2016年11月27日日曜日

ロバの耳通信「長女たち」「薄暮」「ブラックボックス」

首都圏が半世紀ぶりの雪とニュースで騒いでいた日、風邪でダウン。いろんなことをするのが面倒、テレビの音もうるさい。気休めの風邪薬と読書。


「長女たち」(14年 篠田節子 新潮社)

三話からなる。カミさんにどれが面白かったかと聞いたら、糖尿病を患った母「ファーストレディー」(第三話)だと。長女に生体移植を迫る糖尿病を患ったワガママ母がワタシに似ていると。うーん、そうかもなと落ち込む。自分でもそう思いながら読んでいたから。いやいや、ワタシはワガママだけれどもそこまでの犠牲を強いたりしない・・・筈、と断定できないほど、家族に迷惑をかけている自覚と反省はある。
「ミッション」(第二話)は、未開地に現代医療を持ち込む難しさに例えをとっているが、医療漬けにして生を無理強いする現代医療そのものへの問題提起。
「家守娘」(第一話)は認知症の母との葛藤。ホラー作家らしく、どの物語も読者を心底怖がらせるが、追い詰めてしまわず、逃げ道を残してくれていてホッとした。
昔見た怪談映画では、どんなにおどろおどろしいシーンの連続で怖がらせても、ラストはお墓に手を合わせて回向するシーンが多かった気がするが、そうでもなければ(書く方も、読む方も)続けられないのではないか。


「薄暮」(09年 篠田節子 日本経済新聞社)

売れなかった郷土画家の足跡を追う画集編集者の物語の体裁をとっているが、長く重い物語の主役は嫉妬に狂って惚けてしまった画家の妻。ほかの登場人物も汚れた沼から浮かび上がって、水面に風船をつくるメタンガスのように弾けることがなく、いつまでも物語から消えない。底なし沼で遮二無二にもがいているうちに、最後はぽかっと浮かび上がって息がつけた。すべての不都合を痴呆という言葉で曖昧に片付けてしまわなかったのが良かった。
「薄暮」という題に違和感を覚えていたのだが、調べたら文庫版になった際(12年新潮文庫)に「沈黙の画布」に改題されていた。うん、すこし良くなったか。



「ブラックボックス」(13年 篠田節子 朝日新聞出版)

野菜「工場」のパートタイマーが暴露する「工場」野菜のすべて。コンビニとかで売っているパック野菜はきっと食べられなくなる。研修生と名打った外国人労働者を酷使する社会も告発しつつ、答えを出せていない。
篠田の小説にしては珍しく出口がない、救いがない。

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