2018年6月4日月曜日

ロバの耳通信「メイズ・ランナー:最後の迷宮」

「メイズ・ランナー:最後の迷宮」(18年 米)


「メイズ・ランナー」(14年)、「メイズ・ランナー: 砂漠の迷宮」(15年)と続いてきた3部作の最終作が終わった。3部作を比べてみると、初作は、突拍子もない設定にこれはどうなるんだとワクワクドキドキ、ミステリー映画の導入部のようでに手探りで楽しむ感じが良かった。当時は最先端だったと思うコンピュータ・グラフィックがめっちゃキレイ。2作はもはや最初の大きな壁(迷路)を抜け出しという最大の山場を過ぎているから、砂漠の放浪はやや退屈。3作は、伝染病の治療のために誘拐された友人の救出と新しい世界に向けての旅立ちというスジで、シリーズのなかでコレが一番面白かった。
主人公が亡くなりそうになり、まあ、結局は助かるだろうなという期待通りでドキドキしながらも安心して見られた。若者たちが仲間を引き連れて冒険の旅に出て、力を合わせてボスキャラを倒して満足感を得るというのは、昔はやったテレビゲームの「ドラゴンクエスト」(86年~)とか、チャットしながらネットの中で戦うオンライン・ゲーム例えばC.O.D(コール・オブ・デューティー)と同じ感覚か。

「メイズ・ランナー:最後の迷宮」のラストシーンは主人公が自分の血から作られた伝染病の血清を見つめる思わせぶりな印象で終わっているから、原作を飛び出した4作以降が作られるのかもしれない。

延々と続いたテレビシリーズ「ウォーキング・デッド」(10年~米)はシリーズ8で宿敵を倒し、終わったように見えるが、ヒット作の味をしめたディレクターがシリーズ9に行くのかな。惰性で見続けてきたが、裏切りの繰り返しで本当のところ辟易していたのだよワタシは。

2018年6月1日金曜日

ロバの耳通信「追憶」「思いわずらうことなく愉しく生きよ」

「追憶」(17年 邦画)

不幸な育ちの3人の幼友達が、刑事、被害者、容疑者(岡田准一、柄本佑、小栗旬)として邂逅する。青島武のオリジナル脚本だという。そうか、脚本先にありきのせいだったのか、原作のないストーリー展開のあちこちの綻びが気になった。主人公は刑事役の岡田なのだが、その心情を描きだすサブストーリーに、岡田の妻役で流産の罪悪感を引きずる長澤まさみ、岡田の母役でアルコール中毒のりりィ、幼い3人の世話をした喫茶店の女主人の安藤サクラなどなど、多くの芸達者に役を持たせたために、饒舌な脚本になったのかもしれない。ただ、監督降旗康男、撮影大村大作、音楽千住明というこれ以上ない組み合わせのおかげで、いい作品に仕上がっている。

題の「追憶」は恋愛映画「追憶」(73年 米)やバーブラ・ストライサンドの歌を思い出してしまう。なんだ甘すぎるようで、そぐわない。やはり「記憶」のほうがいいような気がする。抒情に走りすぎ「ゆきわり草」(3人が育った喫茶店の名前)にしなかったのはいいと思うが。

不幸な育ちの3人が成長して犯罪に絡むというストーリーはいかにも韓国映画にありそうで、韓国映画なら主人公に思い切りスポットを当てニヒルな辣腕刑事、幼友達は極悪犯罪人という設定か。陰湿で暗めのクライム作品にしてくれそうな気がする。もちろん、邦画のハッピーエンドはナシだ。

「追憶」の3人の子役たちの演技が良かったよかったので、この映画を見る少し前に読んでいた本の3人姉妹の物語のつまらなかったことを思い出してしまった。

「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(07年 江國香織 光文社文庫)。3人姉妹をステレオタイプに描きすぎたために、どの女性にも魅力や共感を覚えず、読み進めるうちに情景や時間の流れまでもが曖昧になり、半分も行かず投げ出してしまった。カミさんに言わせれば「女の」流行作家なんてそんなもの。男の感覚では受け入れられないのでは、と。うん、そういう十把一絡げで説明されると納得しにくいが、当たっているかもしれない。しばらくは江國を遠ざけるだろう。

人は皆違うけれど、人は皆似ている。ソレを書いてほしいと思う。

「細雪」(55年 谷崎潤一郎 新潮文庫)は4人姉妹の物語だが、こちらも性格の異なる4人がそれぞれに魅力的に描かれ、多感な学生時代によくあんな長い本を読んだものだと。最初に読んだのは「谷崎潤一郎全集」(58年 中央公論社)の函入りだった。学校のある地方都市の大きな書店は、入って右奥に全集モノの棚がありほぼ毎日そこに通い立ち読みしていた記憶があり、そのあと文庫本を持っていた記憶もあるから、谷崎がお気に入りの作家であったに違いない。カミさんに言わせると谷崎の作品は「アヤシイ」と。うん、「春琴抄」「刺青」「卍」などいわゆる耽溺モノで面白かった。だからこそ、毎日の立ち読みを続けられたのだ。

2018年5月25日金曜日

ロバの耳通信「生存者ゼロ」「クーデター」

「生存者ゼロ」(14年 安生正 宝島文庫)

第11回このミス大賞を獲ったと。文句なしに面白い。まだ5月だから、今年いちばんというのもおかしいが、まあこの1年で最も面白かった小説。読み始めたら、止まらないーエンタメはこうでなくっちゃ。いわゆるパンデミックものなのだが、ワタシ的には「アンドロメダ病原体」(76年 マイクル・クライントン ハヤカワ文庫)以来の衝撃。ジワジワとエボラが広がってくるダスティン・ホフマンの映画「アウトブレイク」(95年 米)も怖かったが、一気にヒトが血まみれになるスプラッタ病原体を描いた「生存者ゼロ」の怖さはハンパなかった。

「クーデター」(98年 楡周平 宝島文庫)

文庫版、550ページの長編を読者を引っ張り続けるのはとても大変なことなのだろうと思う。しかし、だ。前半の退屈さに途中で放り出したくなった。カルト集団とヒーローの戦いが佳境となる後半が面白いだけに、惜しい。前半と後半のストーリー展開に必然性を見いだせないのも辛い。

同じ作家のデビュー作「Cの福音」(08年 角川文庫)はスーパーヒーローの活躍が面白かったし、ベストセラーとなり超弩級の新人と騒がれた。続編の「猛禽の宴」(08年 角川文庫)も楽しめた。面白い本を書き続けるのは難しいのだろうが、この「クーデター」は失敗作だ。自衛隊組織の深掘りをしていたら、こうリアリズムから遠ざかることはなかったろうに。銃器や爆発物のディテールは文献で得られるから、いくらでも詳しく書けるだろうが、自衛隊員の気持ちまでは届かなかったらしい。

2018年5月17日木曜日

ロバの耳通信「姫椿」

「姫椿」(12年 浅田次郎 徳間文庫)

8つの短編集だがどれも珠玉。カミさんと読み合い、この作品がよかったとか、あの作品がよかったとか、こういう印象に残る短編集を読んだときは感動を共有することが多い。まあ、変わり者の似たものフーフだから好みもそうズレることはない。どの作品もよかったけれども、カミさんはオカマの物語「マダムの喉仏」、ワタシは競馬の好きな父と娘の「永遠の緑」が気に入ったと。ひとしきり感想を言い合った後、カミさんは浅田次郎をもっと読んでみようと。わかりますよ、その気持ち。ただ、浅田次郎を長く読んでいるワタシからは、いい作品が多いけれど、ハズレも多いからねと念押し。

この「姫椿」は12年版ながら図書館のスタンプは17年で新本のようで好感。表紙とタイトルでこれは面白いに違いないと。裏表紙のあらすじに目を通してさらに気持ちを高め借りだした。で、アタリ。よかった。
文庫本はこの徳間文庫版と文春文庫版があるが、表紙はこの徳間版がいい。読んだ、読まない、良かった、良くなかったの印象は本の表紙の印象と一緒に記憶にしまい込まれるので、表紙が気に入ったかどうかはとても重要。

2018年5月13日日曜日

ロバの耳通信「クライム・ヒート」「ランナウェイ/逃亡者」

今日は午後から雨。初夏のはずなのだが、寒い。一週間ほど前に引いた風邪がまだ、抜けない。こういう日は、明るく楽しい映画のほうがいいのだろうが。

「クライム・ヒート」(14年 米)

原題のThe Dropはマフィアの夜間金庫のようなもの。雇われバーテンダー役のトム・ハーディー、チンピラの情婦ノオミ・ラパス(「ミレニアム」3部作(09年 スウェーデンほか)、数年前に亡くなった悪役専門のジェームズ・ガンドルフィーニなど芸達者の配役がそろっていて、見ごたえのある映画になっている。なぜか日本では未公開らしく、字幕付きのネットやDVDで見るしかないが、ブルックリンの荒廃した通りやボロ車、ギャングに酒場など古きアメリカ満載で、アメリカン・クライム好きに勧めたい作品。

原作(ミスティック・リバー Mystic River (01)年、シャッター・アイランド Shutter Island (03年)ほか映画化された「あの」デニス・ルヘイン)がいいのもあるだろうが、トーマス・ハーディーのクールな役柄と訥々としたセリフが、深夜にお気に入りのペーパーバックを読んでいる気持ちになれた。


「ランナウェイ/逃亡者」( The Company You Keep 12年 米)

ロバート・レッドフォードの監督・製作・主演。30年以上潜伏生活を送っていたのにふとしたことから昔のことがあからさまになり、ベトナム戦争の頃のかって過激派だった男が、娘との暮らしを守るために冤罪だった銀行強盗殺人の汚名を晴らそうと事情を知る昔の仲間を探して奔走するーという作品なのだが、若き新聞記者役のシャイア・ラブーフ(「ウォール・ストリート」(08年 米)でもスゴ腕の新聞記者)が、かってロバートレッドフォードが演じた「大統領の陰謀」(79年 米)の新聞記者を思い出してしまった。レッドフォードが若かったら、この新聞記者の役をやりたがったに違いない。

元過激派のメンバーたちはジュリー・クリスティー(「アウェイ・フロム・ハー君を想う」(08年で各賞受賞)、スーザン・サランドン(メに特徴のある名女優)、ニック・ノルティなどなどジジババ俳優が揃って、レッドフォードの友人救済映画の感。

映画の中でフラッシュバックされる昔のモノクロ写真が妙に自分の若い頃と重なり、楽しいばかりではなかったはずの学生時代の思い出も、今ではただただなつかしく甘酸っぱい。

学生集会でいつも反戦歌を歌っていた髪の長いコは、いまどういう暮らしをしているのだろう。

2018年5月4日金曜日

ロバの耳通信「穢れた手」「ユニット」「モンスターU子の嘘」

春だというのに、寒い日が続いている。花粉も多いらしく、マスクをしながら寝床で本を読んでいる。いままで外れたことがない作家と初めての作家と。皆外れてしまった。<このブログ、5月連休に手をいれようと下書きのまま放置していたので、季節感にズレがでてしまった・・。まあいいか、もう初夏だ。花粉症も収まった。>

「穢れた手」(16年 堂場瞬一 創元文庫)

「刑事・鳴沢了」シリーズ、「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズなど、腕利き刑事が活躍するシリーズものは多作ながら楽しめてきたのだが、この「穢れた手」はちょっと違った。騙されて罪に問われることになった同僚刑事を信じ、名誉を取り戻すために私的な捜査をすすめるという刑事友情物語なのだが、主人公の刑事の動きも思考もウジウジしていて、この本を途中で投げ出したくなった。堂島の普段の切れ味がない。地方都市の暗さと警察組織を背景にしてはいるものの、それが普段の鳴沢の「面白さ」につながっていないことが、ベストセラーにもなっているシリーズものとの大きな違いか。

「ユニット」(05年 佐々木譲 文春文庫)

ハードボイルドでは北方謙三と並んで好きな作家で、近年は「うたう警官」など警察官を主人公にした作品も書いて、ワタシ的にはどれを選んでも面白い・・はずだったのだが、全くアテが外れた。少年犯罪で家族を殺された男と家庭内暴力を逃れた刑事の妻が出会うという映画なんかでありそうな話なのだが。カミさんによればこの少年犯罪が実際にあった事件だったという。おお、そうか、佐々木の今回作品の失敗はソコだったのかと。ワタシなりの解釈だが、佐々木はこの事件を調べこれをネタに筋書きを描こうとしていたのではないか。この物語の主人公は3人、犯罪を犯した少年、被害者の男、刑事の妻。うーん、主題に置きたかったのは少年か、男か、妻か。どれも中途半端に終わっているのが残念。

「モンスターU子の嘘」(14年 越智月子 小学館文庫)

相容れない本というのがワタシにはある。セリフばかりが多く、スキマの多い本がそれだ。そして、そのセリフが短くて今風のどっちもとれるようなものだと、もういやになる。例えばこうだ、3行目に、
”「鎌田くんありがとう」
すっかり小さくなった寺本の母親が白いハンカチで洟をかんだ。・・”
ワタシならこうする。
”すっかり小さくなった寺本の母親が(鎌田に)礼を言いながら白いハンカチで洟をかんだ。・・”
こう書けば、セリフのあとの無駄な空白も、文頭の鎌田をまたここで繰り返すこともないだろうに。勝手なことを書くが、この作家は小説を書くために、編集者から朱筆を真っ赤に入れられたり、原稿を突き返されたりといった「修行」を積んでいないのではないかと思う。
喫茶店経営者の詩子(U子)が賭博常習犯で逮捕され、これを追っかけるフリーライター鎌田が詩子について記事を書くという題材も、物語の構成も素晴らしい。この素晴らしい材料が、書き手の力不足のためにこれだけのものになってしまうことを惜しいと思う。悔しい。
読書メーターというブログサイトでは好評だと。さすれば、オカシイのはワタシのほうなのか。

ロバの耳通信「春の庭」

「春の庭」(柴崎友香 14年 文芸春秋社)

自分に残された時間を考えると、本も「片っ端から」読むのでは到底時間が足りないということを認識しているから、勢い賞を取った作品、好きな作家、好みの舞台設定を選んでいる。
本作は、芥川賞を取り選考者の評も、また読書メーターの評も良かったから期待して読み始めたが、まったくイケナイ。貸家に住む住人が、貸家裏にある古い家に興味を持って調べまわるといミステリーじみた舞台設定はヨシ。「春の庭」はその古い家を題材にした写真集の名前。

見知らぬ家を訪れるという設定は、ネコを探しに知らない家に入り込み、奇妙な体験をするという、村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」(97年 新潮文庫)にちょっと似ている気もするし、近くにあるのに知らなかった場所での冒険というようなところが、「ねじ巻き鳥・・」とはえらい違いで、ワクワク感や驚きもなく失望した。

知らないところの町歩きが趣味のワタシの好みだったのだが、柴崎の冒険物語は芥川賞では新鮮な技法として好支持を得ていた「視点の変更」、つまりはたかだか140ページのハードカバーで何度も主役が入れ替わること、に私は最後までなじめず、消化不良を起こしてしまった。賞を獲るということは大変なことなのだろうが、柴崎の文章は脈絡がなく、やはり読書メーターなどでも好評であった情景描写が、私には不自然で共感を得なかった。

この本を読む直前まで読んでいた「スコーレ No.4」(宮下奈都 09年 光文社文庫)の自然で丁寧な情景描写に強く共感していて、そのせいで柴崎に厳しくなりすぎたのだろうか。いずれにせよ、代表作に失望してしまったから、もはや柴崎の作品を手に取ることはないと思う。