではかなり、上位にあったから、騙されたつもりで見た。ナチスが住んでいた月の裏側に移住した人々は月の資源の枯渇に悩み、核戦争で荒廃してしまった地球深部「ロストワールド」へ旅立つ。
本編もこの続編もネットで見た。ネット動画のいいところは、映画館と違いつまらないところは早送りできること。CGはよくできているがストーリーがメチャメチャ。おもいっきりつまらない映画だった。そう感じたワタシが本流から外れているのだろう。

「テスト10」(11年 カナダ・米)

多額の報酬につられて治験に参加することになった大学生たち。大手薬品会社の治験場に集められた老若男女の治験者は10人。研究者が目指していたのは死なないヒト。自己増殖する臓器の肝臓の抽出物は傷口をすぐに塞ぐという効果があったが、嫌悪やタブーに対する感覚をマヒさせるという副作用があった。注射をされるたびに治験者は狂暴になり、ヒトを襲ってその肉を食べるゾンビ化する。
報酬に釣られた人々がどこかの施設に集められて、心理研究や治験対象になるという映画は多い。俳優さえ集められればできる舞台劇のような映画は存外、低コストで切るのだろう。「テスト10」もそういうB級映画。前半は大学生たちの掛け合い漫才、後半はおなじみゾンビとスプラッタ。やっぱり、見るんじゃなかった。

2019年7月3日水曜日

ロバの耳通信「三十光年の星たち」「ひかりをすくう」

「三十光年の星たち」(13年 宮本輝 新潮文庫)

”これから幾人かの人を探す旅に出るので、すぐに用意をしなさい。”金貸しに運転手として雇われることになった無職の青年の旅はこうして始まった。彼女に逃げられ、親にも勘当され、下宿代も払えなくなった青年にほかの選択はなかった。
青年は金貸しに鍛えられ、多くのまわりの人に助けられながらも自身も懸命に生きる。感動の作品であるが、もはや大人になってしまった自分が、この小説のなかの多くの大人のように若い人の力になってきたか、直接助けることはなくても、手本になるようなことをしたかと考えると苦しい。毎日新聞の連載小説として反響が大きかったという。解説で作家の一志治夫が若い人に読んでほしいと書いていたが、この「三十光年の星たち」で途方に暮れていた青年を助け、導いたのは多くの大人たちである。宮本のメッセージは大人に向けて出されたものだと思っている。

「ひかりをすくう」(09年 橋本紡 光文社文庫)

パニック障害のため仕事を辞めた智子は都心を離れ、一緒に暮らすバツイチの哲ちゃんと郊外で新しい暮らしを始める。お金はどうするんだよ、世の中そんな甘くないよとか思ってしまうのだけども。智子は登校拒否の中学生の家庭教師をはじめ、子猫を飼い始め、悲しいことなんかあんまりなくて、家事の得意な哲ちゃんと仲良く暮らす。なんだか夢のような話だけど、まあ、こういう優しいのもいいかと思い、著者の橋本紡(つむぐ)は女性だとあたりをつけてwikiをチェックしたら猫好きの中年男性。ふーん、じゃあ、ちょっと違うな。なんだかね。