2025年7月10日木曜日

ロバの耳通信「ケープタウン」「TAKING CHACE/戦場のおくりびと」「ディファイアンス」

「ケープタウン」(13年 仏)

ケープタウンで殺人の捜査をする刑事フォレスト・ウィテカーとオーランド・ブルームが同僚や母を殺されながら麻薬カルテルと闘う。その麻薬は黒人撲滅のために開発されたもので、摂取により自殺や殺人を誘発するという。オーランド・ブルームはアル中で、別れた妻との間に年頃の息子がいて金が要る、フォレスト・ウィテカーは現地の下層階級ズールー族の出身という設定、幼い頃に犬をけしかけらたため男性器を失っていて、それでも売春婦のところへ通う。誰にでもある、心の闇。埃まみれのバラック、灯りは店の前だけ、角を曲がると暗闇、どこもそうだ。画面を見ていて、次に起きる怖いことが、もっと怖く、血生臭い。ナタやナイフも怖いが、表情も変えずそれを使う途方もないワルたちが心底ゾッとする。ケープタウンの闇をこうあからさまに描いていいのか。映画の底辺に、現地人の貧しさを同情しながら、未開人を馬鹿にし、そのくせ心底怖がっている自分と同じたくさんの観客の眼を感じる。少なくとも、二度見る映画ではない。

「TAKING CHACE/戦場のおくりびと」(09年 米)

イラク戦争のさなか、デスクワークに逃げ込んだという意識から罪悪感に苦しめられていたアメリカ海兵隊中佐(ケビン・ベーコン)が、亡くなった若い兵士の遺体を家族の元に送り届ける役を自ら引き受ける。戦死した兵士を家族の元に返す時は、必ず随行者が必要という決まりがあるらしい。

遺体が集められた軍の基地での納棺から家族のいる町の葬儀社までの道のりでは、随行者も含め航空会社や霊柩車での移動時に敬意を持って対応される。その厳格で決まりだらけの道行の一切を終え、自宅に戻った中佐が家族と抱き合うシーンが印象的だ。戦闘シーンも死亡シーンもないが、これは反戦映画であり、同時に国威高揚映画だ。ケビン・ベーコンが名優だと改めて、知る。

アメリカ国内で飛行機に乗ると、軍服を着た兵隊はエコノミークラスでもファーストクラスより優先搭乗案内される。それくらい国のために戦う兵士たちは、アメリカでは優遇される。奨学金制度や就業支援制度など多数の優遇制度がある。実態との乖離も指摘されてはいるようだが、どこかの国で、今はほとんど戦死者はいないものの、災害支援での事故死や過労死の話も聞く。国は彼らにどれくらい報いているだろうか。

前に見た映画で、兵士の死亡連絡は正装した軍人が家族の家を訪れるという決まりがあることを知った。第二次世界大戦中に留守家族が家の前に黒い車が止まり、中から正装した軍人(通常2名)が玄関口に歩いてくるのを見て、母親が息子の戦死を知るというシーンを見て、電報一本で戦死公報が届けられたどこかの国とはえらい違うなと感じたものだった。

「ディファイアンス」(08年 米)原題 Defiance

第二次世界大戦時のベラルーシのビエルスキ兄弟によるユダヤ人救出劇を描いている。原作は「ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟」(09年 ネハマ・テク 武田ランダムハウスジャパン)。主役が英007俳優ダニエル・クレイグだし、よくあるアメリカ軍の大活躍でもないから、ハリウッド作品なのにとちょっと不思議な感じ。ナチスに蹂躙されながらも、ユダヤ人の見識の高さというかワガママを描いているから、誰かがこの映画で何かを訴えたかったのか、とか政治的背景も考えてみるのだが、思いつかない。

2025年6月29日日曜日

ロバの耳通信「静人日記 悼む人II」「原発ホワイトアウト」

「静人日記 悼む人II」(12年 天童荒太 文春文庫)

「悼(いた)む人」に続編があるとは知らなかった。読むと辛い思いのする本なのに、読み進めたい、感情の高ぶりに身を任せ、一緒に喜びたい、哀しみたい、泣きたい、そんな本がある。今まで読んだ「悼む人」(11年 文春文庫)、「永遠の仔」(04年 幻冬舎文庫)、「ムーンナイト・ダイバー」(16年 文芸春秋社)、「家族狩り」(07年 新潮社)など天童荒太の本はみなそうだった。高良健吾が静人役をやった「悼む人」(15年 邦画)も良い作品。


見ず知らずの人の死を悼むという、本能的なことに多くの人が違和感を感じることについて。

昔、ある葬式の席で私の親しい友人が、亡くなった人について、いなくなって悲しい、いい思い出しか残っていないと悲しみ悔やんでいた。とどめなく涙を流す私の友人を見ていた知人から「宗教の人か」と聞かれた。亡くなった人のことを思い出し悼んでいただけなのに、宗教って、そういうふうに使われるのかと不快な気持ちになった。

「悼む人」の本編やこの続編でも、主人公静人の亡くなった他人を悼むという行為そのものがまるで悪いことをしているような扱いをされ、宗教かと問いただされるところが出てくる。私自身、犯罪現場などに設置された献花台で、被害者とは何の関係もないような多くの人が、遠いところから花を手向けるためだけに訪れるところをテレビで見ていて、見知らぬ人なのにと違和感を感じていたのだが、この「悼む人」など天童の著作を読むようになってから、亡くなった人を悼むという行為は自己満足だけのためでもなく、自然の欲求によるものだと思うようになってきた。「宗教の人」にそういう人が多いのならば、そういう宗教を持つことができたこと、それが自然なことなのだと思う。

無差別殺人、犯罪や他人の不注意とか不条理なことで亡くなられた人のことのことを思うと、神も仏もあるものかとも思う。私は間違っているのだろうか。

「原発ホワイトアウト」(15年 若杉冽 講談社文庫)

著者は現役官僚で「告発本」だと。霞が関の裏側や原発利権に群がる人々を上から目線で、腹立ちまぎれに言いたい放題。
なんだろう、この不快感。東大法学部卒で国家公務員I種合格だという著者の看板が本当だとして、訳知り顔でそちらの身内を揶揄しつつ聞きかじりの裏情報を教えてくれても、こちとら、小市民だからそういうハナシは面白くもなんでもない。唯一、興味深かったのは最終章の電源テロで冷却用電源を失った原発がメルトダウンしてしまうこと。
実際ににこういうことが起きたら、ディーゼル発電機が低温で稼働しないということを小説のなかでオレが指摘していたじゃないかとか、またまた上から目線の訳知り顔で偉そうにおっしゃるのだろう、この作家。とにかく、不快感をガマンしてまで読む作家ではない。

2025年6月20日金曜日

ロバの耳通信「クリーンスキン 許されざる敵」「王様のためのホログラム」

「クリーンスキン 許されざる敵」(12年 英)

ショーン・ビーンがイスラムのテロリストを追う情報部員、「あのシャーロット・ランプリングがその上役という設定。テロリストを追い詰めたら、上役がからんでいた証拠が出てきて、シャーロットもショーンに殺された。政治家がテロリストをダシにして、現政権からの脱却を図ろうとするなんてのは、EUから出るの、でないのと混乱が続く英の政権争いでは案外「想定内」なのかも。
若いイスラム教の青年、原題のClean Skin「前科がない」という意味で、この普通の青年がテロリストにされてゆくところや、希望のない暮らしのなかで陰のある青年に惹かれる英国の若い女性の描き方など、多人種国家ゆえの混乱の英国の今につながっている気がする。

ショーン・ビーンがほんのこの間まで夢中になっていた「ゲーム・オブ・スローンズ」(13年~ 米テレビドラマ)の「北の王」エダード・スタークをやっていて、その印象が強くて、ショーン、ここではテロリストと闘ってるのかとしばしアタマが混乱しつつも、しっかりミステリーを楽しめた。

「王様のためのホログラム」(16年 米)

元自動車会社の重役(トム・ハンクス)、業績悪化で退職。家も車も妻も失い、ひとり娘の養育費を稼ぐために3D会議システムの販売にサウジアラビアに。売り込み先のサウジの王様にはなかなか会えず、本国の3Dシステム会社から毎日、やいのやいのとセッツキの電話。つもり積もったストレスにまいってしまい、背中にできた脂肪の塊は悪化するわ、呼吸困難になるわの時に助けてくれたのが、離婚調停中のサウジ女医。3D会議システムの売り込みには失敗するも、女医と懇ろになりサウジに職を得て女医と新生活ーと、漫画のようなオカシな「大人の夢物語」。映画的には、サウジの中年女医が、若くも、キレイでもなんともなく、そうハッピーには思えないが、まあ、いいかと。
トム・ハンクスの「ビッグ」(88年)、「ジョー、満月の島へ行く」(90年)、「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年)、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(94年)など、面白みのある役柄も合うから、結構見ているし、シリアスなものも含めて、外れがほとんどないから、こうやって wikiで作品を掘り出しては、見ている。

サウジとの仕事をしたことがないが、エジプト出張では王様のようなエライひと、ただしこの国にはそんなのが何人もいて、まあ旧家の名士くらいの意味らしいが、そういう人たちと禅問答のような話をした憶えもあるから、トム・ハンクスの持って行き場のない焦燥感のような気持ちがわからないでもなかった。ちなみにワタシの商談も失敗。砂と不味いメシと暑いだけのエジプトは一度で懲りたが、「王様のためのホログラム」で見たまっすぐ伸びたハイウェイと宮殿のようなホテルは憧れる。サウジは王様とかのツテがあればぜひ行ってみたいともおもったりするのだが、そんなツテなどあるわけもない。

2025年6月10日火曜日

ロバの耳通信「名もなき塀の中の王」「処刑島」

「名もなき塀の中の王」(13年 英)

邦題を見て「蠅の王」(90年 米)とか「王の男」(05年 韓国)とかのナントカの王とか王のナントカとかという映画で面白い作品と出会っていたのでその類かなと勝手に想像していたらえらく違っていた。
原題のStarred upとは刑務所用語で、少年刑務所から途中で成人の刑務所に昇格したという意味らしい。で、この「名もなき塀の中の王」は青年が刑務所で入所検査を受けるところから始まる。英国の刑務所はいままでに見たどこの刑務所とも違っていた。最悪だと感じた「ミッドナイト・エクスプレス」(78年 米)のトルコの刑務所は別格にしても、なんだこの英国の刑務所の自由さは。タバコは自由だし、ほかの独房への訪問も。部屋にはラジカセどころかジュース、お菓子が積んであるし。これ見たら、ほかの国の囚人が憧れるんじゃないかな、実際のところはわからないのだが。
ともかくこの英国の刑務所に少年刑務所から移された青年が、同じ刑務所で終身刑として収容されていた父親と会い、最後は絆を取り戻すーとまあ、最後のオチはあるにしても、この青年が自分で起こす暴力、リンチのシーンの連続が酷い。邦題の「王」が、暴力に走る青年のことか、刑務所内で人を殺したために終身服役者として一目置かれていた父親か、刑務所のボスのことか、囚人を更生させようと無給で働くコンサルタントのことか、はたまた刑務所を仕切る所長のことか、誰を指すのか、或いはそのすべてを指すのかはわからない。「名もなき塀の中の王」残酷だが救いもある、見るべき映画のひとつだろう。

刑務所を題材にした映画は名作が多い。「ショーシャンクの空に」(94年 米)、「グリーンマイル」(00年)、「アルカトラズからの脱出」(79年)、「告発」(95年)、「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」(03年)、まあ、キリがないからこれくらいにするが、刑務所というところは人間の本性が出るところだ映画の題材にいいのだろうか。
邦画ではテレビドラマだが「破獄」(85年 NHK)の緒方拳が良かった。テレビ東京によるリメーク版は山田孝之が主人公を演じていたが迫力不足。看守部長をビートたけしを配するなどワキに芸達者がいたからなんとか見られたが、前作にも、もちろん原作(「破獄」吉村昭)にも及ばず。

「処刑島」(06年 英)wilderness

少年刑務所のワルたちを集め軍が訓練に使っていた島に送り再訓練をさせる。その少年刑務所でワルたちにイジメられ自殺した少年の父親(実は特殊部隊出身)が島に乗り込み復讐するーという、安易このうえもない設定。さらに、同じタイミングで少女感化院の札付もこの島で矯正訓練を受けているという、どうしようもない無理無理設定。
ワルや札付が次々に殺され、犯人のはずの元特殊部隊の男も殺され、じゃあ、誰が真犯人かと、謎解き風にもなっているが、そもそものストーリーに意味付けがされていないから考えるのもばかばかしくなるB級映画。
少年院のワルたちが、いかにもワルの顔で、どこかで見たような顔。こういう顔と街で会いたくないなーと、そんなことを考えていた。

2025年5月30日金曜日

ロバの耳通信「来る」「ヴァイブレータ」

「来る」(18年 邦画)

キャスティングを見て、かなり期待していた。原作「ぼぎわんが、来る」(澤村伊智 角川ホラー文庫) が、第22回日本ホラー小説大賞を受賞、マンガもチラ見だが結構怖そうだったし。
能天気男役で子育てブログを書くことに生きがいを感じている妻夫木聡も、育児ノイローゼで段々狂って行く母親役の黒木華も怖かったが、もっと怖いはずの「アレ」とか「それ」が、なかなか来ない。ボスキャラがなかなか出てこないのにシビレを切らしそうになったら、大巫女役松たか子が日本中の霊媒師(代表柴田理恵)やら韓国の祈祷師まで呼んでお祓いをしたから、おお最後に来るかと期待していたのに、なんだこりゃの感。血反吐のゲロシーンばかりのCGも飽きるばかり。大巫女の妹でキャバ嬢役の小松菜奈がメッチャ良かった、うん個人的に気に入ったというだけれど。ウラをかえせば、ほかに大した見るところもなかったということか。


「ヴァイブレータ」(03年 邦画)

古い映画なのに、昨日封切だったよと言われてもゼンゼン違和感なし。R15だけど、ゼンゼンいやらしくなくて、寺島しのぶが「いつもの」いい感じ。少し前に息子とテレビに出ていたけど、この映画の頃とあんまり変わらない。年をとらないのか、早くから老けていたのか。

疲れてしまったルポライターの女と長距離トラックの運転手。ロードムービーなんて言葉があるかどうか、ともかくふたりはハレでも雨でもないくらいの距離感を持ち、旅を続ける。見栄とか気取りとか、そんなヨソユキの言葉じゃない会話が、それでも出会いから少しずつ距離を縮めてゆくに従い微妙に変化してゆくのが分かり、いつのまにかどちらにも共感している自分に気付いた。

どこかの薄暗い大衆食堂で、向き合ってそうウマそうでもなく、フツーにメシを食ってる彼らがうらやましい。ワタシには持病があり先行きの不安もあるが、まあ平凡な暮らしができている。だからそう感じるのかもしれないが、こういう旅暮らしもちょっと憧れてしまう。まあ、3日くらいで飽きてしまうかな、根性ないし。題のバイブレータの意味はよく分からない。ググったら、トラックの振動とかココロが揺れるとか、まあ、いろいろ書いてあったけど、題なんてどうでもいいかと。
映画評は良くなかったが、好きだね、この映画。


2025年5月20日火曜日

ロバの耳通信「最愛の大地」「タイガーランド」

「最愛の大地」(11年 米)原題 In the Land of Blood and Honey

アンジェリーナ・ジョリーの初監督・脚本ということで話題になった”恋愛映画”。交際していたセルビア警察官とムスリムの女画家がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でセルビア将校とムスリム勢力という敵味方の関係に。見終わって、これアノ映画と同じスジじゃないかと。ナチ将校ダーク・ボガードとユダヤ女シャーロット・ランブリングの「愛の嵐」(74年 イタリア)Il Portiere di notte だ。倒錯の愛はいつでも後をひく。

結局「最愛の大地」も、盗作騒ぎやら人権問題で映画界を騒がせ、アンジェリーナの名前だけで鳴り物入りで公開されたもののヒットしなかったのは暗すぎる話だったせいか。アンジェリーナは嫌いだが、この映画、個人的にはカメラワークも音楽も良かったし、なにより何を考えているのかわからないムスリムの女画家を演じた女優に、「愛の嵐」のユダヤ女シャーロット・ランブリングと似た不可解な女の何かを感じ、忘れられない映画になった。

「タイガーランド」(00年 米)

タイガーランドはベトナム戦争時代の米軍の訓練施設。新兵の訓練施設の最終ステージにあたり、ベトナムのジャングルを再現していて米兵とベトコンに分かれた模擬戦をやる。それまでの訓練で疲労や不平、不満が溜まっているからつい本気になってしまう。
コリン・ファレルが飄々とした新兵になってまとめ役に。ほぼ無名の役者ばかりだから、ほとんどこれはコリン・ファレルのための映画。あんまり変わってないな。
実際の戦闘シーンはないが、お決まりの古参軍曹による新兵のシゴキやら新兵同志のイジメやらが延々。まごうことなき反戦映画。厭戦といってもいいか。

60年代の終わり。私はノンポリだったから、学内を練り歩くベトナム反戦のデモにも集会にも参加せず。ずっと後になって、それらに参加しなかったことで失ったもののことを考えた。停学になることも、怪我をすることもなかった代わり、何か大きなものを失ったような気がしたが、いまもそれが何かわからない。相変わらず、今もノンポリのままだ。

2025年5月10日土曜日

ロバの耳通信「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」「ブレイン・ゲーム」

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(17年 米)原題 The Post

監督がスティーブン・スピルバーグ、主演がメリル・ストリーブ、トム・ハンクスと揃えば面白さを保証されたもの、にも拘わらずこの映画、初見。ひとこと感想、いやー、面白かった。
ベトナム戦争の調査レポート「ペンタゴン・ペーパーズ」をマクナマラ司法長官に握りつぶされた軍事アナリストがレポートをニューヨークタイムスに持ち込み、発表したニューヨーク・タイムズに司法の手が伸びる。ニューヨーク・タイムズに遅れをとったワシントン・ポストの編集長(トム・ハンクス)はアナリストから同じレポートを入手し、訴追覚悟で大々的に暴露した。メリル・ストリーブはワシントン・ポストの社主の役。親から引き継いだ会社をつぶすかどうかの瀬戸際に立たされるも、編集長支持の結論を出す。
日本の司法制度との違いをまざまざと感じるのが、記事掲載日に司法省より編集長への記事差し止めの電話、翌々日には最高裁判所による公聴会と決定とアクションが早い。しかも、レポートを最高機密文書として隠そうとする政府に対し、報道の自由を理由に記事の掲載を最高裁が適法と裁定するなど、ちょっと格好良すぎのウソ臭さもあるが、経緯はおおむね事実にのっとっているだろうから、映画の説得力もある。まあ、この映画が70年代か80年代なら大いに評価されるだろうが、当事者たちのほとんどが死んだり、引退している17年の公開じゃあ、ただのサクセス・ストーリーかな。
ワシントン・ポストは13年にAmazon創始者のジェフ・ベゾスに売却され、”スローガンを「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」とすることを発表”(wiki)したりしているから、案外この映画、ワシントン・ポストのキャンペーン映画かなと。まあ、面白かったから文句はないけれど、時期的にはちょっと後味が・・。

「ブレイン・ゲーム」(15年 米)原題 Solace

アンソニー・ホプキンスのファンで、だいたいは同じ映画を2、3回は見ている。サンソニー・ホプキンス主演の映画のなかでも、この「ブレイン・ゲーム」は、味わい深い優れた作品だと思う。脚本も、音楽もいい。特に気に入っているのはフラッシュバックのシーン。ホプキンスがFBIに委託された、預言者の役だから、未来に起きることをフラッシュバックで見せるのだが、数秒の映像が実に迫力があり、何度みてもドキッとするほど。あと、FBI女性捜査官役のオーストラリア女優のアビー・コーニッシュがいい。ブロンドの美しい髪を束ねた制服姿は見てるだけで萌える。
この映画、アンソニー・ホプキンスを雇うFBI捜査官の役で準主役ジェフリー・ディーン・モーガンが末期がんの捜査員という難しい役で出ていていい味をだしているのだが、一年ほど前まで夢中になってみていた「ウォーキング・デッド」(10年~ 米テレビドラマ)では、極悪の親玉の役だったから、その役柄の落差に頭が混乱。ポスターではホプキンスと並んで、コリン・ファレルが出張っているが、連続殺人犯という重要な役柄ながら、後半にちょろっと、いつものトボケ顔。彼はミスキャストだと思うよ。
原題のSolace「癒し」の意。ここで明かさなくても、映画を見れば納得。

2025年4月30日水曜日

ロバの耳通信「アメリカン・ウオー」「アイアンクラッド」

「アメリカン・ウオー」(原題 Memorial Day12年 米)

日本国内では公開されていないらしい。祖父が孫に大戦中の辛かった思い出を語り、その孫はいまイラク戦争で戦っている。ポスターと中身はえらい違いで、ハデなドンパチものではない。この映画で見せるのは、戦争の悲惨さだけでなく、アメリカ中西部の豊かな自然、頑固ジジイと孫たちの交流、ジジイの妻の暖かな眼差し、父と子のギクシャクした親子関係、戦友たちの死や彼らとの友情、とにかく全部が「アメリカ」。有名な俳優はジジイ役のジェームズ・クロムウェルだけだけど、主人公(孫)役も子役(孫)もジジイの妻も全員が無名ながらスゴイ。監督も撮影も音楽までも無名の人々。カメラワークや音楽はちょっとないくらい素晴らしい。クラス分けではB級に入るのだろうが、丁寧に綴られたアメリカン・ヒストリーをシミジミ楽しめ、こういう小品でも素晴らしい映画を作ることができるアメリカ映画の底力を感じる作品。

近年、観客受けばかりを狙っているオスカーなんてくそくらえだ。動画サイトを探してみてもらうしかないのだが、ひさしぶりにココロに染み入る「いい映画みたよ」と、強く勧めたい。

「アイアンクラッド」(12年 英米独)

「マグナカルタ」は受験勉強で言葉と年号だけはなんとなく覚えていたが、意味については全く理解していなかった。この映画は、英ジョン王がフランス軍との戦いに執着したため再三の戦いを強いられたイングランド貴族が反乱し、英国王の存続を認めることを条件に国民の自由を保障させた合意書が「マグナカルタ」だということをやっと理解できたのはこの映画のおかげ。もっとも貴族たちに従前の貴族特権を保障させること英国王が強制させられた文書という言い方をしている歴史の本もあるようだが、まあそういうことらしい。
とにかく、歴史背景をよく理解できた。歴史なんて、映画を見せてくれればよくわかる。年号なんて必死で覚えるんじゃなかった。

全編、ジョン王とその抵抗勢力との戦いを描いたものだが、大きな剣やマサカリで切られるわ手足は落とされるわは、グロ多すぎ。とはいえ、英国と英国王の歴史が血塗られたものだということを知ったのだが、興味深かったのがジョン王が映画の中で声高に叫んだ”神から授けられた王の血筋”。神ってなんだよ、権力者はみんなこういう言い方をしているよね。



2025年4月19日土曜日

ロバの耳通信「ようこそ、わが家へ」「火の粉」

「ようこそ、わが家へ」(13年 池井戸潤 小学館文庫)

通勤電車で横暴な割込み男に注意したことでストーキングされ嫌がらせを受け続けるマジメな会社員は、勤め先で営業部長の不正を指摘したことで、社長からまでも疎まれ居づらくなるハメに。読み進めるにつれ心理的にも八方塞がりに追い込まれてゆく会社員の気持ちは同情に値する。ただ、池井戸の小説は辛い、悲しいでは終わらない。

池井戸潤のウリは「痛快」「半沢直樹」(13年 テレビドラマ)も花咲舞大活躍の「不祥事」(16年)など、知ってる限りすべてハッピーエンド、勧善懲悪でキッチリ締めくくる。この「ようこそ、わが家へ」もそう。痛快で面白かったけれど、実生活はだいたい、腹立ちまぎれの悔し涙なんてことばっかりじゃないかな、フツーの人は。マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

で、考えた。「ようこそ、わが家へ」もマジメな会社員を主人公にするのでなく、ストーカーなり、ワルモノ営業部長を主人公にしたら、もっと面白かったんじゃないかとか。マゾのワタシはハッピーエンドよりクライム・ノベルのほうが好きというだけのハナシなのだが。
ヒトによく聞かれる、好きな作家。ジャック・ケッチャム、花村萬月、沢木耕太郎、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、トーマス・ハリス、パトリシア・コーンウェル・・とかかな。

「火の粉」(05年 雫井脩介 幻冬舎文庫)

裏表紙の釣りは”私は殺人鬼を解き放ってしまったのか?”。無罪判決を下した男が退任した裁判官の隣に引っ越してきて、「善意の隣人」になる。筋立ては面白く、どんでん返しの後半を想像していたのだが、550ページの道のりは長い。たぶん始まるであろう後半の展開の前に、元裁判官の家の日常が説明される。隣人の善意を際立だせ、あとの物語の伏線になっているのだろうが、嫁姑問題、昔の恋人、墓、聞き分けのない幼子、などなど、まあ普通の家にはたぶんひとつやふたつ必ずあるであろうイヤなことが次々に明らかにされる。その嫌悪感にゾッとして読むことを躊躇し、目移りしたほかの本を先に読んでいたら、図書館の返却期限が来てしまった。
カミさんは、終わらなかったならまた借り直せば言うのだが、実のところ辟易してしまったのだ。イヤなことはなるべくやりたくない、負けるから勝負事はキライな根性ナシのワタシの性格は救いがたい。274ページ、ちょうど半分のところに栞。いつか、そこから先を読む元気をだすことができるだろうか。

2025年4月10日木曜日

ロバの耳通信「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」「バッド・ガイズ!!」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(08年 米)

ずっと前に予告編だけ何度も見ていたのに、今日までついぞ見る機会がなかった映画。予告編や映画雑誌で、ジジイの顔をした捨て子の赤ちゃんが養老院で育てられ、年を経るにつれて若返るというおおまかなスジは知っていたが、主演のブラッド・ピットの演じるベンジャミンが予告編では予想もできないいい味を出していた。優しいメロディーで始まり、主人公の追憶とことわざのような警句モノローグで進んでゆく映画は「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年 米)を思い出した。

ジジイ顔で生まれ、ついには若返って死んでしまうベンジャミン。幼なじみでのちに妻となるデイジー役のケイト・ブランシェットが映画当時40歳ちかくなのに、若いバレーダンサー役で、これがとても若々しくてドキドキするくらいきれいで、ソロダンスシーンもメッチャよかった。ベンジャミンが若い頃(外観はジジイ)にロシアで横恋慕してしまう人妻役の英女優ティルダ・スウィントン(「フィクサー」(07年 米)ほか)の身についた上品さに、ワタシもまいってしまった。

年老いてゆくデイジーと若返りしてゆくベンジャミンの切ない思いが伝わってきたが、この何とも言えない複雑な感情、若いのにはわからないだろうな、きっと。「フォレスト・ガンプ」も何度も見たが、この映画もきっと何度も見ることになるだろう。うん、うまく言えないが、とにかく思い出に残るいい映画だった。

「バッド・ガイズ!!」(16年 ロシア)原題 War on Everyone

なぜか愛すべきドジ刑事役が多いメキシコ系アメリカ人マイケル・ペーニャ(ワタシは結構好き)、とスウェーデンのイケメン俳優アレクサンダー・スカルスガルドが性格真反対の悪徳刑事のペア役。人種差別やら、小児肥満問題などアメリカの社会問題をネタにし、シュールに苦笑いさせられる。これがロシア映画とは驚きだが、アメリカ大統領選挙での助け合い?とか見てると、もはや仮想敵国関係とも言えなくなった米ロだからこれくらいの揶揄はOKなのか。刑事が相手をするギャングがロシアンマフィア風、じっさいのところロシアンマフィアなんて映画でステレオタイプ化されたものを見るだけだから、当たっているかどうかわからないが、ソノ気取ったロシアンマフィアがラストでみんな殺されてしまうというなんともマヌケな自虐映画。まあ、退屈せずに雨の日を過ごせたからヨシとしよう。

2025年3月30日日曜日

ロバの耳通信「眠れぬ真珠」「桜の下で待っている」「ザ・ブラックカンパニー」

「眠れぬ真珠」(08年 石田衣良 文春文庫)

いままで何作か読んで、面白かった著者だったし、叙情派を自称するワタシだから裏表紙の”最高の恋愛小説”の釣りに見事に引っかかってしまった。いや、面白くないとは言わないがこの違和感は何だ。読み始めたら、石田の作品であることを忘れるほどの「女性視点」なのである。男性作家が女性を主人公に書く、あるいはその逆の例もたくさんあるのだが、この作品、どうしても女性が書いたとしか思えない。40代の銅版画家が17歳年下の映像作家に惚れて、お互いの相手とひと悶着というのが大まかなスジなのだが、主人公も含め、やたらセックスや変質的なほどの女たちが出てきて、生臭い。エンディングはいい思い出を残すという中途半端な男らしさ。うーん、そこは残念。どうせなら最後まで女でドロドロのまま引っ張っていってほしかった。
何度かテレビドラマ化されているらしいが、奥様好みの昼メロ素材なのか。口直ししたいから明日は、図書館に行こう。

「桜の下で待っている」(18年 彩瀬まる 実業之日本社)

帰郷をテーマにした連作5編。文章が優しさにあふれていてなんだか染み入ったし、時々感じた男性とは違う強さのようなものに怖さも感じた。懐かしいばかりでない故郷の思いでを語るとこうなるのか。

ひさかたの改札口を振り向いて紺色の群れに君探す

いまになって思い出せばあんなに酸っぱくて、甘いことは先にも、後にもなかった。そんな思い出を持っていることだけでも幸せなのだろう。


「ザ・ブラックカンパニー」(17年 江上剛 光文社文庫)

ブラック企業のハンバーガー屋に勤める青年が友人たちと力を合わせ、カリスマ社長やオーナーの投資ファンドと闘う。まあ、面白い。が、面白いだけのエンターテインメント小説のハッピーエンドに食傷気味かな。新人俳優を主役にしテレビドラマ化されたらしい。

2025年3月20日木曜日

ロバの耳通信「小説・震災後」「愛と幻想のファシズム」

「小説・震災後」(12年 福井晴敏 小学館文庫)

ほかのフィクション作品とは大きく異なり、実際に起きた東日本大震災を題材にした「小説」仕立ての福井の主張である。”この世に「絶対」などありえない””どんなに苦しくとも現実を直視し、ありとあらゆることを極限まで突き詰めて考え、実現すること”を震災後に再三言い続けてきて、この本の解説でも繰り返している石破茂の主張とも齟齬がない。
子供たちにどんな未来を見せられるかと問われ、返事に困窮するだけではダメだと。ずしりと、重い。ただ、福井が主人公の口を通じて熱く語った”太陽発電衛星”は、どうかな。脱原発の代替案としての考えを持たないワタシに、福井の案を笑い飛ばす資格はないのだが。



「愛と幻想のファシズム」(90年 村上龍 講談社文庫)

テレビでやネットで見るくらいだが村上龍が好きじゃない。印象も物言いも。著名な作家なのに読んだ作品は少ない。「55歳からのハローライフ」(14年 村上龍 幻冬舎文庫)が気に入ったのに、「心はあなたのもとに」(13年 文春文庫)で裏切られ、図書館で手に取った「愛と幻想のファシズム」はキレイな本だったから、村上の新しい本が出たのかと奥付を見たら07年の27刷。そんなにたくさん刷られているのかと。

90年代を舞台にしているが、84年~86年の「週刊現代」の連載が元本だというから、30年以上前に書かれた本なのだと驚いたのは、昨日書かれたと言われても違和感のないことに、だ。アラスカを放浪していた青年”トージ”が政治結社”狩猟社”を立ち上げ日本を席捲するアナーキストともファシストとも呼べる主人公の数年を追った上下巻約1000ページの長編。こういう本を読むと、面白い本は快楽であり、麻薬みたいなものだと強く感じる。結局3日がかりで熱病のように読み耽った。連載小説らしく、同じ言い回しが何度も出てきたり、ストーリーの濃淡の激しさのためか、混乱したり、意味不明で途方に暮れたりもしたが、結局はキャタピラーで押しつぶしながら前に進む快感を十分に楽しんだ。著者紹介を見れば、未読の有名作品が多いのにあらためて気づいた。また、読みたい本が増えてしまった。

2025年3月10日月曜日

ロバの耳通信「ファントム 開戦前夜」「ザ・マミー」

「ファントム 開戦前夜」(13年 米)

ロシアの潜水艦にファントムという偽装装置ーほかの国、例えば中国の潜水艦の音を出す装置を乗せ、米国の潜水艦を核ミサイル攻撃させ米中の核戦争を起こさせようとしたという史実に基づき作られた映画、と思っていたが実際のところは、事実の部分はハワイ近海でロシアの潜水艦が行方不明になったということ「だけ」が事実らしい。事実に基づき作られた映画とタイトルのあとにそれらしい字幕がはいり、ああ、実話かと誤解してきたが、なんてことはない、映画の一部に事実が含まれているくらいの意味らしい。

とはいえ、映画はすごく面白かった。ロシア艦の艦長にエド・ハリス、ファントムを持ち込んだKGB役にデイヴィッド・ドゥカヴニー(「X-ファイル」(93年~米テレビシリーズなど)のモルダー捜査官)、副長役 ウィリアム・フィクナー(「アルマゲドン」(98年 米)シャープ大佐)ほか、有名な役どころを揃えてはいるが、なんといってもエド・ハリスの存在感はすごい。無名の音楽監督ながら、最高の効果音楽で閉鎖空間の音響とあいまってすごい緊迫感も味わえた。
潜水艦モノの映画は大好きで結構見てきたが、ベスト3を上げれば「U・ボート」(81年)、「レッド・オクトーバーを追え!」(90年)、「クリムゾンタイド」(95年)か。共通しているのは閉塞感と緊迫感、結末はわかっていても、手に汗握ってしまう。

「ザ・マミー」(17年 メキシコ)原題:Vuelven

”未体験ゾーンの映画たち”は、12年より毎年開催の映画祭。有名スターが出ていない、宣伝予算が出ないーつまりは”売れないだろう”という作品を集めてマイナーな映画館で見せている。今年は56の映画が出品され、「ザ・マミー」はその中のひとつ。ほぼ同名の「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」(17年 米)がトム・クルーズ主演で、テレビCMもガンガンやったのに売れなかったが、このメキシコの「ザ・マミー」はよくできた映画だったとワタシは思う。うん、ネットでの評判は良くなかったし、確かにハリウッド向きじゃない。

母親がギャングに誘拐され、ストリートチルドレンと一緒に生きるしかなくなった少女が、彼女だけにしか聞こえない母親の声に導かれ、ギャングと闘う。ストリートチルドレンたちの明るい表情は救いだが、そこでは警察の腐敗、誘拐、殺人。母親の声や死んだ仲間の霊の導きで復讐を果たすなんて、スティーブン・キング好みか。

2025年2月28日金曜日

ロバの耳通信「とせい」「食堂かたつむり」「麻雀放蕩記」

こうやって、読んだ本を並べてみると、かなり乱読か。図書館から借りる本はカミさんとシェアしているから、まあこうなる。ワタシだけだと、ミステリーばっかりになる。

「とせい」(09年 今野敏 07年 中公文庫)

中公文庫は字が小さいし、細いから読みにくいのだよとカミさんにこぼしていたら、今野敏は面白いからそれくらいのことは我慢せよとのご神託。

ヤクザが出版社の経営を引き受け、精密加工屋のコンサルを請け負うというとんでもない物語。経営再建の勘所など押えるところはキチンと押えていて、主人公がヤクザの代貸という非現実感はあるものの、ワタシは会社員やコンサルを生業にしていた時期もあるからうんうんとうなづきながら楽しく読めた。
今野の作品の魅力は痛快さか。主人公が刑事だったり、一匹狼だったりヤクザだったりではあるが、勧善懲悪の結末と痛快さで面白さを外すことはない。

「食堂かたつむり」(17年 小川糸 ポプラ文庫)

 なにかのことで小川糸の作品が何度かカミさんとワタシの話題に。

「犬とペンギンと私」(17年 幻冬舎文庫)を読んで、うーん。面白くなくもないが、心を打たんなーということで、もう一冊、これがどーしても名前を思い出せないーを読んで、それでは代表作はと借り出したのがこの「食堂かたつむり」。カミさんもワタシも食いしん坊だし、料理も楽しむ方なのだが、いまいちねーということで変な意見の合致。凝った料理が紹介されるのだが、カタカナの料理名に材料、手順をサラッと紹介され、「おいしそう」が伝わってこない。映画化もされたと。小川糸はもういいかな。

「麻雀放蕩記」(16年 黒木博之 ポプラ文庫)

ワタシは阿佐田哲也の「麻雀放浪記」(69年~ 週刊大衆 双葉社)、同名漫画(93年~ 近代麻雀ゴールド 竹書房)、同名映画(84年 真田広之主演)で育ってきたから、ちょっとね。黒木も一応直木賞作家だからと期待もしていたし、裏表紙の釣りには”ギャンブル小説の金字塔”とあったけれど。金字塔って、なんだかね。

「失格社員」(07年 江上剛 新潮文庫)

10編の短編集。寝る前の気楽な読み物のつもりでいたら、結構シニカル。モーゼの10戒になぞらえたサラリーマンの物語は、ずっとサラリーマンとして暮らしてきたワタシにも身につまされる話が多かった。著者は元銀行員らしく、特に銀行員を主人公にした物語は結構な迫力。ワタシも一時憧れた銀行員は高給エリートのイメージだったが、偏見だったようだ。

2025年2月20日木曜日

ロバの耳通信「変死体」

「変死体」(11年 パトリシア・コーンウェル 池田真紀子訳 講談社文庫)

「検屍官」シリーズ(92年~ パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 以下同じ)で最初に読んだのは多分「死体農場」(シリーズ5作目 94年)。面白さにすっかりはまってしまい、出先で本屋を見つければコーンウェルの本を求め、それ以来熱病のように講談社文庫の青い背表紙(海外ミステリー)を追いかけていたのが20年前。仕事に追われる日が続き、入院。会社もいくつか変わっていまの暮らしに落ち着き、いつの間にか遠ざかっていた図書館の青い背表紙の群れなかにこの「変死体」(11年)を見つけた。表紙も読んだ記憶もない。早速借り出して、裏表紙の解説を読んだら、”緊迫のシリーズ第18弾”と。18作もでているのかの驚きとともに著者紹介のコーンウェルの写真を見たら、すっかり容貌が<悪い方に>変わっていて、浦島太郎の感。ちなみに、wikiのコーンウェルの写真は格好良くて、「検屍官」シリーズの主人公のケイ(主人公の検屍官の名前 ケイ・スカーペッタ)とダブらせていたのに。


「変死体」を読み始めてすぐに気づいた。昔のケイじゃない。馴染みのFBI捜査官のベントンと結婚していたのはいいとしても、強迫観念にあらぬことばかりを口走るただのヒステリーの中年女じゃないか。ガスの出る怪しげなナイフとか、マイクロドローンとか、軍用ロボットとか聞きかじりの<あたらしモノ>を消化せずに盛り過ぎ。トリック満載で読者を迷わせるには成功したが、種明かしの説明のつかなかったことを、死んだヤツにおっかぶせて口拭うなんて、昔はなかったぜ。コーンウェルおばさん、儲けすぎて狂ったか、ゴーストライターに丸投げしたか。

読んでいて気付いた違和感はストーリーだけでなく、文章もなんだか。で、もう一つ気付いた。訳者が違うよ。で、本格的にネットで調べたら、シリーズは24作目「烙印」(18年)まであって、ワタシのなじみの訳者(相原真理子)はすでに亡くなっていて16作目「スカーペッタ」(09年)からは新しい訳者(池田真紀子)に代わっていると。コーンウェル・相原真理子コンビでは「検屍官」シーリーズ以外でも、警察官アンディ・ブラジル シリーズの「スズメバチの巣」(98年~)、捜査官ガラーノ シリーズ「捜査官ガラーノ」(07年~)など、みんな手に汗握る面白さだったのに。そうかそうか。

15作目「異邦人」(07年)までは、相原真理子訳だというから、まずはそこまで未読作を遡って、読んで見よう。16作目以降のコーンウェルの「棚卸」はそれから。


2025年2月10日月曜日

ロバの耳通信「ミッドナイトイーグル」「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」

「ミッドナイトイーグル」(07年 邦画)

高嶋哲夫「ミッドナイト・イーグル」(03年 文春文庫)を読もうと検索していたら、同名の映画を動画サイトで発見。主演に大沢たかお、ワキに大好き竹内結子の懐かしい名前を見つけ、映画を先に見ることに。
元戦場カメラマン(大沢たかお)が後輩の新聞記者(玉木宏)と長野の山中で行方不明となった米軍機が核搭載のステルス戦闘機であったことを知り冬山を捜索に。途中で一緒になった自衛官と、搭載された核爆弾を爆発しようとする北朝鮮兵士と闘う。
高嶋の小説では、日本の政治家は”優秀に”描かれることが多いが、この映画では冷静沈着に見えながらも、重大な決断を任されたことに悩む内閣総理大臣を演じた藤竜也、内閣危機管理監役の袴田吉彦、内閣官房副長官役の橋爪淳がなかなかリッパで良かった。
大沢たかおは、今年「キングダム」(19年 邦画)で久しぶりに会ったが、全然歳とってないなの感。

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」(17年 米英)原題 Darkest Hour

欧州戦線で周囲が皆ドイツにヤラれる中、徹底抗戦を叫び続けたチャーチル英首相の役をゲイリー・オールドマンが演じていて、チャーチルを魅力的なジジイに。すごいぞ、ゲイリー・オールドマン。頑固で癇癪もちなのは地かもしれないな、あまりにもピッタリ。

英国の議会や内閣府の様子など、興味深いところもたくさん見れたし、ダンケルクの戦いなど当時の歴史もおさらいができた。一か所だけ気になったところが、最初はチャーチルを冷遇した英国王ジョージ6世が、英国陸軍の大苦戦に接し、日和見から一転しチャーチル支持に転じるところ、まあ格好良く描かれているがやむを得ないところか。

原作や脚本がいいのか、衒わずチャーチルにスポットを当てていねいにその人となりと不安な時代を描いた秀作。

2025年1月30日木曜日

ロバの耳通信「エキゾティカ」「毒麦の季」

どうでもいいどころか、読むのに費やした時間に損をしたと感じた「エキゾティカ」と、哀しみや苦しさに浸ってしまいそうになるも、こういうのだけじゃ耐えられないと感じ、やっぱり避けている「毒麦の季」

「エキゾティカ」(10年 中島らも 講談社文庫)

中島らもの個性あふれた小説は、嫌いじゃなかった。そんなノリで読み始めた「エキゾティカ」だったが、9編の短編は、舞台が中国とかタイであったりの面白い切り口で始まりオチで終わるいわゆる、「大人の寓話」だ。

旅行雑誌に月替わりで連載されるほどの品もなく、娯楽雑誌の広告ページまでの穴埋めに使われるような話ばかりで、少なくとも書き手は楽しんで書いている。それもお金になるというから、小説家は有名になるに限ると、なんだかバカにされているように感じてしまった。こっちも、図書館でタダで借りたものだから偉そうなことも言えないが、とにかくこういう本にかけたムダな時間が哀しい。


「毒麦の季」(09年 三浦綾子 小学館文庫)

救いのない物語ばかりを集めた短編集。読んだのはずっと前だが、今も忘れることができない「貝殻」。嫁いだものの子供ができなかったため、亭主が若い女と作った子供を育てるよう姑に迫られ、家を出て死に場を探すうちに列車の中で知り合った知恵遅れの男の純粋さに触発されて死を思いとどまり、新しい生活を始めた女。暮らしも落ち着き、捜しあてた知恵遅れの男はすでに死んでいた。知恵遅れの男が迷い込んだ町で憲兵隊にスパイに間違われて虐め抜かれ、軍隊の服を見ただけで委縮するようになり、ついには死んでしまっていた。この物語と題名の「貝殻」とのつながりは忘れてしまったが、不条理の繰り返しに胸が痛んだ。

この本、みんなこんな話。暗い話ばかりだったが、これほど不幸じゃなかったと自分の過去と比べ、ため息をついた。

2025年1月20日月曜日

ロバの耳通信「霧の橋」「ラニーニャ」

「霧の橋」(00年 乙川優三郎 講談社文庫)

これまで読んだ乙川の作品の中で最もよかった。刀を捨て商人に婿入りした主人公が、捨てきれない武士の矜持に自らを諫め、平穏な妻との暮らしを大切にしようとする。

夫婦のお互いへの想いや気持ちの機微をこれほど丁寧に書き込んだ作品をほかに知らない。300ページ強の物語は、緊張と静けさ、不安と安心の繰り返しで、読み始めたら食事中も本を離したくなかったほど。ずっとワタシの感情を引っ張って、ラストは詰めていた息を吐き、無事たどり着くことができた安心感に涙してしまった。こういう本を読みたくて、本を読み続けていたのだと、改めて思う。それにしても、普段なんと遠回りをしていることか。

これほど思い入れを持って読んだ本はずいぶん久しぶりな気がし、同時にこういう作品をもっと読みたくなった。

「ラニーニャ」(16年 伊藤比呂美 岩波現代文庫)

書名が気に入った、表紙も。裏表紙の解説”子連れで向かった先はカリフォルニア”の釣りも、久しぶりの岩波文庫も好ましかったのに、読みだした数ページがひらがなだらけの口語で、段落の取り方もなんだかオカシイ。文章は散文といえば聞こえはいいが、脈絡なしの支離滅裂、ゼンゼン追いて行けない。

あわてて、著者紹介をチェックしたら「詩人」だと。あー、そうかとひとり納得、ワタシのアタマじゃ、この詩人の文章は理解できないと。3中編のうち2編は芥川候補作だと。ほー、そうかい。自分に難解なものをしたり顔で、良かったよと誰かにひけらかすほど若くもない。懲りて、しっぽを巻いて逃げるだけ。

2025年1月9日木曜日

ロバの耳通信「キルスイッチ」「ブラッド・スローン」

「キルスイッチ」(17年 米独)

面白い時代になったものだ、国内封切り前の新作映画をどこかの誰かが、ちゃんと日本語字幕を付けてアップロードしてくれている。動画だけなら試写版や有料動画サイトからの転がしでアップロードすることはそう大変だとは思わないが、セリフのデクテーション(文字)を専門サイトからダウンロードして、自動翻訳サイトで日本語にして、もちろんそのままで楽しめるほど自動翻訳ソフトはイカしてないから、イチイチ普通の日本語に直して動画と同期させてくれている。プロにかかれば大したことのない作業なのかもしれないが、たぶん何人かの「誰か」の手を経たものにちがいない。ダウンロードせず見るだけなら罪にもならないらしい。とにかくその「誰か」たちに感謝。

「キルスイッチ」は無限エネルギーをどうにかこうにかするというSF映画で、あまりにもぶっ飛んだストーリーだから理解しようもない。SFもそれなりに説得力を持たせてくれたほうが面白いとのだが、原作は10分のショートフィルム「What's in the Box?」ということだから、丁寧な作り込みなどはムリなのかもしれない。

主演のダン・スティーヴンス(ディズニーの新作「美女と野獣」(17年 米)で美女エマ・ワトソンと組んだ野獣役:うん、こっちもすごいミスキャスト)が元宇宙飛行士の役でSFX画像の中を、相変わらず目の周り真っ黒のパンダ化粧のボンドガールのべレニス・マーロウ(「007 スカイフォール」(12年 英米))と武器を積んだドローンに追っかけまわされる。

PCゲームのように画面の切り替えはシャットダウンサインや立ち上げのディジタル表示なんかが画面に表示され、一人称視点(主役の目を通して進められる)シーンの多さにゲームのような面白さもあるがが、脈略がわからない切れ目だらけの映像は一貫性がなく、ストーリーをより分かりにくくしている。
ストーリー展開におけるゲームとの本質的な違いは、この映画は過去の軌跡も将来の選択もなく、難病の息子や体の弱い妹の挿話が脈絡なく突っ込まれているから、主題であるはずの「家族のために戦う」主人公の存在意義をダイナシにしている。動きに必然性がない主人公が映画の中でイライラしながら何度も叫ぶ「一体どうなってるんだ」をそのまま監督ティム・シミットにお返したい。

「ブラッド・スローン」(17年 米)

原題の Shot Caller は刑務所のスラングで、リーダーの意味。
エリートだった男が、飲酒運転で死亡者が出てしまったために、刑務所にはいることに。こういう場合、日本だと交通刑務所だとおもうのだが、この映画では、凶悪犯などと一緒。アメリカの刑務所については、映画なんかで知る限りだが、ここも酷い。犠牲になる弱者とそれを犠牲にする強者しかいないと知った主人公は、そこで戦いを続け、家族への脅しをちらつかせるリーダーを殺し、結局終身刑ながらリーダーに上り詰める。日本の刑務所についても本や映画でしかしらないが、アメリカの刑務所の違いに驚く。アメリカの刑務所は何倍も怖い気がする。
警察にチクったため主人公に殺されてしまうチンピラ役にジョン・バーンサルが出演、入れ墨はフェイクだとしてもいかにもワルの仕草がそれらしかったが、アメリカテレビドラマ「パニッシャー」シリーズ(16年~)で演じたフランク・キャッスル/パニッシャーは、極悪を倒す正義の味方。長くみたせいもあって、結構好き。wikiによれば、みかけよりずっとエリートらしい。

ロバの耳通信「ジャッジ 裁かれる判事」「皆殺しの流儀」

「ジャッジ 裁かれる判事」(16年 米)

辣腕弁護士ロバート・ダウニー・Jrが母の死の知らせを受け、インディアナ州の田舎に帰る。待っていたのが、折り合いの悪い父親で地区裁判所判事のロバート・デュヴァル。その田舎でひき逃げの罪に問われた父親の無実を信じ、弁護を引き受ける。

田舎、といっても日本の田舎とはかなり違うが、見渡す限りのジャガイモ畑(多分)や典型的な地方都市。ダイナーズの窓から見える風景も、農場を横切る道も昔のまま。ワタシも90年代そんなところにしばらくいたことがあるから、街並みも、ダイナーズもとても懐かしかった。アメリカの田舎は、海の近くでもなければ、みんな同じ風景。役場やダイナーズや、みんな同じ、ずっと同じ。
元カノジョとの再会や自分の幼い頃を知ってる町の人たちと相変わらず頑固な父親は実は末期ガン。野球選手を夢見ながら交通事故で夢を果たせなかった兄、知恵遅れの弟など、これでもかと不良少年だった弁護士の心になにかを訴える。ワタシもひき逃げ裁判の結末は、もはやどうでもよくなって、インディアナ州の田舎を思い出し、浸ってしまった。

「アイアンマン」シリーズ(08年~ 米)などですっかり有名になった主演のロバート・ダウニー・Jrは好きな俳優ではないが、頑固判事ぶりや初めての孫娘にあった時の優しい表情など当時84歳のロバート・デュバルがこの映画でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことに大いに納得。

「皆殺しの流儀」(14年 英)原題 We still kill the old way

Gyaoの無料動画のおかげで、マイナーな映画も見るようになった。悪いことし放題の町のチンピラたちに兄を殺された昔の顔役が、同年配のジジイを集めて復讐するという、ジジイ活劇。この手の映画は結構多いが、英国らしくシャレた言い回しなども楽しめるし、最後はジジイたちの勝利に終わり、これからもこの町のワルモノ退治を続けようぜという続編への期待を持たせてというお決まりで締められるから、まあ楽しめたのだが、途中が長い。チンピラたちの悪行を強調して、後半の復讐活劇に持ち込もうというのはわかるんだが、こうバイオレンスを延々とみせられると胸糞が悪くなる。
本編の「昔流儀で殺す」に引き続き、続編(17年)は We still steal the old way「昔流儀でかっぱらう」という銀行強盗の映画だとか。まあ、探してまで見たいとは思わない。

ロバの耳通信「ドラゴンフライ」「逢魔が山」

「ドラゴンフライ」(16年 河合莞爾 角川文庫)

解説によれば河合のデビュー作は横溝正史ミステリー大賞受賞作「デッドマン」で、この「ドラゴンフライ」はその第2作だと。「デッドマン」とほぼ同じ刑事たち、遺体から頭部、胴体、手足が持ち去られるという奇想天外なストーリー。「ドラゴンフライ」も臓器を抜き取られた猟奇死体が出てくる。前作を読まずにおいて比べるわけではないが、猟奇には奇想天外の展開があって面白い味付けにしても横溝正史や江戸川乱歩並みの筆の力がないとホラ話だけでは飽きられるよ。
「ドラゴンフライ」は完全犯罪をもくろんだが、腕利きの刑事たちに謎解きされるというスジ。ただ、その謎解きの解説が長すぎてダレる。うん、うん、トンボについても蘊蓄もたっぷり聞かせてもらったし、ほかに類を見ないトリックの手口も披露してはもらったが、あまりにとんでもないトリックだから、そんなのありかよと途端にミステリーとしての興味を失う。これからも期待して読みたい作家ではないかな。

序盤に目の見えない少女と仲良しの二人の少年が登場し、彼らが最後までこの物語のカギを握る。

たまたま同じ時期に読んでいた「逢魔が山」(17年 犬飼六岐 光文社文庫)は、偶然にも目の見えない弟を可愛がる兄とその仲間たちが禁忌の逢魔が山に迷い込む冒険物語。勇気や友情を主張していて子供のころにたくさん読んだ冒険小説を思い出して思い出にひたることができた。「ドラゴンフライ」はトリックや謎解きに溺れ、目の悪い少女と少年とで語ろうとしていた主題がどこかに忘れられたのではないかと。

ロバの耳通信「アンダーリポート/ブルー」「家族の言い訳」

「アンダーリポート/ブルー」(15年 佐藤正午 小学館文庫)

15章からなる小説の第1章で挫折。洒落たカフェの気取ったセリフ、先の章へのとっかかりが掴めない。まいったな、と。近年、根性がなくなって込み入ったプロットを丁寧に読み進めながら解いて行くーなんてことができなくなっているのは明らかにトシのせい。アタマが固くなっていることを認識。
キレイな本だからこのまま図書館に返すのも業腹だからと、何日か置いて、最初から読み返した。さすがに2回目だとなんとかアタマに収容して、第2章に進んだ。お、なんだこのトキメキにも似た期待感は。食いつきがいいというか、面白そうじゃないかと。それからは怒涛の進軍。いつもの寝る前の読書が長引き、眠れなくなる予感。ムリムリ、途中で止めたら、朝日が明ける前から気になってしょうがない、ということであとは一気読み。オマケの短編「ブルー」は第15章の続きとなっているから、オマケまで。で、気付いたら第1章に戻っていた。ストーリーの全容がわかってしまうと、また第2章からーと、ダンジョン(洞窟探検)ゲームの繰り返しだ。

交換殺人という荒唐無稽なストーリーだから好みじゃないはずなのだが、ジワジワと真綿で首を絞められてゆくような展開は、ほとんど経験のない経験。登場人物が少なく、主人公も脇役も、仕草や性格描写が丁寧だから疲れずに楽しめた。同じ作者で「ジャンプ」「鳩の撃退法」「月の満ち欠け」というのがあると。期待できそう、会えるのが待ち遠しい。知らなかったぜ、佐藤正午。

「家族の言い訳」(08年 森浩美 双葉文庫)

8の短編が良く書けている。作者は放送作家で作詞家だと。文章と著者名から女性だと勘違いしていた。
所詮小説は作り事だと割り切ってしまえばいいのだろうが、あまりに良く書けていてすこしダレる。朗読CDとかで寝る前に聞けば、ココロ打たれたり、涙出たりでいいのだろうが、年を経てねじくれてしまったワタシにはひとつかふたつで十分。巻頭の「ホタルの熱」だけで止めとけばよかった。