2019年12月27日金曜日

ロバの耳通信「異人たちの館」「獣眼」

「異人たちの館」(16年 折原一 文春文庫)

著者によるあとがきでこの作品を自ら”マイベスト”だと言い、解説でも”著者畢生の傑作”だと。93年の単行本(新潮社)以降、一次(96年 新潮文庫)、二次(02年 講談社文庫)を経ての第三次文庫だと。著者の思い入れも強いようで、書評も良かったのだがワタシにはさっぱり。600ページの長編のレトリックはただ目まぐるしく落ち着かず、楽しむことができなかった。自分にはこのテのミステリーを読みこなせるほどの読解力がないのだという言い訳をするしかない。
富士の樹海に消えた、幼い頃には天才と呼ばれた作家の伝記をその母親から依頼されたゴーストライターの著作メモ。大金持ちの未亡人やら絶世の美少女やらが出てくる、江戸川乱歩風探偵ミステリー小説は、著者がこの本を自らの楽しみとして書いたと確信する。時間をかけて練り込んだレトリックは、本編と枝葉の境を曖昧にし、著者と一緒に耽溺の野を歩まなければ楽しみを共有化できないのだろう。しかし、ワタシの読書は、小説の主人公や脇役になり切って、その世界を楽しむことを旨とする。映画もそうだ。ワタシがそこで著者や脚本家や映画監督になることはない。
著者の自信作だというこの作品に、充分に懲りた。だから折原一を手に取ることはもはやない。


「獣眼」(15年 大沢在昌 徳間文庫)

折原一の「異人たちの館」ではレトリックについて行けず迷っただけだった。大沢の「獣眼」は、脇道が一切ない。主人公のボディーガード・キリになって、物語の上を走ってればいい。行きどまりもレトリックもない。

”神眼”と呼ばれる予知能力についても、大沢の作品では違和感もなく受け入れられる。それは、キリが守る少女の力であって、自分にないことで羨ましくなったりはしない。少女を守りながら、600ページを超える長い物語を走ることそのことが快感である。少女が生意気だけど可愛いということも、超能力を持っていようが、持っていまいが、守ると決めた男の矜持に共感を憶えるのだ。大沢の小説が小難しいことを言わず、楽しめるエンターテインメントだと感じさせるお気に入りの作品。

2019年12月22日日曜日

ロバの耳通信「アイリッシュマン」「暗黒街」

「アイリッシュマン」(19年 米)原題 The Irishman

全米トラック運転組合委員長のジミー・ホッファの暗殺犯フランク・シーハンの伝記映画。
アイルランド系の一介のトラック運転手からマフィアの殺し屋になったシーハンをロバート・デ・ニーロ、シーハンの才能を見出しホッファに引き合わせるマフィアの幹部ラッセル・ブファリーノにジョー・ペシ、マフィア幹部でもあったホッファにアル・パチーノの3大ジジイ名優に加え、監督がマーチン・スコセッシの3時間30分の超大作。長編を感じさせない面白さだが、原作はチャールズ・ブラントのノンフィクション小説「I Heard You Paint Houses」(04年)だと(wiki)。映画のモノローグと初対面のホッファとシーハンの会話で”君は家のペンキを塗るんだってな”の問いに、”そうです”という会話のシーンがあるが、”(自分で)家のペンキを塗る”というのは”殺しを引き受ける”の隠語らしい。


シーハンが暗殺されたとされているのが75年だから、そう昔のハナシでもなくハナシの中心は60~70年代か。半世紀前のアメリカの大都会はこうだったのかとか、道の両側に泊まっている車がいわゆるクラッシックカーなのが興味深かった。
この映画で改めて認識させられたのが、イタリアンマフィアがなによりメンツを大切にすることと、マフィア同士の”兄弟”のつながりや家族のつながりの強さ。アイリッシュマンが、イタリアンマフィアとのつきあいで、すっかりイタリアンになってしまうこと。もっとも、デニーロのニヤニヤ顔はそのまま、ギャングの顔なのだが。
この映画で唯一残念だったことが、3大ジジイ名優があまりにも歳をとりすぎていること。晩年のシーンはとにかく、若い頃のシーンはメーキャップが大変だったろうと。若い人をジジイに変装させるより、ジジイを若作りするには限界があるな。

昔、広州交易会に行った際、近くに中国事務所長がいるから挨拶しといたほうがいいよと同僚に言われ、当時中国事務所があった中国飯店に。所長はすこし気難しい感じのヒトだったが、ロバート・デ・ニーロというアメリカの名優に似ていると云ったら、映画とかは殆ど知らないヒトらしく、どんな俳優かと。ググって、俳優の顔をスマホで見せる時代ではなかったから、とにかくいい男ということを強調したら、やたら陽気になって、帰りにお土産まで持たせてくれた。それ以来、その所長とは会っていないが、デ・ニーロを見るたびに思い出す。

「暗黒街」(15年 伊・仏)原題 Suburra

ローマのSubbrraという場所の再開発による利権に群がる、政治家、イタリアンマフィア、ジプシーギャング、聖職者らの入り乱れての抗争を描いたクライム・ノワール。フランスが絡んだ映画にしては、ウイットも何もない真っ黒けのストーリー。ワルモノたちのほとんどは死んでしまうが、最後にボスキャラ「サムライ」をジャンキーの娼婦が始末。たぶん、続編はこの娼婦が主人公になるのかな。脚本が雑なのか、ストーリーに脈略がなく、2時間強はやや長すぎ。
前半で、3Pプレイ中にヤクの過剰摂取で死んでしまう若い娼婦役のコがメッチャ可愛くて、そこだけ2度見してしまった。



2019年12月16日月曜日

ロバの耳通信「交渉人」「殉狂者」「美ら海、血の海」

「交渉人」(08年 五十嵐貴久 幻冬舎文庫)

五十嵐作品は、出会い系女子にストーキングされる会社員を描いてホラーサスペンス大賞を獲った「リカ」(02年 幻冬舎)以来、久しぶり。「リカ」も追いつめられてゆく切迫感に現実味がありめっちゃ怖かったが、この「交渉人」では終章で意外な犯人が医療錯誤で我が子を失った喪失感と権力への無力感を語ったとき、「確かにこういう目にあったら、殺しでも何でもやっちまうだろうな」と思いっきり犯人に共感してしまった。


タイトルの「交渉人」の通り、ストーリーは交渉人(ネゴシエータ)の警視正とその弟子の女警部の甘酸っぱい物語から始まり、全編が大方を病院に立てこもった犯人と交渉人の緊迫したやり取りに割かれ「映画のように」面白い。たしか、こういう映画も何作か見たぞ。とにかく、やり取りのなかに散見された不自然さが、とんでもないラストの伏線だったと知る。うん、なかなか。弟子の交渉人の卵の女警部が主人公となる「交渉人シリーズ」が何冊かあるらしいので、ちょっと読んでみたい。

「殉狂者」(14年 馳星周 角川文庫)

馳の小説が面白くないと感じ出して気付いた。うん、みんな面白いなんて勝手に思い込んでいただけなのだと。「不夜城」シリーズ(98年~ 角川文庫)、「漂流街」(00年 徳間文庫)、「M」(02年 文春文庫)などなど、ずっと夢中になるほど面白くて、いつのまにか馳の大ファンになっていたから、過度の期待があったのに違いない。「殉狂者」上下巻で1200ページの厚さ。表紙のノアール感。図書館から借り出したときも、いい天気の暖かな冬の日だったからすぐに読まず、早く読みたい気持ちを抑えて落ち着いて読める雨の日を待っていたほど。

スペインでテロリストとなった日本赤軍シンパの父の足跡を追う元柔道スペイン代表の日系人の物語。71年頃の父親の物語と05年頃の息子の物語が同時にスタート、馳らしい冒険談の語り口でストーリーが展開する。読み進める中で、何度も、何度も、そろそろ面白くなる筈と期待したのだが。この不満と不安は結局最後まで燻ぶったままになった。元々は「野生時代」(角川書店)という小説誌に3年半にわたり連載されたものだという。連載モノを舐めて言うわけではないが、ああ、それがこの退屈さの原因だったのかと、ひとりごつ。

「美ら海、血の海」(13年 馳星周 集英社文庫)

戦争体験のあるもの者でなければ戦争小説は書けないのだろうか。14歳の少年の悲惨な沖縄戦体験記に仕立て上げ、題名に沖縄名所の美ら海をつけセリフをつなぎ、丁寧にも東日本大地震の味付けも。読書メーターの評価はいいから、問題があるのはワタシの方か。それにしても、だ。馳星周、結構読んだけどコレは最低。文庫書下ろしだと。うーん、これ以上何も言えない。とにかく、薦めない。


2019年12月12日木曜日

ロバの耳通信「アド・アストラ」

「アド・アストラ」(19年 米)原題:Ad Astra

題の意味はラテン語で「星に向かって」で、「困難を乗りこえて」という慣用句に使われるらしい。
宇宙飛行士(ブラッド・ピット)が、約30年前に知的生命探査機で冥王星に行って行方不明になった父親(トミー・リー・ジョーンズ)を探しに行くという物語。
父親にめぐり合えたかとか、父親が知的生命体に会えたかとか、宇宙旅行などについてのなんだか説明のつかないいい加減さとかも少し気になるが、ここで語られるのは幼い時に父親不在になった少年の心の傷。そのためか、大人になっても他人を受け入れることができず、妻(リブ・タイラー)との関係もおかしくなっている。
幼いときに父親を失ったブラピが、モノローグ(映画の中では、精神状態をコンピュータ診断を受けるために、気持ちをマイクに)で語るところには涙がでそうになった。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(19年 英米)での、ほかの誰でもよかった役柄に比べ、ずっと、ずっと良かった。父親の古い友人として、途中までブラピと宇宙旅行に同行する役のドナルド・サザーランドとか、何人か有名な俳優を配しているのだが、ほぼブラピだけの映画といっても良いくらい。

ブラピの妻役のリブ・タイラーは、途中のテレビ電話の映像と、ラストだけしかでてこないチョイ役だが、この女優の大ファンであるワタシには、初恋のヒトに会えたようだった。「アルマゲドン」(98年 米)でブルース・ウイルスの娘役をやったときの、あの輝くような美しさを忘れることができない。<あちこちで、同じことを書いたような気がするが>

2019年12月6日金曜日

ロバの耳通信「無宿人別帳」「ジャックナイフ・ガール」「時限病棟」

「無宿人別帳」(96年 松本清張 文春文庫)

手にとることが何度目になるのだろう。初出「オール読物」(52年)だというし、初めて読んだのが10代で、単行本だった記憶があるから古い付き合いだ。

この短編集の主人公は皆、理不尽に苦しめられる男たちばかりである。これでもか、これでもかと理不尽にいたぶられる。よくこれだけ哀しい物語が書けるものだと思う。これより、マシだ、こんなに不幸ではないと感じる。こういう幸せの感じ方もあってもいいのだろう。

松本清張の小説に幸せいっぱいなんて人は出てこない。松本清張が好きなのは、暗い所から明るい方を見たいからなのかもしれない。

「ジャックナイフ・ガール 桐崎マヤの疾走」(14年 深町秋生 宝島社文庫)

深町秋生の小説はメッチャ面白いか、ゼンゼン面白くないかのどっちか。これはメッチャ面白いほう。近未来の荒廃した東北が舞台。不良少女”切り裂きマヤ”が痛めつけられながらも活躍するクライム。ノベル5連作。10代にも見える、細身、ムネぺったんの可愛いコらしい、読みながら、思わず頑張れ~のエールを送っている自分に気付いた。

「時限病棟」(16年 知念美希人 実業之日本社文庫)

初めて読む作家では著者紹介をチェックする習慣がある。現役の医者だと。大いに期待。裏表紙の作品紹介では”大ヒット作「仮面病棟」(15年)を超えるスリルとサスペンス。圧倒的なスピード感”だと。唯一ひっかかっていたのが、作者の名前。沖縄出身だから知念はあるにしても、美希人は凝ったペンネームくさい。凝ったペンネームをつけた推理小説作家は面白くない、というのがワタシの持論。調べてみたが、本名かどうかは未だに不明。
出だし好調。文章はうまい。調子に乗っていたら24ページ目にクラウンの絵。おいおい、謎解きゲームか、と訝りながらも読み進めたら、やっぱり謎解きゲーム。実はパソコンゲームも謎解きは好きじゃない。読み進めるたびに、そろそろ犯人はわかったかね明智くんと聞かれている気分。舞台設定も登場人物もストーリー展開も作者のアタマの中でひねくりまわされて作られたと分かるから、そんなものに付き合いきれないと半分も進まないうちに棄権。読書サイトで真犯人に至るネタバレをチェックしたけれど、ああそう、くらいの感想。
途中までしか読んでいないので何かを言うのは卑怯だとは思うが、残り少ないワタシの読書人生、つまらないと感じる本につきあうつもりはない。

2019年12月1日日曜日

ロバの耳通信「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(19年 米英)原題 Once Upon a Time in Hollywood

シャロン・テート事件(69年 ハリウッド女優がカルト集団マンソン・ファミリーに殺害された)の時代、売れなくなってきた西部劇俳優役のレオナルド・ディカプリオ、そのスタントマン役ブラッド・ピットを中心に、古き良きハリウッド黄金時代を描いている。監督クエンティン・タランティーノ、名優ふたりの初共演がウリ。シャロン・テート役の豪女優マーゴット・ロビーの色っぽいことにはまいった。

アメリカで7月26日公開、3日間で興行収入4千万ドルの興行収入を上げる大ヒット、日本では8月30日の公開、2カ月で11億円の興行収入の大ヒットだと。ネットでの評判も結構良くて、期待していたのだが。面白いと感じなかったワタシの僻みだろうが、ハリウッドのあるアメリカならとにかく、日本で大好評だったのが不思議。確かに日本の映画評論家など、映画に一言あるひとたちがこぞってタランティーノ監督を押し、面白いというウワサにミーハーの日本人が乗っただけな気もする。だから、ロングランはないだろーな。

そういうワタシも、クエンティン・タランティーノ監督作品を多く見てきたし、かなりのファンだと思っていた。
「レザボア・ドッグス」(92年)、「パルプ・フィクション」(94年)、「キル・ビル 1&2」(03、04年)と見続けてきて、「イングロリアス・バスターズ」(09年)で躓いた。ブラピ演じるアメリカ軍将校がナチスの兵士を撲殺、火あぶりにするという胸糞が悪くなるグロ。それでも、それまでに見てきた映画が面白かったから、それでもまだタランティーノファンだと自負していたのに。

「ジャンゴ 繋がれざる者」(12年)、「ヘイトフルエイト」(15年)で感じていた、マイナー映画監督タランティーノのハリウッドへの憧れと阿(おもね)りが鼻につくようになっていて、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でタランティーノは、念願通り、鼻高い大監督になったようだ。ラストの火あぶり、噛ませ犬などによる皆殺しは、タランティーノらしいといえばそうだが、そこまでの2時間弱の退屈な時間とラストへの脈絡なしの突入に、タランティーノはもういいやの感。

2019年11月24日日曜日

ロバの耳通信「ブラックチェンバー」「絆回廊 新宿鮫10」

「ブラックチェンバー」(13年 大沢在昌 角川文庫)

大沢は「新宿鮫」シリーズ(91年~)以来、最も好きな作家のひとりだった。大沢の本を読んでいればいつも冒険心は満たされると信じ、本屋の棚ではいつも最新刊を探していた時期もあった。
それがどうだ、この「ブラックチェンバー」は。超法規の組織にスカウトされた刑事がロシアマフィアやヤクザ組織と戦うという、大沢の作品を読んできた私としてはまあ、ありえないが「許せる」ストーリー展開なのだが、次々に出てくるワルモノたちの人物の描き方がゼンゼン甘い。登場人物の多さは、文庫本600ページ超えだからしょうがないとしても、特徴ある描き方をしていないから、裏切りやドンデンガエシが面白みとして伝わってこない。

ウダウダとロシアンマフィアと日本のヤクザ組織の組織論を説明されてもね。あげくは主人公超法規の組織が、結局はインフルエンザのニセ薬利権やらでマフィアとヤクザの上前をはねるワルだったなんて、まあよく考えてくれたものだが、このスパイ映画風のシナリオを読者に納得させようとしている説明が長くて、長くて、途中で飽きてしまった。もしかしたら大沢自身、本当に悪の経済の仕組みをわかってないのかもしれない。
この面白くない本に、盗人に追い銭みたいだったのが早稲田大学客員教授某の解説。スケールのが大きいとか躍動的とかで作品のヨイショをしていたかと思えば、某教授は自らを国際ジャーナリストと高く位置づけ、米国の秘密暗号機関「ブラックチェンバー」の解説でページを稼いでいた。まあ、作品も解説もどっちもどっちか。

「絆回廊 新宿鮫10」(14年 大沢在昌 光文社文庫)

口直しをした。シリーズ9「狼花」(10年 同文庫)からずいぶん開いてしまっていたが、シリーズ10を探し出して読んだ。うん、やっぱり新宿鮫はいい。愛する者をなくしたりでシリーズの終わりが近くなっていることを感じさせる。中国残留孤児をテーマにしているのはこの時代らしいが、いま読んでも古さは感じさせないのは舞台となる新宿が変わっていないせいか。
後半は怒涛のストーリー展開で、ドラム打ちの効果音楽をつけたらデニーロの「タクシードライバー」(76年 米)の殴り込みシーンを彷彿とさせる迫力。やっぱり、大沢はこうでなくちゃ。
新宿鮫シリーズが11まで出てるらしい。早く読みたい、新宿鮫中毒が再発。いかん。

2019年11月21日木曜日

ロバの耳通信「ゲーム・オブ・スローンズ」

「ゲーム・オブ・スローンズ」(11年~ 米HBO)原題:Game of Thrones、略称GOT

HBOはアメリカのテレビ会社。日本のWoWowみたいな会社だが、オリジナル作品が多いケーブルテレビ老舗。アメリカではケーブルテレビが発達していてHBOはNetflix、Huluと並んで評判がよく、安いビジネスホテルで「HBO無料」をウリにしているところも多い。

「ゲーム・オブ・スローンズ」については、アメリカで流行っている連続テレビドラマだとは聞いたことがあり、wikiで調べたり、動画サイトでチラ見したのだが、中世の騎士物語らしいこと、やたら登場人物が多いことで敬遠していた。たまたま見たAmazon Prime視聴で見始めたら、すっかりハマってしまってもはや中毒状態。無料視聴時間では見切れず、ついにAmazonの謀略に落ちて、有料視聴を続けるハメに。

舞台は中世ヨーロッパ。各地の王国の王たちが権力争いに明け暮れるというそれだけの物語なのだが、何が面白いかというと政略結婚、裏切りと追従、暴力とセックスなどが半端ないこと。首切りや手足の切断、火あぶりシーンとか、R15だとしてもこんなのテレビで放送してもいいのかと呆れるほど。それに、普段ならあまりにバカバカしくて見たくない火を噴くドラゴンやら悪魔を繰る魔女やらを待ち遠しく感じる面白さ。
登場人物が多すぎると名前も顔も中々憶えられないから見る前に心配していたのだが、主人公が謀殺や戦闘で簡単に死んでしまうし、近親結婚や落し子だらけだから、誰々は誰々のコなんてのは憶えるのがあほらしいほど。
生まれ(親)や育ち(大学)が人生を決めるといってもいいアメリカの上流階級をそのまま映していて、同時にそれらの人々の乱れた裏の生活を市井の人々が揶揄しているのが、大ヒットの理由だろう。かなりのハイペースで見てきた連続ドラマも半分を超えたが、まるで飽きないからしばらくはAmazonに支払いを続けるしかない。

こんなにテレビドラマにハマったのは「ウォーキング・デッド」(10年~ 米)以来か。ウォーキング・デッド」でもゾンビより、どうしようもない究極のワル(人間)が大活躍した。視聴者は押し寄せる人の不幸ーゾンビに襲われたり、ワルに騙され虐められる「他人の不幸」の連続で快感に打ち震えたのだ。

テレビドラマのヒットの秘訣は、「他人の不幸」をこれでもかと繰り返し見せ、視聴者に「蜜の味」を楽しませることらしい。

2019年11月17日日曜日

ロバの耳通信「ジョーカー」「ダイバージェント」

「ジョーカー」(19年 米)


テレビCMのジョーカーの顔がキモイ。映画雑誌の紹介でもバットマンの仇役のジョーカーの生誕のなんだらかんだらと書かれていたのだが、全然違っていた。

舞台は薄汚れたゴッサムシティー。汚いアパートで認知気味の老いた母親と暮らす、”突然笑いだすという持病”に苦しみながらも、貧乏暮らしからなんとか浮かび上がろうとするコメディアン志望の中年男をホアキン・フェニックスが好演。終わってみてもただ気味の悪さと不快感だけが残っただけ。こんな映画、誰が見るというのか。

このあいだ発達障害についての特集番組をテレビで見て、突然この映画のことを思い出し、ああ彼は発達障害だったのかもしれないと。だとすると、この描き方は酷い。出口がないじゃないか。偏見をさらに煽ってどうするのだ。


スコセッシ監督「タクシードライバー」(76年 米)の狂気を思い出した。

「ダイバージェント」(14年 米)

封切り時の予告編でチラッと見ただけだが主演女優(シェイリーン・ウッドリー)がゼンゼン好みじゃなく、まあ、嫌いなタイプだったから結局見ず仕舞い。市場ではそこそこ当たったのか、「ダイバージェントNEO」(15年)、「ダイバージェントFINAL」(16年)とシリーズ化されていることを知ってはいたが、「ハンガー・ゲーム」シリーズ(08年~ 米)、「トワイライト」シリーズ(08年 米)など、ヤングアダルトもので期待外れが多かったのでこの「ダイバージェント」も敬遠していた。
最近やたら頑張ってるGyaoで見つけ、雨降ってるし、まあ、ほかに見るものもないしと。Gyaoらしくなく画質も良くて、結構面白かった。「結構」とつけたのは、前半の丁寧な作りに比べ、後半の脈絡のなさと雑さが気になった。しかも、終わり方が中途半端だったから、続編狙いがアリアリ。ハンス・ジマーの音楽が良かったから、ま、いいかと。また、雨が降ったら、続編、見てみよう。

雨の日が続き「ダイバージェントNEO」(15年)、「ダイバージェントFINAL」(16年)を見ることになった。「NEO」は、オリジナルの延長のダラダラ。相変わらず先が見えず。「FINAL」は、ストーリー展開の無理もあったものの、ラストの見せ場も作り3作の中では、最も面白かった。しかし、最後の最後にボスキャラがVRで登場。ああ、そうだワルのボスは放置されたままだったのか。ということは、まだ続編出す気か。

2019年11月13日水曜日

ロバの耳通信「死役所」漫画とテレビドラマ

 「死役所」(19年 テレビ東京)

ブログのサーフィンを楽しんでいたら、10月から始まったテレビドラマ「死役所」が面白いと。原作は漫画だと。

連続テレビドラマはまだ始まったばかりということで先に漫画「死役所」(13年~ あずみきし 月刊コミック@バンチ:新潮社)をチェック。漫画は、第1話は無料という電子版のサイトがあり、これが、ハマった。そこからネットをめぐり歩き、とりあえず14巻まで一気読み。15巻以降は来年2月まで待ってと。漫画にハマるなんて、このところついぞなかった。

死んだヒトは、”シ役所”に回され、自殺だと”自殺課”、他殺だと”他殺課”などで死因により死亡届のようなものと”成仏申請書”を書かされ、天国行か、地獄行かが決められる。49日の期限内にこの手続きが終わらないと、真っ暗の”冥途の道”をさまようことに。”シ役所”の職員は死刑になったヒトたち、というのがなんとも意味不明だが面白い。
よく、こんなストーリー考えたものだと感心。絵はうまくないが、なぜか夢中になった。

前に見た韓国映画「神と共に」(第一章:罪と罰 17年)(第二章:因と縁 18年 韓国)が似たようなスジだったなと思い出し、韓国映画はやっぱり、パクリだったかと勝手に納得。

テレビドラマはTOKIOの松岡クンの主演でほかのキャスティングも良く、市役所を摸した”シ役所”のセットは、たぶんどこかの市役所を借りたのか。にわか作りのセットとは思われない出来で、手抜き感なし。対面机と電球色ランプ、こんな市役所があればいいのに。
原作に忠実なドラマ作りが良かった。日本のテレビドラマだと、流行りのタレント採用で恋愛モノが多く、普段見ることもなくなっていたのだが。これは面白い。見逃しても、ネット動画で追っかけられる、いい時代になったよね。

2019年11月8日金曜日

ロバの耳通信「いわさきちひろ展」

「いわさきちひろ展」

ずっと見に行きたかった「いわさきちひろ」。安曇野ちひろ美術館は遠い。石神井の常設展ならなんとか行けるかと考えているうちに通勤定期のない暮らしになってしまい、東京に出るのも億劫に感じていた。近くでピエゾグラフの「いわさきちひろ展」をやってるということで出かけてみた。約50点の水彩画に感動して、帰ってからピエゾグラフって何かと調べたら、スキャナーと高精細プリンターによる一種の複製らしい。水彩画用の紙の質感も、絵の具のにじみも全く本物との見分けはつかなかった。とにかく、行きたいと思っていた長年の夢がひとつ叶えられて、よかった。

展示会は、照明が黄色味ががっているうえ、額のガラスに反射してかなり見にくい場所もあったから、複製ならガラスを外して見せて欲しかったかな。
午前中のお昼近くという中途半端な時間だったせいか人もほとんどいなくてゆっくり楽しめたが、途中一か所、中年の女性二人連れが長々と、しかも声高で話していてそれが気に障った。静かにねとか言う勇気もなく、スルー。少し若い頃なら、人差し指を口に当てて注意を促すなり、立ち話なら外でやりなよ、とか絡んだりしたのだろうが、そんなことをしても不快感が自分に残るだけで、何も良いことはないどころか、下手をすれば逆上されてせっかくの「いわさきちひろ展」の思い出をオジャンにしてしまうことを恐れ、しっぽを巻いて逃げた。

隣のホールで、安田菜津紀の写真展「世界の子どもたちと出会って」を開催していて、入り口から何点かの作品が見えたのだが、結局中に入ることはなかった。絵画も写真も、ワタシは好きなのだが。

2019年11月4日月曜日

ロバの耳通信「T-34」「スリーピング タイト 白肌の美女の異常な夜」

「T-34」(18年 ロシア)

捕虜収容所で標的用のロシア戦車の整備を命ぜられたロシア兵がその戦車で収容所を脱出するというとんでもないストーリー展開だったが、史実だと。「鬼戦車 T34」(65年 ソ連)のリメークらしいがストーリーはかなり違うようだ。

ロシア映画らしい勧善懲悪、友情と国家愛の心情はわかりやすく、ドイツ戦車を次々に撃破するシーンの連続など戦時高揚映画の趣もあるが、砲弾が飛んで敵戦車の装甲をかすめるところに派手なCG演出も取り入れた迫力ある戦車戦をたっぷり楽しんだ。配役は誰もなじみがなかったが皆すばらしい演技で、特にドイツ軍将校役のドイツ俳優 Vinzenz Kiefer が秀逸。彼だけはどこかで見たような気がしていたら、「ジェイソン・ボーン」(16年 米)に出ていた。
戦車映画では先にブラッドピット主演「フューリー」(14年 米)を見たが、ドイツ女性と若い米兵の出会いと別れなど不自然で、後味の悪いシーンがいくつも出てきて好きになれなかった。戦車戦の「迫力」では断然、この「T-34」が優っていた。監督の腕だろうが戦車が回転する時「白鳥の湖」(チャイコフスキー)が流れるなど音楽効果も最高だった。エンディングのロシア民謡風の歌も抒情的で繰り返して聞いた。

「スリーピング タイト 白肌の美女の異常な夜」(11年 スペイン)

悪魔憑きの病原菌がヒトを襲うというとんでもないスジの映画「REC/レック」シリーズ(07年~ スペイン)ですっかり有名になったスペイン映画監督ジャウマ・バラゲロが手がけたのがこの「スリーピング タイト 白肌の美女の異常な夜」。題名は煽情的だがストーリーもしっかりした映画で、昔流行ったにっかつの例のシリーズとは出来が違う。
バルセロナのアパートの雇われ管理人が、合鍵を使い思いを寄せる女の部屋に忍び込みベッドの下に潜み、薬で意識を失わせた女に添い寝する。
ストーカーの管理人を演じるルイス・トサールがなかなかいい。ちょっと見は風采の上がらないハゲおやじだが、スペインでは有名な俳優で「マイアミバイス」(06年 米)ですでにハリウッドデビューも果たし「リミッツ・オブ・コントロール」(09年 米)などいくつかの映画で好演しているらしい。主演のルイス・トサールはストーカーされる女の役の女優マルタ・エトゥラとは愛人関係であったと。実に色っぽい。管理人の気持ちもわかる。

2019年10月28日月曜日

ロバの耳通信「12万円で世界を歩く」

「12万円で世界を歩く」(97年 下川裕治 朝日文庫)

変な性癖だと自分でも思う。面白い本を手に入れると読まずにカバーだけして本棚の端に積んでいる。これは、面白いに決まってるから後の楽しみにとっておいた本たち。想定は、入院したりしてじっくり本を読む機会ができたらこれらを読もうという企み。約20年前に入院した際、もともと活字中毒だったのに読む本がなくなり、家族に家にあった文庫本やら雑誌を持ってきてもらった思い出から、「いざという時」のために本を貯めこむようになった。時代は変わって、スマホやタブレットでいつでも本は手に入るし、病気とかで入院するとしてもいまどき本を読める状態まで入院できることもないと思うのだが、貧乏性のならいで本を貯めている。
この「12万円で世界を歩く」も、ブックオフで見つけ裏表紙の解説やパラパラめくって挿絵の写真から「お取り置き」に決めていた。花粉症がひどくて、図書館にゆくのも難渋し、ネット動画にも飽きたある日、「お取り置き」の下から2段目にあった本。ちなみにいちばん下にあったのは「虐殺器官」(10年 伊藤計劃 ハヤカワ文庫)でこの本、なかなか難しくて何年か前にもチャレンジしたのだが、ついて行けず挫折。今回も挫折。で「12万円で世界を歩く」を読んだ。
カンタンに言うと、いかにケチケチ旅行をしたかを書いた本。大変だったろうねと同情しつつも、節約が目的になってしまった旅行記は面白くもなんともなかった。ひとりで食べようととっておいたお菓子が期限切れ、の感。20年前だったら違う感想だったかもしれない。
同じケチ旅行なのだが、いつ読んでも、何度読んでも新しい感動を覚える「深夜特急」(86年~ 沢木耕太郎 新潮社)との違いは何なんだろうか。

2019年10月22日火曜日

ロバの耳通信 Netflix新作「イン・ザ・トール・グラス-狂気の迷路-」「アベンジメント」

「イン・ザ・トール・グラス-狂気の迷路-」(19年 米カナダ)原題 In the Tall Grass

夫婦に見える妊婦とその連れの男が車を止めたコーン畑の向こうから子供の助けてという声がする。ここから始まるスティーブン・キングの世界、キングの息子のジョー・ヒルとの合作小説が原作だというが、迷路、暗闇、犬、行ったり来たりの時間、インデアンの聖なる石。たっぷりのスプラッタもキング味。狂気の男を演じるパトリック・ウィルソンがマジ、怖い。

胸がざわつくって、こういうことなのか。大きな不幸がいまにも起きるのではないかと、不安の虜のまま。映画が始まって、終わるまで。終わっても不安のまま。映画を見て、こんなことになるなんていままでなかった。映画のあいだの絶え間ないざわざわ感は、おぞましいシーンの連続と独特の効果音のせいでもある。

誰も言ってないし何も書いてないが、ヒトが皆、最後には必ず経験するアレのことを暗示しているのではないか。暗い。食べ物も飲み物もなく、足元はぬかるみ。走れば、草が肌を傷つけ、気味の悪い虫たちが顔をはい回り、耳に忍び込む。自分がどこにいるのかわからない。呼び声はするが、どっちに行けばいいかわからない。
怖すぎてすぐには2度見る気にはなれないが、たぶんまた見ることになる予感。

「アベンジメント」(19年 英)原題 Avengement

スコット・アドキンスが暴れまわるB級映画。ブログで”こういうのもアリだよね”と、よさげな書き込みがあったのに。うーん、ギャングのボスの兄貴の片棒を担いで、捕まった刑務所で暴れる、逃げ出す途中で警官相手に暴れる、酒場で暴れるで、ずーっと暴れる。刑務所で何度も殺されそうになったのはチクられたと入れ知恵された兄貴に賞金をかけられたと知るや、最後は皆殺し。
スコットが刑務所でヤラれる凄まじい暴力シーンは、気分が悪くなるほど。どの国でもギャングはイヤな感じがするものなのだが、なんだか英国のギャングが余計にそう思えるのは口汚いスラングのせいか。見ない方がいいよ、Netflixで公開中のこの映画。

2019年10月18日金曜日

ロバの耳通信「テイキング・ライブズ」「境界線」

「テイキング・ライブズ」(04年 米カナダ)

ヒロインのFBIプロファイラーがアンジェリーナ・ジョリー、サイコの殺人犯がイーサン・ホーク、チョイ役ですぐに殺されるゴロツキがキーファー・サザーランドとこれ以上ない配役。タラコ唇のアンジェリーナ・ジョリーは好きな女優ではないが、この映画の中のアンジェリーナはセクシーでかわいい。イーサン・ホークもおもいきり異常者。DVDで初めて見て以来、何度目かの「テイキング・ライブズ」だが、よくできたストーリー展開と各シーンの丁寧な造りのセット、例えばサイコが暮らした隠し部屋などはよくできていて見るたびにドキドキ。
極めて個人的な好みではあるが、ケベック市警の刑事役(だから半分はフランス語)でイスタンブール生まれの仏俳優チェッキー・カリョ<「そして友よ、静かに死ね」(11年 仏)でロマ人(ジプシー)のギャングを演じたが、主役のジェラール・ランヴァンとともに、哀愁あるギャング役がメッチャ渋い。ジャン・ギャバンを思い出す・・>が良かった。
傑出したミステリー映画だと思うが、意外に評価は低い。まあ、映画というのは所詮、「好み」だから。

「境界線」(17年 アイスランド・米)

アイスランドを訪問中の若いカップルだけがなぜか、無人の街に取り残されるというある意味心躍る(うーん、ワタシだけか)映画。誰もいなくなったショッピングモールだから、服も食料もすべてタダ。車も乗り放題。どの家も住み放題。自分でメシの心配をしなくてはならない不便さはあるのだけれど、こういうの楽しいんじゃないかと思う。片方だけが残されるという暗いラストなのだが、アイスランドの大自然はとにかく美しい。行ってみたい、アイスランド。寒そうだけど温泉もあるし。
なぜ二人だけが取り残されたかとかそういう説明は一切ない。怪しげな説明をされればウソっぽくなってしまうからこのままでいい。

2019年10月14日月曜日

ロバの耳通信「インデックス」「ママの狙撃銃」

「インデックス」(17年 誉田哲也 光文社文庫)

姫川玲子シリーズ「ストロベリーナイト」(08年 光文社文庫)ほかで、すっかり姫川ファンになっていたから、姫川警部補の活躍短編集ということで期待しながら読み始めたが、すっかり戸惑ってしまった。「小説宝石」など月刊誌などで発表されたものを搔き集め文庫にした8編の短編集。途中でやめようと思ったのだが、冷静に考えれば、面白くないわけではなく、誉田の作品に過度の期待をし過ぎただけかと。最終の2編「夢の中」「闇の色」が連作になっていて、わが子を捨てても浮かぶことの出来なかった女を描いた掌編が感動した。400ページ強、最後まで読んでよかったとしみじみ。誉田も姫川もやっぱりワタシを裏切らなかった。

姫川玲子シリーズの面白さは、姫川をはじめ一緒に働く刑事たちの突出したキャラクター。”ガンテツ”勝俣警部補、”有罪判決製造マシン”日下警部補、”たもっつあん”石倉巡査部長、ほかたくさんの刑事たちが実にユニークに描かれている。ワタシの好みは自らを、姫川と”赤いワイヤーロープで結ばれている”と横恋慕し、インチキ関西弁で姫川を口説くことをやめない楽しいキャラの井岡巡査部長だ。

「ママの狙撃銃」(08年 荻原浩 双葉文庫)


裏表紙の解説に”荻原浩の新たな地平”とあって、イヤな予感がした。流行作家が新機軸を打ち出したと書かれていたら、ワタシの読書経験から、それは著者の著者らしさの喪失であり、「だいたい」は面白くなくなると思っているから。「だいたい」と書いたのは、ハードボイルド作家の北方謙三が「三国志」(01年~ ハルキ文庫)ほか中国古典でワタシを虜囚にしてしまった例外を知っているから。

萩原については面白い作品がいくつかあったという程度の印象だったのだが、この「ママの狙撃銃」は全く好みに合わなかった。ママは幼い頃アメリカで育ち、暗殺を生業にしていた祖父に銃の扱いを教わり、祖父の友人の誘いを受け一度だけだが暗殺の仕事をしたことがあると。日本に戻り、今は夫と子供ふたりの平凡な暮らしの主婦に、25年ぶりに暗殺の仕事が舞い込むーと、まあ、とんでもないスジ。萩原は文章がうまいのだからハードボイルドに徹すれば面白い題材になったと思うのだが、ユーモアとドタバタコメディの味を付けすぎて、中途半端なものになってしまった。うーん、荻原のマイナスポイントが増えた。

2019年10月7日月曜日

ロバの耳通信「バード・ボックス」「ザ・グラビティ」

「バード・ボックス」(18年 米)

見たら死ぬ”のキャッチコピーだけを標(しるべ)に、自分もアイマスクをしている感覚。手探りで、何かが出てくる、今に出るぞとオバケ屋敷の怖さ。何が出たか、何が怖かったか、ココでは明かせない。是非、見てくれ。サンドラ・ブロックと二人の子供が良かった。ワタシも彼らと一緒に、目隠しをして逃げた。
昨年末にヒットした映画がほぼ1か月でネットで見れる。なんだか、おかしな世の中になったものだと思うが、おかげでインフルエンザにびくびくしながら映画館に行かなくていいし、気に入ったところを何度も楽しめる。ただ、これでいいのかといつも思っている。

「ザ・グラビティ」(13年 独)

サンドラ・ブロックが宇宙に取り残された「ゼロ・グラビティ」(13年 米)に比べ、CG<コンピュータグラフィック>以外で競うところはない。つまりは「ゼロ・グラビティ」より、ずっとつまらない作品。
粒子加速器でブラックホールを作ったらそのブラックホールのせいで地球のコアが止まってしまいーどういう根拠かわからない、ここらへんを観客を納得するような説明をしてくれれば、よかったのに、地球滅亡の危機にーというパニック物。父子家庭の娘の非行やら、若い科学者の活躍やら、いくつかのサブストーリーが語られる。それらが段々とカタチを見せながら大きな映画の流れになり人々の愛と力で地球を救うーというのがパニック物の定石だとおもうのだが、脚本の甘さか「ザ・グラビティ」のサブストーリーはバラバラで時間だけが過ぎ、最後までどこにも集約することもなく途中で飽きてしまった。
「ゼロ・グラビティ」は登場人物はほぼふたりだけ、ステージも宇宙船だけという舞台劇のような設定で息をつかせぬ物語だったのに。

2019年10月3日木曜日

ロバの耳通信「神と共に」「誰よりも狙われた男」

「神と共に」第一章:罪と罰 17年)(第二章:因と縁 18年 韓国)

韓国で大ヒットしたという2部作だが、日本ではテレビCMの割りに話題にもならなかった。
ストーリーは人命救助中に亡くなった消防隊員と兵士を無事輪廻させるために3人の男女の弁護人が一緒に地獄めぐりをするというもの。地獄には7つのゲート、それぞれにナントカ地獄とよばれているところがあり、それぞれにエンマ大王みたいなのがいて、輪廻に適する(生まれ変われる)かどうかを裁く。悪事や怨みを持っていると輪廻に適さないということで巨大石臼に潰されたり、奈落に落とされたりの無限地獄に。第一章は消防士の地獄めぐりの旅で副題のように罪と罰がテーマ、第二章は消防士の弟(発砲事故で死亡)の兵士の旅では、弁護人たちの遠い過去の結びつき(因縁)が語られ、そして泣かせる。うーん、負けた。


韓国ウェブ漫画の映画化ということと韓国人と日本人の生死感は違うと思い込んで舐めていたら、段々引きずり込まれてしまった。韓国映画の底力は到底邦画の及ぶところじゃないと実感。地獄のオドロオドロしさや、魔物・怨霊・はては恐竜との戦いなどグラフィックの出来が半端ない。配役も韓国映画ではおなじみの役者たち。たくさん見てる割には、名前と顔が一致していないが、監督のキム・ヨンファ、配役のハ・ジョンウ、キム・ヒャンギ、チェ・ジフンなどなど確かになじみの面々。制作としても力をいれたということか。特に、キム・ヒャンギの可愛さがよかった。いま18歳、韓国にはいないタイプ。

「誰よりも狙われた男」(14年 英米)


ドイツ・ハンブルグを舞台にしたスパイ映画。原作は英国の小説家ジョン・ル・カレの同名のスパイ小説(14年 ハヤカワ文庫)。ル・カレらしく騙し騙されのスパイミステリーでとても数行で説明できるものではないからやめるが、ドイツ諜報機関のテロ開発チームリーダー役をフィリップ・シーモア・ホフマン(あの「カポーティ」(05年 米)でアカデミー主演男優賞を獲った米俳優)が好演。結局彼もCIAと組んだ警察に裏切られる格好悪い役(本作が遺作)。スパイたちの顔やしぐさ想像しながら読んだ本も面白かったが、この映画では後ろ暗い過去を持つ銀行家をウィレム・デフォー、テロリストを助ける女弁護士役にはゼンゼン見えないとても色っぽいカナダ女優レイチェル・マクアダムスなど個性的な配役も、音楽も良かった。

ル・カレをはじめて読んだのはワタシが20歳の頃。片っ端から読んでいた新書版サイズのハヤカワノベルスのなかで見つけた「寒い国から帰ってきたスパイ」(64年 ハヤカワノベルズ)、それ以降ずっとファンで「パーフェクト・スパイ」(94年 ハヤカワ文庫)、「影の巡礼者」(97年 同)、「ナイロビの蜂」(03年 集英社文庫)、「地下道の鳩―ジョン・ル・カレ回想録」(18年 ハヤカワ文庫)など今に続いている。どれも薄暗い地下道を歩くような気持ちになる作品ばかりだが、どんなに迷っても出口を見失うようなことにならないから不思議。

2019年9月26日木曜日

ロバの耳通信「天気の子」

「天気の子」(19年 邦画)

いただきものの映画券の使用期限が迫っていて、何を見ようか散々悩んで「天気の子」。カミさんは怖いのと悲しいのはイヤだというし、私はブラピの新作「アド・アストラ」を主張したのだが、確かにSFはカミさんの趣味じゃない。で、アニメだけれど話題作だからいいかと。平日とはいえ空席だらけの映画館は快適で、初体験のLサイズのポップコーンを抱えての久しぶりの映画会だった。

終わったあとの、カミさんとの批評会。音楽が良かったけど、音楽がなかったらどうだったかね。実写じゃないせいか、風景や表情から伝わるはずの感情とかがあんまり伝わらなくて、残念だったね。と、ワタシと同じ映画評。
「天気の子」で、監督も気合を入れたと思う雨のシーン。水の表現とかも、やっぱりアニメの限界かな。本物の雨の情景から感じられる、雨の匂いとか雨に叩かれた、葉っぱや水たまりの匂いとかを一生懸命嗅ごうとしたんだけどね。

明け方、夢に出てきた職場にいた笑顔がいい女のコに近づいて、するはずのいい匂いがしないことから夢だと気づいてしまって眼をさまし、だんだん明るくなる部屋のなかで、「天気の子」の雨も、何の匂いもしなかったとあらためて思い出した。そんなものをアニメに求めちゃいけないのだろうけれども、カミさんがずっと言っていた、何かが伝わってこないんだよねという残念さは、CG映画の「アリータ:バトル・エンジェル」(19年 米)の時も感じたね、確かに。

この前に見た「キングダム」(19年 邦画)より良かったと、これも同意見。まあ、アレはアレで面白かったけど。

同じ新海誠の「君の名は。」(16年)と重なるところがあったかな。ストーリーに乗っかって主題歌が映画の進行役になるところとか。「天気の子」で使われていた、映画の技法なのだろうか。画面の切り替えのフィルムマークのかわりに、画面が突然暗くなって、音もしない、ほんの1-2秒の間、思わず息を止めてしまった。また映画が始まり、ほっとした。そんなことが何度か。うん、映画館で見れてよかった。

2019年9月23日月曜日

ロバの耳通信「女がそれを食べるとき」「時が滲む朝」

「女がそれを食べるとき」(13年 楊逸<ヤン・イー>選 幻冬舎文庫)

女流作家による”食と恋”の小説集。軽い気持ちでは読めない。どの作品も切迫して苦しかったり、哀しい気持ちになったりする。女性は食べることと恋愛することを連続して、あるいは区別しないでおけるものなのか。怖い気がする。
男が考える理想の女を男より的確に表現できるのが女だなんて、悔しい気がする。ずるい、ずるいと大きな声で文句を言いたくなる。

カミさんに、これはいい本だよ、なかなかこういう本はないよと言ったら、またかよという顔をされ(ワタシがすぐに感動したり、感激するのをカミさんに読まれてしまっている)、ソレ、ワタシが借りてきた本よと逆襲された(またもや、そうだったのか)。

9の掌編の最初の「サモワールの薔薇とオニオングラタン」(井上荒野)のラストは驚きで声をあげそうになったし、「晴れた空の下で」(江國香織)では6ページにも満たない超短編に、老いることがみじめで悲しいことばかりでないと感じたし、「家霊」(岡本かの子)や「贅肉」(小池真理子)は朗読サイトで何度も聞いた作品ながら、真っ白ではない行間と行間の間の文字を追いながら読み進める楽しさを「また」感じた。2編(幸田文、河野多惠子)は何度も読んでいたから、さらに1編は作家がキライだから飛ばし、「間食」(山田詠美)にヒト(過食症の姉)の不幸は蜜の味を味わっているうちに自分も不幸になってしまった妹に同情し、「幽霊の家」(よしもとばなな)では、貧乏人には決して育たない感性豊かなよしもとワールドをたっぷり楽しめた。


「時が滲む朝」(11年 楊逸<ヤン・イー> 文春文庫)

日本語を母国語としない作家としては初めての芥川賞受賞作だという。人物の描き方や物語の構成で不満が残る。衒ってまでこの作品に賞を捧げた審査員の良識を疑う。

2019年9月18日水曜日

ロバの耳通信「花、香る歌」「ザ・ガンマン」

「花、香る歌」(16年 韓国)

韓国の「国民の初恋」ぺ・スジ主演で、スジのために作られた映画。こういう映画を見ると、普段陰湿なノワールモノばかりを選んでみている韓国映画と同じところで作られたとは思えないくらい。女は参加できないといわれてきた韓国の伝統芸能パンソリ、まあ日本の田舎歌舞伎みたいなものか、の歌い手を目指した少女の物語。

映像は美しく、抒情的なストーリーで、スジをより可愛く表現している。女性ボーカルグループMiss Aのメンバーだから歌もうまい。腹の底から声を出すパンソリの歌い手だから、半端なくうまい。スジの師匠役のリュ・スンリョンが権力と出自の貧乏の挟間で苦しみ哀愁ある歌を歌う中年男を演じていて、忘れられない映画になった。 うん、スジは可愛い。実に可愛い。

「ザ・ガンマン」(15年 米ほか)

西部劇のような題名の映画でショーン・ペンの主演、あまり売れなかった映画ーという記憶だけがあったが、ショーンの大ファンだし、ということで。元特殊部隊狙撃手の復讐劇で、コンゴ内乱と鉱物資源を狙う国際組織などオモシロ要素を散りばめ、4か国の共同制作、配給はフランスの有料テレビ配給会社Canal+、配役も各国から往年の俳優をかき集めた。西部劇なみのドンパチでショーン大活躍のアクション映画と割り切り、面白く見た。なぜ、ザ・ガンマン(原題: The Gunman)なんておかしな題にしたのか不明。原作の「眠りなき狙撃者」(14年 ジャン=パトリック マンシェット 河出文庫) のほうがずっと良かったような気がする。

ラスト近く主人公がスペインの水族館の迷路のような水処理場で追いまわされるところが、あの名作「マラソンマン」(76年 米)で主演のダスティン・ホフマンがセントラル・パークの排水処理場で追いつめられるシーンとソックリ。米映画批評サイトRotten Tomatoesではボロクソ(4.4/10)の評価だったが、ワタシは面白かったよ。

2019年9月14日土曜日

ロバの耳通信「84★チャーリー・モピック ベトナムの照準 」「テイク・シェルター」

「84★チャーリー・モピック ベトナムの照準 」(88年 米)

偵察作戦に同行した軍の映画カメラマンの目でGIたちを情緒豊かに描いている。映画の最後には小隊メンバーのほとんどを失い、カメラマンも死んでしまうのだが、ほぼ同年に多数公開された「プラトーン」(86年)、「ハンバーガー・ヒル」「フルメタル・ジャケット」(87年)、「7月4日に生まれて 」(89年)ほどの悲惨さはない。高揚でも反戦でもない、この映画、「バット★21」「ブラドック/地獄のヒーロー2、3」(85年、88年)などと同じく、中途半端さになんだか落ち着かない。

ベトナム戦争を題材にした映画で最も記憶に残っているのがオリバー・ストーン監督の「天と地」(93年)ベトナム難民生まれで若くして亡くなったヘップ・ティ・リーとトミー・リー・ジョーンズの悲恋物語で話題にはなったが、哀しすぎて売れなかった映画だ。




「テイク・シェルター」(11年 米)

妻と耳に障害を持つ娘と平凡な暮らしをしていた工事現場で働く男が竜巻に襲われる夢を見て、その恐怖に囚われてしまい、ついには自宅にシェルターを作るという物語。
統合失調症というのだろうか、悪夢と脅迫観念の連続に仕事も失ってしまうのだが、名優マイケル・シャノン演じるこの男。統合失調症だったという母親の遺伝も心配しつつ、自らの不調にも追いつめられてゆく迫真の演技がいい。監督・脚本のジェフ・ニコルスの力もあるだろうが、妻役を演じるジェシカ・チャステインの演技が光っている。ラストで竜巻に襲われるシーンがでてくるが、これが本当に竜巻なのか、男のココロの中のできごとなのかわからない。
時代設定が明らかではないが、アメリカの田舎町で生きる平凡な家族の暮らしが描かれている。日曜には教会に行き、実家で老夫婦を入れての食事。親の時代からお世話になっているホームドクター、ママ友たちとのパーティー、医療保険の仕組みやら薬局でのやりとりなど「普段着のアメリカの暮らし」が、90年代にアメリカで暮らしたことのあるワタシには懐かしかった。情景は懐かしい映画だが、精神的にまいってゆくマイケル・シャノンの表情が辛すぎて、また見たいとは思わない。
多数の映画賞を獲得しながらも、興行的には失敗作と言われているのは、この暗さのせいか。

2019年9月6日金曜日

ロバの耳通信 あきらめた2冊「リピート」「ROMMY 越境者の夢」

「リピート」(07年 乾くるみ 文春文庫)

時間ループ、というのらしい。要は時間を行ったり来たりができることで、まあタイムマシンのようなものか。こういうものには時間をさかのぼると、未来が変わるというパラドクスについて長い説明があるのだが、この本でもグダグダ書いてあった。

解説によれば、時間ループを題材にした同じような小説は沢山あるらしい。登場人物がひとり減りふたり減りするのもよくあること。裏表紙には「リプレイ」+「そして誰もいなくなった」に挑んだとある。何だ、パクリかと。こういうとんでもない話は、最初に考えた作家は偉いと思うのだが。とにかく、この「リピート」は時間ループを正当化させるのに時間をかけていて、やたらと理屈っぽい。登場人物の描き分けもいいかげんで、なにより脚本がキチンと書けていない映画のように、成り行きだけで進んでゆくから退屈このうえない。500ページの長編だがガマンしてやっと140ページ、本当ならここらで面白くなるはずのところに行きつかず放棄してしまった。
時間ループと似たハナシだったら、記憶が一日でリセットされるという病気にかかった女性と彼女に恋をした青年が毎日恋に落ちるという「50回目のファーストキス」(18年 邦画)がよかった。この映画では、記憶が一日でリセットされる病気に小難しい理屈を付けず、事故の後遺症とサラっと言ってしまっているから、そっちはどうでも良くなって、毎日恋に落ちるふたりの真剣さ(ワケよりナカミ)を祝福したくなった。

「ROMMY 越境者の夢」(98年 歌野晶午 講談社文庫)

また、失敗してしまった。夕刻の図書館、「もうすぐ閉館しますので貸し出しの方は急いでカウンターに」の声を聞いて、タイトルと講談社文庫の背表紙、新しい文庫本ということだけで、よく見ずに掴んで借り出してしまった。家に着いて、さてどれから読むかと借り出した本を広げていて気付いた。「ゲッ、歌野晶午ではないか。」いままで何冊もチャレンジしていて、どの本も出だしのせいぜい数十ページで放棄していた作家だ。そういう偏見が私の頭に刷り込まれていたせいか、この本も50ページと進まないうちに嫌気がさして放棄。ROMMYというミュージシャンが殺され、犯人は誰かというまあ、ミステリー小説らしかったのだが。
歌野の小説の何がイヤなのか、どう気に入らないのか自分でも全く説明できない。相性を言うほど深く付き合ったわけでもない。私も先行きそう長くはないし、読みたい本はいくらでもあるから、気に入らない本は読まなければいいと自分に言い聞かせてはみるのだが、いかにも寝覚めが悪い。まいったな。

2019年9月3日火曜日

ロバの耳通信「ザ・シークレットマン」「暁に祈れ」

「ザ・シークレットマン」(17年 米)原題 Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House

リーアム・ニーソンがFBI副長官マーク・フェルトを演じた。マーク・フェルトは、ウォーターゲート事件の真相を新聞社にチクってニクソン大統領を辞任に追い込んだ密告者”ディープ・スロート”。ポスターの釣りは”権力には屈しない 相手が大統領であっても”と、ヒーローのような扱いをしているが、映画を見たワタシの印象はかなり違う。融通の利かないFBIのNo.2が、急死したフォーバー長官の後釜になれなかったことを逆恨みして、秘密を暴露することで腹いせーというのがこの映画がウラで最も表現したかったことではなかったか。


FBI内でも人気がなくパワハラしまくりのマーク・フェルトを演じたのが暗い印象のリーアム・ニーソン。不幸な生い立ちから、外で苦労している夫に嫌味三昧のダイアン・レイン。こんな奥さんだったら、FBIのNo.2という要職でも、プール付きの大邸宅に住んでても、そりゃストレス溜まって、どこかにハケグチを求めるだろうと、実直役人に同情してしまった。リドリー・スコットの名前があったが、監督じゃなく製作だと。リドリーらしい切り口はどこにも見えなかったから、看板だけ売ったか。アクの強い官僚(マートン・チョーカシュ、トニー・ゴールドウィンとかほかの映画でもだいたいワルモノ役)が活躍する。面白かったが、なんだか後味の悪い映画だった。

「暁に祈れ」(17年 英仏)

タイでヤクザな暮らしを送っていた英国人ボクサーのビリー・ムーアが麻薬所持で刑務所に入れられ、そこでムエタイを学び更生のキッカケを得るという実話に基づく。辛口で知られる映画批評サイトで96点という高スコアを得た映画ということで多いに期待して見た。ドキュメンタリーだから奇抜なストーリー展開なんかはないが、タイの刑務所は地味に恐ろしい。言葉も通じない途上国の刑務所で、全身入れ墨のキタナイ男たちに囲まれるなんてゾッとする。

主演のジョー・コールは英国では結構メジャーな俳優。監視ロボットを通じて地球の反対側にいて遠距離交際する男女を描いた「きみへの距離、1万キロ」(18年 カナダ)が良かった。同名だが、元イングランド代表でアメリカのプロサッカーリーグで活躍しているジョゼフ・ジョン・"ジョー"・コールは別人。

あのカルロス・ゴーンは拘置所では個室暮らしだったというから、タイより多少はいいにしろ、いままでの王侯貴族のような暮らしだったろうから、そりゃ辛かったろう、同情はしないが。

「暁に祈れ」(原題 A Prayer Before Dawn )、なんだか聞いた気がした。同じような名前の映画とかがあったかと調べてみたら、征戦愛馬譜という副題のついた戦時映画「暁に祈る」(40年 邦画)とその主題歌(伊藤久男)があるらしい。