2021年12月30日木曜日

ロバの耳通信「30年後の同窓会」「7500」

新型コロナ肺炎の蔓延で、出かける機会がぐっと少なくなってしまった。映画も美術館も、車でちょっと遠くに出かけテイクアウトの食品などを買い込みカミさんとホテルでオン・デマンドの映画を一緒に見る、なんてこともなくなってしまった。そういう普通の暮らしが懐かしい。

テレビもなんだかつまらなくて、今は朝に動画サイトをチェックすることと、夕方にスマホで新型コロナ肺炎の”今日の感染者数”をチェックするのが習慣になってしまった。また増えてる・・オミクロンも増えてる。一喜一憂してもしょうがないと分かっているのだが、湧き上がってくるような不安は消えない。

「30年後の同窓会」(17年 米)原題:Last Flag Flying

アフガン戦争で死んだ息子の葬儀にベトナム戦争の戦友だったふたりに参列に依頼、3人の元海兵隊員で棺を故郷に持ち帰るという物語。

戦死した兵士の棺を軍人が付き添い移送する米軍のシキタリはケビン・ベーコン好演の「TAKING CHANCE/戦場のおくりびと」(09年 米)で知り、一種の感動を覚えた記憶もあったが、どうも今もこのシキタリが続いているらしいことに感動の想いを新たにした。

太平洋戦争の旧日本軍ではそういうシキタリはなかったようだが、災害派遣などで亡くなった自衛隊たちの棺はどうしているのだろうか<無念にも似たこの思いの事を前にもどこかに書いた気がする>。

映画の主題は何だったのだろうかと考える。無茶をした戦友との友情物語か、映画の中で息子を亡くした老いた母親が息子の戦友に問う、何の目的の戦いだったのかと。仲のいい両親に恵まれ楽しい少年時代を過ごしたと思い出を戦友に語りながら死んだ息子への追憶か、悪い環境に育ち幼い頃に父親を亡くしやることもなく兵士になった青年の物語か。泣きどころ満載の映画だが反戦の思いは充分に伝わった。

「7500」(19年 米・ドイツ・オーストリア合作)原題:7500

ベルリンからパリに向かうエアバスがテロリストの乗っ取りに遭い機長は殺され、負傷した副操縦士(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)によりハノーバーに緊急着陸する。

副操縦士と若いテロリストとのやり取りや副操縦士の恋人の客室乗務員の死など枝葉のストーリーはあるが、ただそれだけ。ハラハラはするが、操縦席のシーンだけで緊張感を持ち続けさせるのは難しい。

主演のジョセフ・ゴードン=レヴィットは好きな俳優だし、今まで「G.I.ジョー」「インセプション」「ダークナイト ライジング」「LOOPER/ルーパー」「スノーデン」など多くの作品を楽しんできたが、彼の持つ優しい表情やフッと見せる軽妙さが場違いに思えるこの「7500」の副機長役はミスキャストだ。

2021年12月25日土曜日

ロバの耳通信「それからはスープのことばかり考えて暮らした」「柔らかなレタス」

「それからはスープのことばかり考えて暮らした」(09年 吉田篤弘 中公文庫)

連作ではあるがトリトメのない話であるから、どこから読んでもよさそうーとおもっていたら、ズンズン引き込まれてしまった。悔しいほどステキ、としか言いようのない本だった。この映画好きの主人公が何回も見た映画のどこが好きかと下宿屋のオバさんに聞かれるところがあり、その映画は”中の下”だが、チョイ出の女給役の女優が好きだからと説明するところがあり、同じく映画好きのワタシもそういうことが良くあると。うん、うんわかるよと、ニヤニヤしながら読んだ。映画も本も自分に似た誰かが自分の好きな誰かにめぐり合うとか考えると、ドキドキしてしまう。いい歳してオカシイ、と自分でも思う。
とにかく、どこを切り出しても暖かく、いい気持ちになれる。オシマイに誰かが亡くなったり、わけもなく無限大にハッピーになったりもせず、「おいしいスープの作り方」で終わる。こういう本が一冊書けるだけでもいいな。こういう本を一冊書く才能なんか、到底及びもつかないけれど。いちばん気に入ったところは、”おいしいものを作るには、一生懸命だけでは足りない”と、一生懸命というのは、たいてい自分のためだけで、それだけでは足りないと。うーん、この読み終えたときの満足感は何だ。また、読みたくなるこの気持ちをどう説明すればいいんだ。

「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)

江國の本は何冊か読んでいて、たとえば「左岸」(08年)はちょっとウルっときたラブストーリーで好感。味をしめて臨んだ「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(07年)はちっとも面白くなくて、相性が悪そうだからしばらく江國はやめておこうと思っていた。
「柔らかなレタス」(13年 江國香織 文春文庫)は週刊文春に連載のエッセイを集めた本で、”読むと必ずお腹がすきます”と紹介文にあった。うん、うんそう思った。

なんだか、江國のことを誤解していたのかな、やさしいいい本じゃないか。一冊くらい、性に合わない本に出合ったからって、そう偏見で見てはイケナイのだと、深く反省。「フライパン問題とめだま焼き」なんて、ほとんどワタシの気持ちそのもの。うん、ワタシもかねがねめだま焼きなんて、グロい名前だなーと思っていたんだ。
めだま焼きは大好きで、たまたま昨晩見ていたYouTubeの朝ごはん紹介動画でどこかのアンチャンがフォークですくっためだま焼きーアメリカのめだま焼きの黄身は日本のソレよりずっと白っぽいーを実にウマそうに食べていて、今朝は起きる前からめだま焼き、めだま焼きと頭がいっぱいになっていた。

2冊ともカミさんが借りてきた本。思いがけなく、いい本に会えた。よかった。すこし前に、たとえば一万円の本と金額を指定すると、その人が好きそうな本を選んで送ってくれるという地方の本屋さんが大流行りだと。ケチだから一万円は、受け入れることはできないが、そういう本の選び方は案外いいと思う。

2021年12月20日月曜日

ロバの耳通信「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」「マスター・プラン」

 「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」(21年 米)原題:Venom: Let There Be Carnage

「ヴェノム」(18年)の続編。トム・ハーディの大ファンで、もしかしたら続編のほうが面白いかもとの淡い期待、アテにはならないが映画雑誌などで結構高評価ということから、相性の悪いマーベル・コミックのスーパーヒーローだけどまあ見てみるかと。やっぱりダメだった。本編もどこが面白いがわからず途中で放棄した記憶があったが、この続編も途中早送り。

凶悪殺人鬼役のウディ・ハレルソンだけはいつものキャラで面白かったが、なにせ架空の生物ー宇宙からの共生体ヴェノムとその変位体カーネイジ(原題はココから。元の意味は殺戮者)がスクリーンいっぱいに暴れまわるCGだらけの映画だから、正直な感想は”こういうハチャメチャにはついていけん”

「マスター・プラン」(14年 スウェーデン)原題:Jönssonligan – Den perfekta stöten

自動車窃盗を生業にしている男(シーモン・ベリエル)が盗んだ車の持ち主の国際金融会社の女社長から仕返しされ相棒を殺されてしまう。男はその女社長に復讐すべく詐欺師、爆破のプロ、金庫破りのプロを雇い、国際金融会社の地下金庫から60億円を奪うというスジなのだが、この映画のウリはハラハラする予想外のことに対し、いわゆるプランBで対応してゆく展開。娯楽作品としては当たり前なのだろうが、まさに予想外の展開にドキドキ感が抑えらずクギ付けになった。

いかにも北欧系、インテリ風マスクのシーモン・ベリエルが良かった。タブーな兄妹愛を描いた「妹の体温」(15年 ノルウェー)の兄役も良かった。

原題にJönssonliganとあるがシリーズ作品らしく、探索中。普段あまり見ることのないスェーデン映画だが、これは気に入ったよ。


2021年12月15日水曜日

ロバの耳通信「クライ・マッチョ」「THE GUILTY/ギルティ」

 「クライ・マッチョ」(21年 米)原題:Cry Macho

クリント・イーストウッドの映画(製作・監督・主演)ということでどうしても見たかった。彼の作品のほとんどを見ていて、ストーリー展開に戸惑ったことなどついぞ経験がなかったから予告編も書評もパス。ワーナー・ブラザースのオープニングマークだけで、期待感で喉の乾き。

昔はロデオの名手、いまは馬の調教師で細々と暮らしを立てている老カウボーイがイーストウッドの役。古い友人から、メキシコにいて前妻と暮らしている息子を連れ戻してくれと頼まれる。時代は70年代。貧しい町で闘鶏で暮らしを立てていた少年を、前妻の手下のギャングに追われながら国境まで連れ帰るそれだけの物語。老カウボーイとメキシコ少年の交流なんて、クリント・イーストウッドにピッタリの作品じゃないか。少年を国境の父親に引き合わせ、自らは途中で世話になった食堂の店主、孫たちと暮らす未亡人のもとに引き返す。

原題のMachoはいわゆるマッチョ(強い男)の意味と少年が飼っていて、ラストで老カウボーイに託される雄鶏の名前。訳せば、泣くなマッチョか。

クリント・イーストウッドはこの作品の撮影時は90歳くらいか。ヨレヨレのジジイが未亡人に請われてダンスを踊るシーンで流れたスローのラテン音楽に涙が出そうになった。この曲、タイトルバックにも流されたのだが、歳を取ること、いろいろなことがうまく行かないままに暮らしを紡いでいる自分をこの作品の老カウボーイに重ね合わせ、またセンチメンタルに浸る事ができた。


「THE GUILTY/ギルティ」(21年 米)原題:The Guilty

緊急通報室(911 日本の119に相当)のオペレーターのジョー(ジェイク・ジレンホール)は裁判待ちの刑事。若者を殺してしまったが、明日の裁判で同僚に正当防衛の証言をしてもらう約束をとりつけてはいるものの心中穏やかではない。数年前に離婚し、娘を妻にとられて声だけでも聞きたいと夜中に元妻に電話するジョー。もちろん断られ、持病の喘息の調子も良くなく吸入器が離せない。つまりは、八方塞がりのパツンパツン状態のジョー。

そんな時、誘拐されているという女性からの911コール。女性のハナシは要領を得ず、救助を手配しようにも車や場所の特定もできない。パトカーに救助を依頼するも情報不足で動けず。女性の幼い娘やダンナも追っかけて電話するが、こっちもうまくゆかず、ジョーは茹で蛙状態。

最初に電話をかけてきた女性が精神病で、ダンナが病院に連れてゆこうとしていたという事実に気付いたジョーは自分の早とちりに精神崩壊。

薄暗い緊急通報室のブースの中で額に脂汗をにじませたジェイク・ジレンホールがヘッドセットを通して、なだめ、すかし、大声をあげているのを見続けた約1時間半。疲れた、が面白かった。

同名のデンマーク映画(18年)のリメイクだそうだが、オリジナルも見たい。TBSラジオがオーディオドラマ化した(wiki)ということで探したらYouTubeに。YouTubeはスゴイ、が、TBSラジオのソレは、声優のせいか、脚本の出来のせいか、多分両方のミスキャストだろうが、ひどいものだった。

字幕付き映画のジェイク・ジレンホールは、声も表情も圧巻の出来だった。ポスターも最高!


2021年12月10日金曜日

ロバの耳通信「トレジャーハンター・クミコ」「ヒットマン・ボディーガード」

「トレジャーハンター・クミコ」(14年 アメリカ)

30歳を前に、上司から退職を勧められたOLのクミコ(菊池凛子)のお友達はウサギだけ。口うるさい実家の母から結婚を迫られ、職場では若い同僚たちの仲間にも入れない。クミコは、実話をもとにしたという「ファーゴ」(96年 米)のビデオの中の誘拐犯が雪の中に多額の現金のはいったカバンを隠したシーンを実際の出来事と信じて、アメリカに旅立った。
映画前半は、希望のない暮らしを送るネクラのクミコの暮らしが描かれ、後半は善意のアメリカ人たちが次々に出てきて宝探しをするクミコを助ける。


”映画を鵜呑みにしてアメリカでお宝探しで迷って死んだ日本人(コニシ・タカコ)がいるらしい”という都市伝説(wiki)に基づいて作られた映画らしいが、閉塞感だらけの暮らしから夢の世界に飛び出したクミコの気持ちはわかるよ。ポスターもすごく気に入った。壁に貼って、この映画とクミコを反芻したい。菊池凛子は好きじゃないが、クミコには惚れた。

「ヒットマン・ボディーガード」(14年 英)原題 Assasin

殺し屋(ダニー・ダイヤ)が、ギャングのボスの命令で自分が殺した男の娘(ホリー・ウェストン)と付き合うようになり、娘をボスから守るために闘うといういたって単純なストーリー。英映画らしく敵味方がはっきりしていて、結局守り切れず娘も殺され、殺し屋がボスに復讐、というところまでは予想通りだったが、ラストの警察の取調室のシーンは意味不明。
ダニー・ダイヤはとても殺し屋の風貌とは遠く、笑えばそこらのオッサン。最後まで見た理由は、ホリー・ウェストンを久しぶりに見たこと。酒場での殺し屋と娘の掛け合いは面白かったけれど、年とったねという印象。マドンナが初監督し話題になった(けれども売れなかった)「ワンダー・ラスト」(09年 英)という青春映画では溌剌としていたんだけどね。

見てはいないが、一字違いの「ヒットマンズ・ボディーガード」(17年 米中ほか)がNetflexのおかげで当たって、「ヒットマン・ボディーガード」はさらに影が薄くなったみたい。

2021年12月5日日曜日

ロバの耳通信「コンプライアンス 服従の心理」「Bad Moon Rising」

「コンプライアンス 服従の心理」(12年 米)

マックの店長が、若い女性従業員がお金を盗んだから裸にしても調べろというニセ刑事のいたずら電話を真に受け、長時間にわたり従業員を部屋に閉じ込め半裸のまま詰問し、従業員に莫大な賠償金を求められたという実話をもとに作られた映画。この中年女性店長役アン・ダウトが実にハマっていて、アン・ダウトはこの作品で多くの賞を獲得。刑事だという電話に舞い上がってしまった店長は、日々の多忙や不満を従業員に向ける。

この映画、刑事(オカミ)と重責の店長(シモジモ)、店長(オヤダマ)と若い従業員(コブン)というステレオタイプの従属関係により引き起こされたカタストロフィーを描いたが、ワレワレの実生活でも、管理職とヒラ社員、医者と患者、親と子など従属関係であっていい筈のない関係がある。映画のように賠償金を求めることもできず、いつも上目使いでへらへらとおどけ、触ると死んだふりをするダンゴムシの暮らしが続く。

「Bad Moon Rising」(15年 邦画)

この作品に記憶をなくした女トワコで出ている菜葉菜(なはな)という女優が気に入っててね。可愛いわけでもなく、色っぽいわけでもなくそこいらにいるフツーのオネーサンって感じ。寝起きの顔っていうのか、腫れぼったい不機嫌な顔で少し甲高い声。好きな声じゃない。ほとんどないのだけれど、微笑む顔は口角をちょっと上げた作り笑いで、ふっと安心する。それくらいいつも暗い。
映画は介護とか暗い話題をつなぎ合わせたただけで意味不明。音量でメリハリをつけようとして失敗している音楽。効果音は風力発電機のブンブンという低い音。タイトルエンドで流れる台湾のRyan Rieが歌う「人魚」、中国語だからもちろん意味不明だが、曲はいい。すごくいい。
一応最後まで見て、やっぱり菜葉菜はいいと思った。2度は見ないけど。

菜葉菜だけでも気に入ったら、沖縄のユタを題材にした「サーダカー」(07年)、弟の恋人に嫉妬する「どんずまり便器」(12年)を見ておくれ。映画がつまらない分、菜葉菜が光ってるから。

2021年11月23日火曜日

ロバの耳通信「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」

 「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(21年 米・英)原題: No Time to Die

ダニエル・クレイブは好きだし、自身がジェームズ・ボンドはこの作品で終了と公言しているのを知っていた。近年白髪と疲れ顔が気になる彼のジェームズ・ボンドに少し飽きていたから、もしかしたらと引退記念作品が最も面白い作品になることを期待していたのだが。うーん、シリーズいままでの作品と変わっとらんな、と実感。


本作のクランク・イン当時から大きな話題になっていたのが「ボヘミアン・ラプソディ」(18年 英・米)でフレディ・マーキュリーを演じ、世界の映画賞を総ナメにしたラミ・マレックの共演。テロリストの親玉を演じていたが、これほどの個性を持った俳優を、もったいない使い方をしている。残念。

ハンス・ジマーの音楽も生かされてないし、ビリー・アイリッシュが歌っている映画と同名の主題歌もあんまり。エンディングで流れたルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて(We have all the time in the world)」も、流れからは唐突で、なんだかね。

ワタシにとって007シリーズの面白さはジェットコースター感あふれるアクションであり、手に汗にぎるスリルとサスペンス、それに英国風のウイットに溢れた会話だったのだ。ダニエル・クレイブ版は、敵、味方とも哀しすぎ。特に「007 スカイフォール」(12年)では、親なしボンド子供時代が哀しく語られるわ、狂ってしまった元同僚を殺さなきゃならなくなるわ、Mオバサンは死んでしまうわで、暗すぎ。確かに、ダニエル・クレイブ降り時かな。「ドラゴン・タトゥーの女」(11年 米)が一番思い出作品かな。暗くて寒いスウェーデン推理小説「ドラゴン・タトゥーの女」の陰鬱さにはピッタリの俳優だったと思う。

本作でもカタキの娘と愛し合い、はては彼女とその幼い娘をおいて死んでしまう。うーん、ちょっと叙情を通り過ぎて哀しすぎ。

予告編が公開されてから時間がたち、待たされた感。期待もあったからボロクソの感想になったけれど、きっとまた見る。何度も見るだろうな。

2021年11月20日土曜日

ロバの耳通信「ドアマン」「アルマゲドン・サーガ」「劇場版 怪談百物語」ハズレばかりが続く・・

 「ドアマン」(20年 米)原題:The Doorman

海兵隊出身のドアマン(ルビー・ローズ)が高級マンションを襲ったギャング団と戦うアクションもの。ギャングの親玉がすっかりデブになったジャン・レノ。オーストラリア女優・モデルのショートヘアのルビー・ローズは可愛い。ただ、屈強の男たちと戦うシーンはかなりの違和感。だって、体つきがいかにも華奢で壊れそう。うーん、ヒロインが明らかにミスキャストだよね。可愛いから許すけど。

「アルマゲドン・サーガ」(21年 米・独)原題:Armageddon Tales

近未来の気候変動と伝染病に苦しむ人々を描いた作品。いわゆる世紀末モノは好きなのだが、水を求めてとか、化け物を避けてとか、ひたすら彷徨うだけ。起承転結の「承」だけのオムニバス集は、やっぱりつまらない。廃墟に俳優を何人か集めただけの思いっきり手抜きの映画。誰がみるんだ、こんな映画。ポスターに釣られた。

「劇場版 怪談百物語」(20年 ニュージーランド)原題:The 100 Candles Game

オムニバスの演出方法として「百物語」は悪くない。が、どのハナシも尻切れトンボというのだろうか、どれも怖くない、てか全8話の出来不出来の差が激しすぎ。古びた椅子やら鏡に写った血だらけの顔や効果音は、当たり前だが日本のソレとはかなり趣きが違う。ジッサイ、ディズニーランドのホーンテッドマンション並みなんだ。

新作だからといって、すべての作品が面白い訳ではない、と実感。もう、新作漁りはやめて口コミをよく確認すべしと、自戒しきり。

2021年11月15日月曜日

ロバの耳通信 「フィンチ」「テロ、ライブ」

 「フィンチ」(21年 米)原題:Finch

突然の太陽フレアのためにオゾン層が破壊され、強い紫外線、高温でほとんどの動植物が死に絶えた近未来の地球が舞台。食料不足や疾病で人々のほとんどが死に絶えた世界、ひとりで地下壕暮らしをするフィンチ(トム・ハンクス)の物語。字幕版で見たが、トム・ハンクスの訥々とした話し方は「フォレスト・ガンプ」のソレと同じで、啓示的なセリフがジワーッと滲み込むいい映画。

”社会的”不器用というのだろうか、つきあいがうまくなかった技術者フィンチが、病で自分の余命が短いことを知り、自分の死後残されるであろう愛犬グッドイヤーの世話をしてくれるアンドロイドを作り、一人、一匹、一体でフィンチが長くあこがれていたサンフランシスコへの長い旅に出るという物語。

登場人物はフィンチ、愛犬、自走ロボット、アンドロイドだけ。しかも、前半はほぼフィンチの独り言だからすこし退屈。後半はアンドロイドとの少ない会話だから、これも静かにストーリーが進む。このところ、切った貼ったのアクションモノやら、息を詰める怖さのミステリー作品が多かったから、刺激が足りないかなとも思っていたのだが、静かに押されたこの映画のほうが、ずっと効いた。


「テロ、ライブ」(13年 韓)原題:더 테러 라이브

動画サイトの釣りを見て、ああ主演があんまり好きじゃないハ・ジョンウだからと舐めてかかって見始めたらまいった。緊張感に釘付けになってしまった。うん、このところこんなにハマった映画はなかったんじゃないか。

スジは賄賂の疑いでラジオ局に左遷された、元テレビ局の花形キャスターのユン(ハ・ジョンウ)に、公開ラジオ相談で”言うことをきかないと橋を爆破する”と脅迫電話が入るところから映画が始まる。いたずら電話だと思ったユンは、やれるもんならやってみろと暴言を吐くが直後麻浦大橋が爆破される。その後、爆破犯からは自分は橋の建設に携わった建築作業員で、補修作業中に海に落ちて死んだ仲間のために大統領の謝罪を求めるという要求が出される。謝罪の要求をのまなけれ更に爆破を続けると脅迫。

テレビ局長からはテレビ独占生中継して犯人とのやり取りをうまくこなし視聴率を上げればテレビキャスターに戻してやるぞと、テロ対策の責任者からはテロと取引はしないと強行論をぶたれるは、大統領の代わりに出てきた汚職容疑のある警察庁長官はスタジオでイヤフォン爆弾で殺されるは、とにかく、汚職、権力、弱者排除、離婚など韓国らしい社会問題がこれでもかとあからさまに。

韓国偉いよ、こんな映画で社会を痛烈批判するなんて。うん、結果、相変わらず汚職、権力ゴリ押し、社会格差など何も改善がすすんでいないようだけれども、それらがうまく隠されている日本も同じか。

2021年11月13日土曜日

ロバの耳通信「彼女がその名を知らない鳥たち」

「彼女がその名を知らない鳥たち」(09年 沼田まほかる 幻冬舎文庫)

 解説に書評家の藤田香織が書いている、単行本のオビには”それでも恋と呼びたかった”と副題がついていたと。読み終わって、藤田の解説にも感動した。藤田によれば”これを恋と呼ぶのなら、私はまだ恋を知らない”と。良い作品には良い書評家が解説を書くなぁ。まいった。

主人公の名前は十和子。別れた男が黒崎、同棲しているのが(佐野)陣治、新しい恋人が水島。この3人の名前だけ憶えておけばいい。翻訳もののミステリーと違い、入れ替わり立ち代わり憶えられないカタカナの名前が出てきて、コイツ誰だったかなとページを戻って確かめる必要はない。十和子が愛した黒崎、陣治が尽くすのは十和子。女性は自分を十和子に、男性は自分を陣治や水島に置き換えて、アバターゲームを楽しめる。
これだけ面白いと、ほかの作品もぜひ、読んでみたい。沼田まほかる、初めて読んでひっぱたかれた。

映画化(17年 邦画)もされていると。十和子が蒼井優、陣治が阿部サダヲだと。うーん、この配役、どうだろう。

2021年11月7日日曜日

ロバの耳通信「ブルータワー」「切羽へ」

「ブルータワー」(08年 石田衣良 徳間文庫)

SFが好きだった時代があった。みんなそうなのだろうが、楽しい時間ばかりではない時に白日夢のように妄想を膨らませることのできる時間は、今思い出しても甘美で切ない。いつのまにか、SFの世界が、届かぬ夢の世界だと認識するようになって、そういう本を読まなくなっていたし、ごくまれに触れたSF小説やファンタジー映画は、一時の娯楽。そこで楽しんでも、本気で入り込める世界ではなくなっていた。


「ブルータワー」は悪性脳腫瘍の男の、意識だけが200年後にタイムスリップ。階層社会の頂点で世界を救うミッションに臨むーまあ、ひとことで言えばやっぱり絵空事なのだが、石田の書いたSFは、ジジイを夢中にさせる面白さがあった。映画を見ているような迫力感と新型インフルエンザの脅威、ハンドヘルドの対話型コンピュータ、冷たい浮気妻や主人公を支える陰の女などなど道具立てに無理がないから、情感たっぷりで入れ込めた。なによりSF定番の突然な不可解な終わり方もなく、さわやかな読後感は、このところいい作品にめぐり合っていなかったので、一層楽しかった。

「切羽へ」(10年 井上荒野 新潮文庫)

表紙が気に入ったのと、裏表紙の”直木賞受賞””官能的な大人のための恋愛長編”の釣りに惹かれて読みだした。”明け方、夫に抱かれた。”の出だしとそれに続く自分の体を卵の黄身にたとえた文章は、女性らしい感性だなと感心さえしていた。ただ、読み進めるうちに、「ソレばっかり」の生臭さに気付き、それが続くと辟易してしまった。”官能的”とはそういうことだったのか。
養護教諭の主人公の子供たちとの交流やとひとり暮らしの老女の看取りなどが方言を交えて、ローカル色豊かな島(多分、長崎の五島列島か)を舞台に語られ、書きなれた文章にも好ましく感じたのだが。
そういう不満をカミさんに話たら、感情を引きずるのが良くない。いやな気持になったらさっさとやめろと。

はじめて読んだ作家だったからwikiで調べたら、井上光晴の長女だと。著作も多いが、この「切羽へ」の不快感で、ほかの本に食指がわかない。

2021年11月3日水曜日

ロバの耳通信「 DUNE/デューン 砂の惑星」「ブラック・ウィドウ」新作2本は大当たり

 「DUNE/デューン 砂の惑星」(21年 米)原題: Dune

初回、字幕なしで動画を見始めて30分で挫折。登場人物名やカタカナ名詞の連続。映画のスタートだから、背景というかそういうものを説明しているのだろうが、短いセリフが哲学的で全く理解不能。西暦1万年の未来、地球じゃなく砂漠の星の領地争い、領主の息子が主人公らしいことがわかったくらい。セリフもストーリーにも頭が追いつかないと、wiki、映画評やらネタバレを先にチェック。

ハナシは中世の叙事詩みたいなSF。予備情報を仕入れて字幕アリで最初から。筋は意外に単純で、”スパイス”というエネルギー資源を算出する惑星の資源管理を皇帝から指示された領主が、前の領主と争わざるを得なくなる。これが強い領主たちをお互いに戦わせることで力を削ぐという極悪皇帝の作戦。領主の息子は旧領主と戦い、魔法使いの母やこの惑星の原住民たちと力をあわせて皇帝に対抗しようとするーというところで本作Dune: Part Oneが終了。

ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督(「ブレードランナー 2049」(17年 米))。レベッカ・ファーガソン、ハビエル・バルデム、ステラン・スカルスガルドとか世界中の名優を集めているが、邦画によくあるチョイ顔出しの友情出演風じゃなく、しっかり個性をだしているのがいい。なにより嬉しいのが音楽担当がハンス・ジマー。腹の底に響く低音の連続はヘッドフォンの中にもうひとつ叙事詩を語っており、サントラだけでも楽しめそう。続編は2年後だとか。待ち遠しいのー。



「ブラック・ウィドウ」(21年 米)原題:Black Widow

キャラもほとんど知らないマーベル・コミックが原作だから、乗り気じゃなかったんだけど、大好きスカーレット・ヨハンソンが暴れまわるという予告編を見て面白そうと。

やっぱり、暴れるスカーレット・ヨハンソンはよかった。「ゴースト・イン・ザ・シェル」(17年 米)の草薙素子を思い出すね。コレもマンガが原作だからストーリーの混乱もなく、お金をかけてることを確信させる上質のグラフィックの中で、縦横無尽に暴れまわる不死身のヒロインに痺れた。主人公はゼッタイ死なないし、適当にお涙頂戴の浪花節も混ぜ込んだハッピーエンドが鉄板のアメリカン・コミックだから、大きな映画館の大画面・大音響でまた見たい。


2021年10月28日木曜日

ロバの耳通信「コンティニュー」「レミニセンス」期待外れの新作たち

 「コンティニュー」(21年 米)原題: Boss Level

タイム・ループ”と呼ばれている、とんでもない”カギ”を知るまでの退屈な時間。ソレをわかってしまえばただの絵空事。主人公のマッチョガイ(フランク・グリロ)何度も殺されては生き返ってやりなおし。ド派手なアクションシーンも、デジャブ映像の繰り返し、しかも何度も何度もくりかえされた2時間強は辟易。

共演のメル・ギブソン、ナオミ・ワッツ、ミシェール・ヨーもチョイ役扱い。ラストにタイムマシンにヒーローが乗り込んで終わるなんて、安っぽいSF映画じゃないか。19年公開予定が延びに延びて、21年のHulu公開だと。コロナのせいじゃないと思う。金がかかった映画だと思うが、映画館でまた見たい作品じゃない。

「レミニセンス」(21年 米)原題:Reminiscence

舞台は近未来、気候変動のため海面が上昇してイタリアのどこかの都市のようになったマイアミ。記憶を3Dの画像に映し出し人々が追憶を懐かしんでもらうことを生業にしている男が主人公(ヒュー・ジャックマン)。そこへ、鍵をなくしてしまったので、記憶の中からさがしてくれと頼んできた女(レベッカ・ファーガソン)。女に一目惚れしてしまった男が、いろいろな人の記憶の中から、消えてしまった女を探すという、ラブ・ストーリー。女がヤク中だったり、ヤクザがうしろにいたりでいろんなサブストーリーを2時間に押し込んでいるが、メリ・ハリがないので混乱、なによりダレた。

タンディ・ニュートンやアンジェラ・サラフィアンが良い役で出演していたので調べてみたら、監督や制作陣が「ウエストワールド」(16年 米TVドラマ)の監督・脚本だと。勝手な推測だが、この作品、原作がないのではないか。脚本家がスジを作り、監督とかプロデューサーがソレをアレンジしながら作ってゆく。だから、ホネがないのだ。小説などでいう、「テーマ」だ。ソレがないのだ。

この作品、気候変動や貧富の格差など「も」提起。結局は、男が一目惚れした女の影を追いかける、うん、それだけでもいいけど、ラブ・ストーリーにしてはもっと何かがほしい。オトナの恋だから、出会ったらエッチもいいけど、ソコはナシにしてほしかったね。女性の監督にはムリな注文かな。

ヒュー・ジャックマンが恋慕する娼婦役がスウェーデン女優のレベッカ・ファーガソン。「ミッション:インポッシブル」シリーズ(15年~)で有名な俳優だとか。うーん、覚えてない。好きなタイプじゃないな、ハスキー声の歌はうまいけど。


2021年10月17日日曜日

ロバの耳通信「ドント・ブリーズ2」「神弓-KAMIYUMI-」

 「ドント・ブリーズ2」(21年 米)原題: Don't Breathe 2

「ドント・ブリーズ」(16年 米)を見損ねて、動画サイトでも散々探したが見つからず、YouTubeの予告編やメッチャ怖いシーンのかき集めとかでごまかしていたのだけれども、続編が今年放映ということで楽しみにしていた。

制作陣に大ファンのサム・ライミが入っていて、脚本も監督(フェデ・アルバレス、ロド・サヤゲス)も主演(「アバター」(09年 米)で強面マイルズ・クオリッチ大佐を演じたスティーヴン・ラング)も本編と同じ。

まさに息を詰めて見た、これぞスリラー。出るぞ出るぞと脅かすだけでなく、目をそむけたくなる残酷シーンも満載。

エンドロールでさらなる続編も示唆。こうなると、余計に本編を見たい。もちろん続々編も、見たい。3作揃えて、オールナイトで見たい。


「神弓-KAMIYUMI-」(11年 韓)原題:최종병기 활(最終兵器 弓)

17世紀に起きた満州国が朝鮮に攻め込んだ丙子の乱を舞台に、妹を満州軍に拉致された弓の名手の兄が満州軍に戦いを挑むという物語。映画が公開されたとした年の興行成績トップだったとのこと(wiki)だが、迫害に耐えて巨悪(中国)を倒す、艱難辛苦、兄妹愛など韓国人の好きなストーリー構成はなんと我が国の思想の根幹と共通点の多いことか。

撮影・音楽(キム・テソン)への感動は忘れられないものになった。

映画後半の弓の名手同士の熾烈な戦いは、役者の動きから武具、衣装などにも一切の手抜きが感じられない。韓国映画黄金の時代の作品とはいえ、これだけの作品は稀だと思う。

2021年10月14日木曜日

ロバの耳通信「生きているかい?」「木練柿」

「生きているかい?」(14年 南木圭士 文春文庫)

信州で医師を続けている南木のエッセイ集。日々の暮らしの中で感じる季節についての感想が多い。不平不満が他人の方に向いていないのがいい。浸透圧というのだろうか、読んでいてジワーっと浸み込むのがわかる。何が浸み込むのだろうか、快いか不快かでいえばすこし快いほうだが、喜びまでには至らない。共感とか安心みたいなものか。
本を読むときはだいたいは2、3冊を並行して読むことが多い。通勤が読書時間だったころは立ったまま読める文庫本ばかりだったが、近年は居間やフトンで読むことが多くなり、ハードカバーも増えた。いま、並行して読んでいるのが「宮本輝 全短編 下」(07年 集英社)で、宮本の本も浸みる。ミステリーやハードボイルドもよく読む乱読のワタシだがそういう忙しいモノを続けて読んでいると、息抜きに優しく浸み込むものが欲しくなる。

「木練柿(こねりがき)」(12年 あさのあつこ 光文社文庫)

図書館でたまたま手に取って、少し読んでみた。藤沢周平の時代小説のように出だしから快くて、声に出して読んでみたいと思った。声にすると、それが自分の声でもココロが揺すられる気がする。藤沢の作品は近年読むよりも、YouTubeの朗読を聞くことが多い。ナイトキャップがわり。この作品も上手な朗読で聞いてみたいとも思うが、あさののこの作品はミステリーの謎解きみたいなところもあって、藤沢のソレのようにストーリーの流れに身を委ねることもできない。立ち止まりながら謎解きをするのもそれはそれで楽しい。

あさのあつこは「バッテリー」(03年 角川文庫ほか)くらいしか知らなかったが「木練柿」の情緒豊かな文章が気に入ってしまった。裏表紙の解説によれば「木練柿」はシリーズの第3作にあたり、ほかに「弥勒の月」「夜叉桜」があるという。うーん、まいった。また読みたい本が増えてしまった。


2021年10月11日月曜日

ロバの耳通信 「アンタッチャブル」

 「アンタッチャブル」(87年 米)原題:The Untachables

何度も見た映画なのにまた見入ってしまった。寝る前にテレビを点けたらNHKで放映中で、結局最後まで見てしまった。

いくつか気づいたこと。名作は色褪せない。15.6のノートPCで見るネット動画に比べ、40インチのテレビ画面は格段にキレイ。CMが入らないテレビ放映なら結構楽しめる。なかなか映画館にも行けない今日び、テレビという手があったかと。本気でFirestickを検討しよう。

「アンタッチャブル」は禁酒法時代のFBIとイタリアンマフィアの戦いを描いたもの。

監督がブライアン・デ・パルマ、エリオット・ネスを演じたのがまだ若きケビン・コスナー、アル・カポネ役がロバート・デ・ニーロほかにショーン・コネリー、アンディ・ガルシア、チャールズ・マーティン・スミスなどパラマウント映画全盛期らしい豪華配役。殺し屋役のビリー・ドラゴは大のお気に入りだったが、配役のかなりが鬼籍に入ってしまった。音楽がエンニオ・モリコーネ、ああこのひとも昨年亡くなったんだ。

もう一度書く。名作は色褪せない。

2021年10月7日木曜日

ロバの耳通信 「The Witch 魔女」「THE INFORMER/三秒間の死角」

 「The Witch 魔女」(17年 韓)原題:The Witch: Part 1 – The Subversion

予備知識なしで見始めた韓国映画。林を逃げまどう血だらけの少女。お、いつもの韓国映画とちょっと違うな、と。前半から中盤までは、スター誕生みたいなオーディション番組で勝ち上がってゆく酪農農家の少女とその親友の物語、ここはいつもの青春韓ドラ風で楽しそうだがダレダレ、後半にはいったところで物語が急展開。あっという間にスピード感や血生臭さが韓国ノアールいっぱいのジェットコースター。目が離せなくなってアクションを楽しんでいたら2時間強が過ぎていた。

おお、こういうスジだったのかとオープニングシーンと繋がり、後半のファイティングを二度見。狭いところでナイフで戦うタイのアクション映画をパクったところもあったが、面白かったから許す。

主演の少女がよかった。キレイでも可愛くもない小さなドングリ眼のステレオタイプの韓国顔、血だらけで微笑むキム・ダミが気に入った。チョ・ミンス(「嘆きのピエタ」12年)、パク・ヒスン(「サスペクト 哀しき容疑者」13年)、チェ・ウシク(「新感染 ファイナル・エクスプレス」16年)ほか個性派揃いのスゴイ配役。監督が「新しき世界」(13年)などで韓国ノワール映画を世界にアピールしたパク・フンジョン。まあ、この監督、配役で面白くないはずがないのだが。

続編がクランクアップされたとの報道もあったから、公開が楽しみ。ゼッタイ見るぞ。コロナ明けてたら、ぜひ映画館で。カミさんはこういう映画は怖いと言うにきまっているから、ポップコーンの大箱とコーラのL抱えてひとりで見るか。楽しい妄想だがしばらくはないだろーな。

「THE INFORMER/三秒間の死角」(19年 英)原題:The Informer

ミステリーものは大好きだが、潜入捜査とか二重スパイ、さらに家族を人質に取られた主人公がニッチもサッチも行けない状況に追い込まれるなんて映画はハラハラのし通しで落ち着かない。主人公役がメジャーな俳優だと、ラストのハッピーエンドが予想されるからそれなりに楽しむことができるのだが、この作品の主人公はスウェーデン男優のジョエル・キナマンで全く知らない役者。脇役にクライヴ・オーウェンやロザムンド・パイクなど超有名な俳優が出てるから落とし所が読めなかったのだけれども、主役は新人やややマイナー、脇を有名俳優で固めるというキャスティングは「The Witch 魔女」と同じつくりか。まあ、面白かったから不満はない。

主人公の妻役でキューバ出身のアナ・デ・アルマスは個人的に大好きな女優。「ブレードランナー 2049」(17年 米)のミステリアスな印象とかなり違っていて、優しく強い母親役。新作の「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」(21年 英・米)にも出ているらしいから、そっちも楽しみ。


2021年10月3日日曜日

ロバの耳通信「神童」

「神童」(07年 邦画)

原作はさそうあきらの同名の漫画。さそうあきらは幼少時からピアノを習っていたとかで「マエストロ」(03年~ 双葉社「漫画アクション」)など音楽をテーマにした作品が多く、そのいくつかは映画化もされている。

主演の天才ピアニスト成瀬うた<うた>を演じる成海璃子をはじめ、うたにピアノを教わり音大に受かる菊名和音<ワオン>役の松山ケンイチ、ワオンの彼女加茂川香音<カオン>役の貫地谷しほり(役名がみな音楽にかかわる単語なのがいかにも漫画らしい)などなど、配役が全員ミスマッチでちぐはぐ感は否めないが、向井康介の脚本で丁寧に作られているからピアノ音楽映画としてはイイ線いったのではないか。
突然の体調不良で演奏会に出演できなくなったリヒテンシュタインの代役としてうたが指名され、初見のモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を、楽譜を高さの足りないピアノイスの尻の下に敷いて暗譜で演奏するなんてのは、漫画じゃないとありえないだろう。音楽をハトリ・ミホが担当して、主題歌もミホのリプルソング(原田郁子)でとても良い作品に仕上がっていた。ただ、ワタシがこの映画のことを知ったのが、YouTubeでフクシマのテーマソングとなっているリプルソングを知り、YouTubeめぐりでこの映画を見つけたくらいだから、映画としてはあまり話題にならなかったんじゃないかな。ワタシは気に入ったけど。

2021年9月30日木曜日

ロバの耳通信「グレイヴディッガー」「クリーピー」

「グレイヴディッガー」(05年 高野和明 講談社文庫)

連続猟奇殺人事件、墓掘人(グレイヴディッガー)、命がけの逃走・・と裏表紙に紹介され、高野和明作とくれば、面白いに違いないと読み始めたのだが、うーん、面白い筈だったキーワードのつながりに必然性もなく、予告編とポスター「だけ」がオドロオドロしい怪談映画みたいな作品。骨髄ドナーが手術に間に合うかと、町中をヤクザや警察に追いかけられるところは、映画だとハラハラするところなのだが、逃げる主人公の心情描写もレンタカーを借りたり、モノレールの線路を歩いたりに必然性も具体性もないうえに、コミカルな味も持たせようと作者自身が面白がって書いているから、読んだワタシは白けただけ。最大の失敗は、450ページを割きながらの小説に、「オチ」がないこと。

実のところ、今まで読んだ高野の作品(「13階段」(04年 講談社文庫)、「ジェノサイド」(13年 角川文庫)など)が面白かったから、この「グレイヴディッガー」も、途中で何度も挫折しそうになりながらも、きっとどこからか面白くなると信じて読んできたのに。時間のムダをした。

「クリーピー」(14年 前川裕 光文社文庫)

第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作(11年)だと。ワタシはミーハーだから、こういう「賞」ものに弱い。サイコミステリーというのだろうか、猟奇殺人の犯人がジワジワとあぶり出しのようにページに現れてくるのがいい。犯人捜しの筋立ては明智探偵風の複雑さでたっぷり楽しめた。「怖い隣人」の設定は、いかにも現代に合っている。映画(「クリーピー 偽りの隣人」(16年))や続編(「クリーピースクリーチ」(16年))もあるらしいが、本編で十分。怖いモノは大好きだが、繰り返される猟奇は性に合わない。

2021年9月25日土曜日

ロバの耳通信「ピエロがお前を嘲笑う」こんな面白い映画があったのかと興奮してしまった

 「ピエロがお前を嘲笑う」(14年 独)原題:Who Am I - Kein System ist sicher

ハッキングが得意の奥手の青年が仲間と一緒にあちこちのサイトに侵入してイタズラをしているうちに、サイバー空間にいるMXと名乗るボスキャラと出会う。MXはサイバーマフィアと呼ばれているホンモノのサイバーテロリスト。とあることから警察に協力しMXの摘発を手伝うことに。

サイバー空間でのハッカー同士のやりとりを、地下鉄車両内の乗客の会話に例えていてハッキングやサイバー内での抗争、トロイの木馬などいままで良く理解できなかったことが、メからウロコ感。ドイツ連保警察ネットへの侵入(ゴミ捨て場から個人情報の入手)、ユーロポールネットへの侵入(忘れものを取りに戻る見学者のフリをして食堂テーブルの下に、ニセFiFiサーバーの設置)、二重構造にしたトロイの木馬のシクミなど新しい知識を得ることができた(気がする)。

ラスト近くで、数度のドンデンガエシがあり、”ワタシが負けました”とお手上げ感を味わいつつ”見事に騙された快感”に浸った。久しぶりの感動。これだから映画はやめられない。トリックがわかったから、また最初から見ることにしよう。

この映画、14年公開だけれどもスマホは使われていない。登場するコンピュータはデスクトップとノートだけだが、古臭さは感じない。この数年のハードウェアの更新は小型化だけなのかもしれん。うん、細かいことはどうでもいいか。とにかく面白かった。

2021年9月23日木曜日

ロバの耳通信「スペル」「闇金ウシジマくん」「ゼニガタ」

 「スペル」(09年 米)原題:Drag Me to Hell

ゾンビ映画「死霊のはらわた」シリーズ(83年~)のサム・ライミ(監督)の逆引きで動画サイトで発見。金持ちになった黒人一家が祖父の葬式に出席するために自家用機を飛ばす。悪天候で遭難、不時着し、助けられたところがフードゥー(ハイチのブードゥー教のようなもので南部の貧しい黒人たちが信じる土着宗教)の家。

途中で気がついた、登場人物のほとんどが黒人。底知れない怖さの原因はココか。ワルを出さないで、黒人はみんないい人の括り方もなにかおかしい。サム・ライミ監督はゾンビと黒人を同じ扱いにしていて、脅かしの手口は「死霊のはらわた」と同じ。

後半はフードゥーの呪いの人形やら怪しげな食い物やらで煽られ、結局怖がらせただけ。何よりも登場人物の気味悪さ。汗にまみれた黒い肌、濁った目とか黒人への嫌悪感を強く感じてしまった。こういう映画ってどうなんだろう、サブリミナル手法で黒人への嫌悪感や怖さを植え付ける究極の人種差別映画だよな。




「闇金ウシジマくん」シリーズ(12年~ 邦画)

原作の同名マンガ(04年~ 真鍋昌平 ビッグコミック)も何度か見た記憶があって、シリーズ全4作がYouTubeにアップロードされていたのを見始めたら引き込まれ、結局全作を見てしまった。

山田孝之演じる闇金融屋「カウカウファイナンス」社長のキャラがマンガそっくり。金利が10日で5割、最初の借入限度が5万円。借入時に金利分の2万5千円が差っ引かれ、手元に残るのが2万5千円で10日目には5万円の返却だと。金利が10日で5割だと5万円を10日借りて、10日目に7万5千円の返却かなと思っていた。うーん、結果は同じ気もするのだが、なんだかよくわからない計算。

「ゼニガタ」(18年 邦画)

深夜に闇金屋に変わる居酒屋というのがなんとなく「深夜食堂」(テレビドラマ。韓国版もあり、どっちがパクリかわからないが韓国版のほうが格段に面白かったのは居酒屋の主人の役者のせいか。「ゼニガタ」では大谷亮平が居酒屋の主人役なのだが、うーん、ウシジマくんと違い、役にあってないんだよな、これが。こっちの金利は10日で3割。

2つの闇金映画。どちらも勧善懲悪のストーリー展開だから痛快さも楽しんだのだけれども、なんかひっかかるんだよねこういうクライム讃歌。

2021年9月18日土曜日

ロバの耳通信「悪医」

新型コロナ肺炎のせいで、医者の本質を見ることができた気がする。
予防接種の予診をした医師の慇懃無礼さは、かかりつけ医の普段の物言いの横柄さと対照的に見えるが本質的には同じものだと気づいているのだよ、俺等(わしら)は。

「悪医」
(13年 久坂部羊 朝日新聞出版)

ガンは治らない。ガンの治療、特に抗がん剤はすごく苦しいということを正面から書いている。ここまでハッキリ書けるのは著者が医者でもあるからだろうが、患者側からの苦しみを必死に伝えようとする。誰に。一方、ガンを治療する医者の苦しみも書いている。苦しむ患者に対し、本当は治らないのだと告げる苦しさ。大丈夫とウソを言う苦しさ。医者の辛さをたくさん書くことで、バランスをとっているようにも見えるが、抗がん剤で苦しむ患者とそれを強いる医者の苦しみを比べるナンセンスも感じてしまう。治らないとわかっている患者を診る医者の気持ちもわかってほしいと医者の代弁をしているようにも見える。はてさて、それはどうかな。一歩下がって、ガン治療に携わる医者も同じように苦しんでいるとしても、そういう真摯に治療に取り組んでいる医者ばかりなのか。

ガン患者は、例外なく苦しい。程度の差はあるだろうが、なけなしのお金を払い、手術をし、抗がん剤を打ち、免疫療法にすがる。それでもかなりの人がただ苦しむだけで助からない。医者も、厳しい選抜試験を経て、莫大な投資をしてきたのだ。とはいえ、マジメに診断もせず、「風邪ですね」で多くの患者を追いやり、患者を薬漬けにしているイイカゲンな医者がいることもワレワレは知っている。
「悪医」ではラストで、担当の医者にもはや打つ手はないと言われたことを恨み、その後別の病院での治療をうけたが最後にホスピスで亡くなった元患者のテープを聞きながら、その医者が悪医にならないように前に進むことを誓う。うーん、結局久坂部が一番言いたかったのは何なんだ。

2021年9月10日金曜日

ロバの耳通信 「ブラック・アイランド」「バイス」

 「ブラック・アイランド」(21年 独)原題:Schwarze Insel/Black Island

結構な頻度で挿入されるエロシーンから、女教師と青年のイタリア映画の”性の目覚め”のドイツ版かと予想していたらゼンゼン違った。北海の小さな島に赴任してきた女教師が昔自分と母を捨てた教師に復讐するために島に来て、教師の家族をひとりづつ殺してよくというミステリー。犬に襲わせたり、首を締めたり、点滴のバルブを調整したり、コーヒーに麻酔薬を入れて飲ませ池で溺れさせるとか、変態女教師により見せつけられる恐ろしいシーンの連続なのに、北海の島の美しい景色や住みやすそうな家などドイツの田舎暮らしに憧れさえ感じた。

仕事で良くドイツには滞在した。だいたいは大都会か工業都市で東京や川崎と変わらない印象だったのだが、15年くらい前、いっしょに仕事をしていたアメリカ人の実家がドイツの片田舎にあるということで誘われてドイツの農家に数日訪問した。朝は大家族と一緒に朝食をとり、昼は近郊の古い遺跡などを訪問、夜はその家族の屋末子である小学生の部屋をあけてもらい休んだ。朝の食事の品数の多さや夕食の早さや質素さを知り、テレビもラジオもない田舎の夜の長さに不安を感じつつも、2晩目以降の夜のよく眠れたことを今も忘れない。

「バイス」(18年 米)原題:Vice

アメリカの第43代大統領ジョージ・W・ブッシュ(息子のほう)の下で副大統領を務め、”アメリカ史上最強で最凶の副大統領”と呼ばれたディック・チェイニーの伝記映画。テレビ画面をあちこち挿入し、出てくる人物もソックリさんみたいな俳優を配しているから、実録映画を見る感覚で楽しめた。チェイニー副大統領をクリスチャン・ベールが演じていたのだが、普段のクリスチャン・ベールとえらく風貌や体つきが違っていて驚いた。いくつかの映画賞でもソレが話題になって主演男優賞を獲ったと。チェイニー副大統領は写真しかしらないが、やっぱり良く似ている気がする。

映画そのものも大変面白かったが気になったところが2点。チェイニー副大統領婦人を演じたイタリア生まれのエイミー・アダムスの美しさにまいった。もともと、ショートヘアーには弱いのだが小柄のエイミーは可愛かった。もう1点は、映画のツクリに特徴があって、制作陣をチェックしたら筆頭にブラッド・ピットの名前があった。ブラピらしいツクリがどういうものなのかはうまく説明できないのだけれども。

原題のViceは接頭語だと「副」。単独で使うと「悪徳」とか「悪習」とかの悪い意味があるらしい(wiki)。

2021年9月4日土曜日

ロバの耳通信「外人部隊フォスター少佐の栄光」「西部戦線異状なし」

「外人部隊フォスター少佐の栄光」(77年 英)原題:March or Die

新型コロナのせいで、どこへも出かけられず鬱々としていて見つけたGyaoの古い映画。主演がジーン・ハックマンと知り、懐かしさに見始めたらコレが大当たり。ウレシクて二度見してしまった。

監督・製作(ディック・リチャーズ)、製作(ジェリー・ブラッカイマー)、撮影(ジョン・オルコット)、音楽(モーリス・ジャール)の今では考えられない製作スタッフに加え、配役もジーン・ハックマン、テレンス・ヒル、カトリーヌ・ドヌーヴ、マックス・フォン・シドーほかよくこれだけそろえたものだと感心。映画の黄金時代だったのだと改めて再認識。個性派揃いなのに、誰もが突出することなくそれぞれに持ち味を生かした映画作りは、アイドルの人気に偏りがちな近年の邦画も大いに見習うべきだろう。

映画は第一次大戦後のモロッコ。フランスの外人部隊を率いるフォスター少佐(ハックマン)とモロッコの部族民との悲劇的な戦闘を描いたもので、特にラストのロングショットの戦闘シーンのすごさに圧倒された。あと、未亡人役を演じた当時32、3歳のドヌーヴがたまらなく美しい。学生時代に見た「昼顔」(67年)や、「哀しみのトリスターナ」(70年)の哀しい美しさにまいって、どこかから剥がしてきた映画のポスターは長く自室の壁に。

「西部戦線異状なし」(79年 米・英)原題:All Quiet on the Western Front)

ずいぶん前に見た記憶があり、ストーリーの展開も、大迫力の戦闘シーンも覚えがあったのに。確かモノクロだったよな、とか配役違うな例えばアーネスト・ボーグナインとか出てなかった筈と。結局ラストシーン<鳥に気を取られ塹壕から頭を上げ、撃たれる>が私の見た昔の映画では確かに蝶だったと。読んだ筈の新潮文庫の原作でも兵士が気を取られたのは蝶だったような記憶。

第一次世界大戦時のドイツの若い兵士たちの物語。学校卒業と同時に志願し、訓練所で鍛えられ、過酷な独仏戦線の泥沼の中で死んでゆく。戦争が終わったらこんなことをしたい、あんなことをしたいと語り合った仲間がひとり、またひとりと、足を失い、腕を失い、狂い死んでゆく。青春の記録ではあるが栄光も輝きもない。ただ戦争の不条理さを訴えかけて終わる。


改めて見直した記憶の中の「西部戦線異状なし」は30年公開の米モノクロ映画だった。

こういう作品を見ることができてよかった。若い人に見てほしい。

2021年8月29日日曜日

ロバの耳通信 「ラース・オブ・マン」「アメリカン・サイコパス」

 「ラース・オブ・マン」(21年 米)原題:Wrath of Man

怒れる男と訳すればいいのだろうか。英監督ガイ・リッチーとジェイソン・ステーサムの組み合わせだから派手なアクションを期待していたが、息子を傭兵あがりの強盗団に殺されたジェイソンが、湧き上がる怒りを抑えて犯人を探し、息子の復讐を果たすという、まあ単純なスジ。「ブルー・レクイエム」(03年 仏)のリメイクで脚本もガイ・リッチーだと。

息子を殺されたギャングの親玉が、犯人探しのために経歴を偽り、現金輸送の警備会社で働くーなんて、スジの不自然さは否めないが、まあ、面白かったし、久しぶりの新作だから、いいか。

「アメリカン・サイコパス」(19年 米)原題:Chance Has No Empathy/American Psychopath

似た名前の映画、ムカシ見たクリスチャン・ベール主演の「アメリカン・サイコ」(00年 米)が期待外れだったし、口コミの評点も低かったので、”期待せず”見始めたのだが、なかなか良かった。

自分探しを続けている画家が、絵のモデルやその恋人など知り合いになった人々を次々に殺すという連続殺人犯を描いた静かな秀作(だと思う)。キーピックを使いアパートに侵入、ハサミやワイヤで殺人繰り返し、ペンダントなどの”戦利品”を蒐集するから、サイコパスと言えばそうなんだろうが、血なまぐさいシーンもほとんどなく、あんまり特別な感じがしなかったのは、主役の画家(ウィル・ロスハー)の抑えた、自然な演技のせいか。

ムカシ海外で仕事をしたときに、趣味がジョギングと社会活動という静かなアメリカ人と一緒に仕事をして、何度も一緒にメシを食いに行ったりして親しくなったが。彼の静かなしゃべり方や仕草が、この映画のサイコキラーに感じが似ていて、今頃どうしているだろうかと、思い出したりした。