2018年12月31日月曜日

ロバの耳通信「海辺のカフカ」

「海辺のカフカ」(05年 村上春樹 新潮文庫)

まずは「カラスと呼ばれる少年」のサブタイトルで始まる物語に、面食らい右往左往した。村上の作品では、こういうこと、脈絡の一部が切れていてそこから物語に入るようなことは何度か経験していたから、慣れてはいたつもりだったがそれでも困った。カラスに語りかけられる僕って誰?。なんとかわかったふりをしてページをすすめ、100ページを超えたくらいから物語に入り込んでいたことに気付いた。

〇〇ちゃん(カミさんの名前)”これ面白いよ、もっと早く読めばよかった”と言ったら、カミさんの答えはこうだった。”そうとばかりは言えないかもよ、イマだから面白いのかもよ”と。つまりは、ワタシがイマこの年齢になって、あるいは今までいろんな本を読んだり、いろんな経験をしたからこのタイミングで「面白く感じる事が出来たるようになった」ということらしい。何年か前でも、何年か後でもそう感じることができていなかった可能性に、なんだか納得してしまった。
「海辺のカフカ」は終戦間際に少年少女たちの記憶が突然欠落するという不思議な出来事がありひとりの少年だけはもとに戻らず、結局は生活保護を受けながら迷い猫を探す仕事をするナカタという老人になってしまう物語と、15歳になったカフカ少年が家出をして図書館に住み始めるという2つの物語からなる。
2つの物語が、どこかで交差するのではないかという期待は、曖昧な形のままだが上巻が終わりそうになるところで繋がったのでホッとした。とにかくも、西への旅を続けていたナカタはカフカ少年の住む四国の高松に着いた。

上下巻で1000ページ以上あるページはナカタとカフカ少年の旅物語。途中でこの2人の旅に参加する多くの人達、猫たちは皆ユニークで物語を盛り上げてくれて、ジャズ、クラッシック音楽からギリシャ神話やら日本の古典などのウンチクも楽しんでいるうちに、気が付いたら終わってた。もちろん、タイクツなんてしない。この小説もほかの村上作品と同じく、大事な人たちが実にあっけなく死んでしまい、残った人たちと読者がそれを恋しく思う。ケッキョク、哀しい物語なのだ。

新潮文庫は巻末に、同じ著者の本のリストと「加えて」ソノ本に関連の本のリストのページがある。曖昧な記憶だが、紹介文の付いたページがあるのは新潮文庫のほかは文春文庫くらい。文春文庫のソレは同じ著者の目録と新刊案内といったところか。
ハナシを新潮文庫に戻すと、「海辺のカフカ」の巻末にあった本のリストで、「海辺のカフカ」の中にも引用されていてワタシが触発されたたのが、「坑夫」(夏目漱石)、「オイディプス王・アンティゴネ」(ソポクレス 福田恆存訳)、「悪霊」(ドストエフスキー 江川卓訳)。こうして、読みたい本がまた増えてゆく・・。

2018年12月24日月曜日

ロバの耳通信「ヴェノム」「カメラを止めるな」

「ヴェノム」(18年 米)

MARVELコミックを元本とした映画とはあまり相性が良くない。あまりに荒唐無稽なのは好きじゃない。この「ヴェノム」もそうだ。元本が悪いのか、脚本が悪いのか、トム・ハーディーが宇宙生物のヴェノムと合体し、ヒーローになるまでのストーリーがダラダラと長すぎて退屈してしまった。ヴェノム2のための前作と割り切ればいいのだろうが、この映画には致命的に気に入らないところがいくつかある。ヒーローの恋人役ミシェル・ウィリアムズがあまりにもひどい。まあ、好き嫌いもあるふだろうがキレイではないばかりか、演技もダイコン。演技派トム・ハーディーもここではただのマッチョマン。CGばかりの格闘シーンは面白くないことをそろそろわかってくれないかな。これからDVDも出るだろうけど、ポスターに惹かれて見に行くと酷い目にあうよ。

「カメラを止めるな」(18年 邦画)

これも映画であることに間違いはないのだろうが、タダのネット動画とはいえコレを見ることに使った時間を返せ! 国内外の映画賞も獲得し、SNSの口コミが客を呼び制作費の千倍の興行収入を得ていまも上映中だと。学芸会のノリの延長のようなこんなモノが日本の文化だと紹介されていることが恥ずかしい。ヤクザ映画やエロ映画に共感を憶えたこともあったが、これはヒドイ。監督が冗談で作った学芸会風映画モドキをイイと思うようなヒトとは付き合いたくない。ああ、ここまで落ちたか日本の映画。くっそーぉ・・!


2018年12月19日水曜日

ロバの耳通信「アフター・ザ・レイン」

「アフター・ザ・レイン」(07年 米)

中国人留学生が指導教授のイジワルで将来の道を閉ざされ、大学内で銃を乱射し、自らも自殺するという実話をもとに作られた映画。主演の中国の名優リウ・イエが純朴で才能のある若き留学生の役を演じ、彼が指導教授のイヤガラセに遭い、女友達にも振られ自暴自棄になっていく様子は彼がどれも主演級で出た「中国の小さなお針子」(02年 フランス)、「山の郵便配達」(99年 中国)、「天上の恋人」(02年 中国)、「風の風景」(03年 香港、日本など)などの泣かせる名作の彼と同じく観客を映画に引き込む。この映画で中国通の優しい未亡人役(役柄ではキリスト教会のボランティア)をメリル・ストリーブが演じていて、役柄の曖昧さはともかくこの映画の唯一の救い。

テレビ放映で見た「フライト・ゲーム」(14年 米)では、このところアクション映画で大活躍のリーアム・ニーソンがこの映画でも頑張っていたが、この俳優、表情がいつも同じ。ジェット機の中が舞台では暴れるにも限界があるし、セリフも少ないからどうも、ヒーローになれない。リーアム・ニーソンは好きな俳優なのだが、シナリオの不自然さとかもあり、終わらないうちにほかの番組に切り替えてしまった。唯一、存在感のある役をやっていたが、ジュリアン・ムーア。ますます、「イヤな感じ」で、最新作「キングスマン: ゴールデン・サークル」(17年 英)でも「イヤな感じ、しかも悪役」。個人的には大嫌いな女優だが、個性は生き残りの条件か。

2018年12月16日日曜日

ロバの耳通信「ほかならぬ人へ」

「ほかならぬ人へ」(13年 祥伝社文庫)

カミさんに白石は暗いからやめたほうがいいよと言われたにもかかわらず、「草にすわる」「心に龍をちりばめて」に味をしめ、またいつか読もうと思っていた白石一文の「ほかならぬ人へ」(13年 祥伝社文庫)を。表紙のイラストが印象的で、多分、別の誰かの本に似た表紙があったせいか、既読かと勘違い。カミさんからは、また同じ本を借りたねとか言われたが、初見だった。中編2作とも浮気とか不倫とかそういう物語が繰り返されるが、一貫しているのがどういう相手かわかっても「好きでいること」をやめることができない人たちのいわば、悲しい恋愛物語。世間にはよくある話なのかもしれないが、自分がいつの間にか登場人物たちと同化していることに気づく。まあ、ハラハラドキドキはないにしてもオトナの疑似恋愛を楽しめるのだよ。

気に入った本には、残しておきたい文章が多くて、手帳とかに書き込んでいたりものだが、キリがなくなってやめてしまった。「ほかならぬ人へ」では、癌で入院している先輩を見舞う。”どんなことだって、病気になった人のことを思えば耐えられる。”とあった。健康不安のない人にはわからないだろうか。
好きな本は、気に入ったところにポストイットの付箋を付け、ときどき読み返しながら楽しむことができる。白石の本はそんな本が多い、と思う。

2018年12月12日水曜日

ロバの耳通信「ボヘミアン・ラプソディ」

「ボヘミアン・ラプソディ」(18年 英米)

QUEENのフレディ・マーキュリーの伝記映画。QUEENの名前もまあ、知っていたし10年以上前にミュージカル「ウィー・ウィル・ロックユー」も見ていたのでちょっと興味を持っていて、映画雑誌やYouTubeで予告編を見るごとに勝手に盛り上がり、封切りになったら見に行こうぜとカミさんに秋波を送っていた。段々寒くなってきて、映画館で風邪やインフル移されるのもイヤだなーとも思いダラダラ先延ばししていたら、ネット動画サイトにアップロードされているのを見つけた。
演奏以外はフレディ役のラミ・マレックのひとり芝居みたいなものだからアクの強い顔にすこし飽きたが、「頑張り」は十分伝わった。強い記憶に残っているのはフレディが実家に帰った時の母親の心配そうだけれど慈愛あふれる表情、別居した恋人とランプの点滅で心を交わすところとか。テレビCMで見たひとが何度も見ただの、大泣きしただのと言っていたのでそうかと疑っていたが、ラスト近くのライブ・エイドでの「ウィー・アー・ザ・チャンピォンズ」を聞くころには、涙出そうになった。うーん、やっぱり見に行かねば。

作品中で演奏された曲はどれも良くて、それでも一番好きな曲が「ボヘミアン・ラプソディ」。前段のハーモニー Is this the real life?<これは現実なのかが>終わって、Mama, just killed a man<ママ たった今、人を殺してきたんだ>から始まるピアノ伴奏のモノローグ曲。聞くといつも泣きそうになる。家族からサウンドトラック盤をもらったから好きなだけ聞ける。ウレシイ。

2018年12月5日水曜日

ロバの耳通信「裏切りの街」「アリーキャット」

韓国映画の暗さや血生臭さ、ハリウッド映画の度肝を抜く楽しさ、フランス映画の気怠さーのようなステレオタイプなものばかりを求めるワケではないが、映画にはやっぱりドキドキやワクワクが欲しい。普段の暮らしでは得られない事を映画に求めているのだから。日本映画はどこに向かっているのだろうかと考えこんでしまった2作。

「裏切りの街」(16年 邦画)

フリーター役の池松壮亮、主婦役の寺島しのぶがハマっていた。出会い系サイトで出会い惰性で情事を重ね、それぞれのパートナーに知られてしまうというソレダケの物語。そのパートナーたちもそれぞれに浮気をしていたというのが題名になっているオチらしいのだが、愁嘆場も殺傷事件もなにもない。池松や寺島が役とは違った俳優で、それぞれに役に合った役作りをしていたというのならスゴイと思うが、ふたりともほかの作品との役との違和感がない。つまりは、不倫以外に何も起きない「平凡」な映画なのだ。
コピーが”人は、なんとなく人を裏切る”とある。出会い系サイトとかダブル不倫とかが当代の「日常」だとしても、「なんとなく」こんなことができるのか、イマの人は。

「アリーキャット」(17年 邦画)

窪塚洋介と降谷建志(Dragon Ash)の「夢の」共演が話題になり、ストーカーからふたりに守られる母子家庭の母親役が「あの」市川由衣ということで期待をして見た。窪塚はいつもの窪塚らしいが、孤独な元ボクサーという役柄は格好付け過ぎ。「呪怨、呪怨2」(03年 邦画)で主役を張って存在感のあった市川だが、この作品では暗い印象だけをかろうじて保ったものの、場違いの表情やセリフは役作りに失敗したんじゃないのか。降谷は天然というか、いいノリでよかった。お笑いコンビ「品川庄司」の品川ヒロシのストーカー役もピッタシ。wikiを見たら、降谷も品川も俳優としてのキャリアがあるらしい。ワタシは素人だと思っていた。ほとんどストーリーがなかった「裏切りの街」とは違い、ストーキングやら臓器売買やらストーリーもしっかりしているし、登場人物の多様さ、謎の人物みたいなのがゾロゾロー、個性のあるワキ役たちのせいかメッチャ楽しめた。「アリーキャット」は裏通りなどをうろつく野良猫のこと。

2018年12月3日月曜日

ロバの耳通信「イモータル」「ケモノの城」

「イモータル」(14年 萩 耿介 中公文庫)

インドで行方不明になった兄との会話が、このところ常となっているワタシ自身とワタシ自身との内なる会話のように、自然に染み入ってきて同調、泣きそうになった。その兄を探しにインドに旅立ち、先人に託されたのが「智慧の書」。ウパニシャッドやらショーペンハウアーやらフランス革命の闘士やら、ムガル帝国の皇子やらが時空を超えた物語として登場。これらの物語を「智慧の書」がすべて繋ぐ。物語の流れは哲学の入門書にも似て、生きることや死ぬ事やはては死なない事(イモータル)を主人公の周囲にいる者たちに「言葉で」語ってくれた。「わかるだろう、言わなくても」とかいう訳知りの曖昧さで本質をごまかされるのではなく、またありもしない寓話を譬えにして勝手な解釈をさせるでもなく、ドキュメンタリーフィルムや歴史書のように丁寧に語ってくれた。

どこかでこういう体験をしていると思い出したのが、テレビゲームの「ロールプレイング」だ。いつでも、どこにでも出かけ、冒険を楽しめるのだ。この「イモータル」も歴史をもう少し学んで読めばもっと楽しめそうな気がするが、意気地のないワタシは初心者モードでステージをクリアしながらボスキャラとの対決を待つ。これまでは中公文庫は固い本が多くて敬遠していたのだが、なかなか。本作が初めてとなった萩耿介にも興味。さあ、どれから読もうか。

「ケモノの城」(14年 誉田哲也 双葉社)

中盤から、読み進めるごとに嫌悪感。こんなのあんまりだ、耐えられない、虚構とはいえ誉田はよくこんな酷い物語を考えついたなと。ストーリーを簡単に紹介すれば、絶え間ない暴力によりマインドコントロールされた女たちが、次々にヒトを殺し、死体を刻み、ドロドロになるまで煮込んで、ペットボトルに入れて運び、捨てる。読んでいて吐きそうになるグロさ。誉田のとんでもない想像力に感心するとともに、電気による拷問、果てしない虐めや風呂場で体を刻み、関節を切り離すといった血生臭さに辟易しながらも、被疑者から真実を引き出そうとする刑事の心情と最終章の真犯人捜しのミステリーに嵌まり込んで「楽しんでしまった」悪魔のような自分自身にも愕然とした。

読み終えて、この作品が「北九州連続殺人事件」という実際の事件を題材に書かれたことを知り、「ケモノ」が実際に居たことに大きな衝撃を受けた。誉田はこの作品を発表した際の対談のなかで、ケモノはヒトではないと話していたが、これこそ人間の所業なのだ。恐ろしや、恐ろしや。実際に起きたことだから、どんな作り事より、怖い。ヒトにはこんなことができるのか。そうならば、ヒトは悪魔から生まれたに違いない。

2018年11月24日土曜日

ロバの耳通信「ミッション:インポッシブル フォールアウト」「MEG ザ・モンスター」

「ミッション:インポッシブル フォールアウト」(18年 米)

ミッション:インポッシブルシリーズもこれだけ重ねると「ミッション」もさすがにマンネリ化してしまったか。封切りに合わせテレビCMが頻繁だったし、YouTubeの予告編は公式版やらファンサイト版とかもいくつもあって、映画を見た時のデジャブ感も半端ない。音楽のノリもいいし、ゼッタイに死なないヒーローだからハラハラはさせられても、小心なワタシにも安心して楽しめたnのはよかったけれど。

ワタシにとっての最大の見どころはイーサンの元妻ジュリア役のミシェル・モナハン。相変わらずいい感じ。キレイとも色っぽいとも違って、うまく説明できないのだが、まあカンタンに言えば好きなタイプ。優しい表情の中の哀しい眼(ほんのちょっと斜視)がいいとしかいいようがない。最初に見たのが「ボーン・スプレマシー」(04年)ではチョイ役だったが一目惚れ、「ゴーン・ベイビー・ゴーン」(07年)で助演女優賞を総ナメにしたタフで優しい女探偵役も忘れられない。ミッション:インポッシブルシリーズでは一作目の「M:I:III」(06年)のジュリアは若くて(といっても当時30歳)息をのむほど美しい。「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」(11年)にも出ていて、少しづつ年を取り、現在42歳か。うーん、いいなー。

「MEG ザ・モンスター」(18年 米中)

ポスターだけが、よくできていた。MEGは、古代にいた超巨大サメメガドロンの意味。マリアナ海溝の底にさらに別の深層があり、ここに住んでいた古代サメが深海探査船に依ってできた穴を通って海上に現れ、遊泳客を襲う。スピルバーグの「ジョーズ」(75年 米)を凌ぐ興行収入との情報があったのだが、実際は制作費とほぼ同額の宣伝費用をかけたと。
米中合作ということで中国の美人女優リー・ビンビンを迎えたが、表情のない顔でセリフも棒読み。ジェイソン・ステイサム=面白い映画という等式が頭の中にあった私には、いつか面白くなるだろうと期待していたが最後まで期待外れ。ステイサムに泳がせたり水中スクーターの運転をさせたりで007張りのアクションをさせたが、なんだかね、の違和感。こんな映画で頑張ってるステイサムが可哀そう。2018年の日本全国での各週末における興行成績1位になったことがある映画だと。うーん、聞かれれば「やめといたら」と。

2018年11月20日火曜日

ロバの耳通信「ザ・コンサルタント」「カンパニー・メン」

「ザ・コンサルタント」(16年 米)

このところ、前に見て面白かった映画を動画サイトで探し出して見ている。きっかけは、YouTubeの映画の予告編とかをダラ見していて、そうだこの映画面白かったからまた見よう、と。新作に私の好みの映画が少なくなっていることと、風邪をうつされるのと出かけるのが面倒で映画館に行かなくなったのもあるかも。
「ザ・コンサルタント」原題はThe Accountantつまり会計士。
貸借対照表を作成したり帳簿の誤りを直したりする専門職業で欧米では税理士の役割も兼ねる事が多い。オモテの顔は田舎の会計士、裏の顔は犯罪者の経理担当。兄弟は幼い時から厳しい父親に格闘技を仕込まれ、自閉症の兄は主人公の会計士に、弟はワル側の殺し屋に。このほかに財務省の役人やらロボット会社の社長やら個性的な役柄が出てくるが、優れた脚本のせいか全く混乱することなしに楽しめた。音楽もいい。自閉症の子役も取り澄ました表情の会計士、ベン・アフレックも魅力的だし、私のお気に入りのちょっと悪役顔のジョーン・バーンサル(米テレビ「Marbel」シリーズ(16年~)のパニッシャーや、ブラピ主演の「フューリー」(14年 米))や、クルーニーの「マイレージ・マイライフ」(09年 米)で助演女優賞ながら世界の各賞を総ナメにしたアナ・ケンドリックとか、こんな豪華な配役で利益が出たのかと心配になるくらい。<結果大当たりでぼろ儲けだと> うーん、良かった、また見よう。

「カンパニー・メン」(10年 米)
これも見るのが何回目の映画。リストラされたエリートたちが集まって事業を始めるというカンタンな筋書きながら、トミー・リー・ジョーンズ、ケビン・コスナー、ベン・アフレック、クリス・クーパーなど錚々たる配役。ハッピーエンドにしなければ、もっと骨っぽい映画にできたのにとつくづく思う。映画はエンターテインメント、まあ、いいか。失意のエリートを演じたベン・アフレックの妻役を演じたローズマリー・デウィット「シンデレラマン」(05年 米)ほか)が、夫がエリートのときは口うるさい鼻柱高妻だったのが家を失い、夫と子供たちが遊ぶ姿を見守る優しい妻とへ変身してゆく様がなんともよかった。

話題の新作の動画サイトへのアップロードを心待ちにしながらも、気に入った映画を何度も見て浸ろうとする自分がいる。要はワタシに残された時間が段々少なくなっているということだろう。

2018年11月15日木曜日

ロバの耳通信「魂のルフラン」

「魂のルフラン」(97 高橋洋子)

テレビのカラオケ番組を見ていて、鳥肌が立ってしまった。ガイジンがこの曲を歌っていて楽曲と透き通る声にマッチしていて、なんだこの歌はと。初めて聞いたのに、すっかりトリコになってしまった。そのあとwikiで調べたり、YouTubeでオリジナルやカバー曲を聞いて、ますます惚れ込んでしまった。
新劇場版エバンゲリオンというアニメの主題歌で高橋洋子が歌った曲だという。アニメには興味はないが、このエバンゲリオンの名前だけは知っていた。よく通った秋葉原のオタクショップにいつもポスターが貼ってあったから。ただ、この歌には聞き覚えがなかった。そのころ何をしていたのだろう。仕事以外のそのころのワタシの暮らしはどうだったのだろう。
オリジナルの高橋洋子の歌はもちろん良かった。渡辺江里子(阿佐ヶ谷姉妹)のカラオケも、声優ユニットRoseliaのカバーも、しょこたんの歌も良かった(しょこたんがこんなに歌がうまいとは知らなかった)。安室奈美恵にはスローテンポすぎた。アニメの綾波レイ Ver(林原めぐみ)は消え入りそうな声が良かった。

マイベストは中元すず香(SU-METAL/ BABYMETAL)かな。歌に入れ込んでしまって、音程が怪しくなってそれでもバックバンドに負けまいと、一生懸命歌っているのがいい。堪らないとはこういうことか。

2018年11月9日金曜日

ロバの耳通信「老乱」

「老乱」(16年 久坂部羊 朝日新聞出版)

「認知」のジジイとその家族の物語。ジジイと家族の両方の視点でストーリーが進む。最初に読んだカミさんはツケだとジジイに腹を立て、ワタシは壊れてゆくジジイを悲しいと。
ワタシには持病があって、近年は高血圧もある。先は長くないことはわかっているし、これまでの不摂生からよくここまで生きてきたとも思っているから、健康不安も「まあ、何で死んでもまあ、同じ」と開き直り、若いころほど「死ぬこと」が怖くはなくなっているが、この「認知」は怖い。自分がわからなくなってしまい、家族に大迷惑をかけるのが怖い。

この物語は、散々家族に迷惑をかけたジジイがまだらボケのまま静かに死ぬという「ハッピーエンド」で終わる。ジジイ本人も、厄介もののジジイがいなくなった家族もハッピー。ちょっと、キレイすぎていないか。

すべての人が「認知」になるわけでもないらしい。生まれつきの障害があったり、ガンや難病になったり、早死にしたり、長生きしたりは先祖も含め、誰かの不始末のツケなのだろうか。サイコロを振って、ソレを決めているのは誰なのだろう。

2018年11月4日日曜日

ロバの耳通信「イコライザー2」

「イコライザー2」(18年 米)

予告編がテレビやネットで繰り返され、ずっと見たいと思っていた。デンゼル・ワシントンは大好きだし、「イコライザー」(14年)も何度か見て、気分も盛り上がっていて、10月に封切りになってそろそろ映画館に行こうと思っていたら台風は来るし、寒暖差も気になって迷っていた。都市近郊に住んではいるが映画館に行くというのは、移動やら待ち時間やら、カミさん同行となるからその後の食事やら存外大行事なのである。


今日は寒くて、ずっと雨だったから動画サイトでこの映画がアップロードされていて小躍り。しかも字幕、デンゼル・ワシントンの低音の渋い声も楽しめた。自動字幕らしくておかしな日本語のところは結構あるが、原語は映画らしくスラングも少なくゆっくり目で十分楽しめた。
ストーリーは元CIAでタクシードライバーの主人公がワルモノをやっつける仕掛人(イコライザー)として活躍する冒険活劇。主人公はメッチャ強くて勧善懲悪のルールを外れることはないから安心して楽しめた。難はハリケーンの中の戦闘シーン。なぜ主人公が前に住んでいたところじゃないといけなかったかとか考えると、おかしなところもあったけれども面白かったからOK。繰り返された予告編では、主人公がサクっと悪党を懲らしめるところばかりだったが、映画はソレ以外のところがずっと、ずっと良かった。

2018年11月3日土曜日

ロバの耳通信「アメリカン・スナイパー」


「アメリカン・スナイパー」(15年 クリス・カイルほか 早川書房)は、映画「アメリカン・スナイパー」(14年 米)で主人公カイルが帰国後に元兵士ににテキサスの射撃場で殺される「前」までを描いている。文庫本約500ページは長い。イラク戦争で200人前後を射殺した、レジェント(伝説)と呼ばれるようになった米海軍特殊部隊SEALの兵士の自伝。ワタシには戦争経験はおろか訓練の経験もないから、キツイ、タイヘンと繰り返し時には誇らしげに語られる軍事訓練の描写は饒舌でもあり辟易。どうだ、こうやって奴らを殺したんだと追想し得意げに語られる戦闘シーンも、なんだか違和感を感じる。ああ、これもイラク戦争を戦ったアメリカ人の気持ちなんだなと。

クリント・イーストウッドの手による映画の方は、迫力のドンパチの戦闘シーンが続いたあとのラストに、帰国後のカイルと妻の暮らしが描かれ、突然のカイルが殺されたという短い字幕とそれに続くカイルの葬儀シーンで、これがヒーロー称賛の映画ではなく明らかに反戦映画だと知る。

スナイパーモノの小説や映画は多いが、小説ではスティーブンハンター「極大射程」(13年 扶桑社ミステリー)ほかベトナム戦争で活躍したアメリカ海兵隊退役軍人のスナイパーのボブ・リー・スワガーを主人公としたシリーズがいい。映画化「ザ・シューター/極大射程」(07年 米)もされている。
映画ならば断然ジュード・ロウがロシアの伝説のスナイパーのヴァシリ・ザイツェフを演じた「スターリングラード」(Enemy at the Gates 01年 米独英ほか)が最高。同じくロシアの女スナイパーのリュドミラ・パヴリチェンコの伝記映画「ロシアンスナイパー」(13年 ロシア)も地味だが良い作品。 


2018年10月24日水曜日

ロバの耳通信「海辺の生と死」

「海辺の生と死」(17年 邦画)

太平洋戦争末期に加計呂麻島(奄美群島)で出会った海軍中尉島尾敏雄、代用教員ミホの物語。同名の原作(13年 島尾ミホ)が元になっている。

ミホ(役名ではトエ)役の満島ひかりが浅黒い島の女を演じていて、中尉役の永山絢斗がゼンゼン似合わないのと反対で、なんとも役ピッタリなのだ。
満島の訛りがなんだかオカシイと思っていたが、満島のことを調べてみたら沖縄の出身だという、オカシかったのはワタシの方らしい。考えてみれば、コッチの言葉ではないのだ。それにしても、満島が歌う奄美島唄がいい、動画では字幕が出ていたが劇場映画ではどうなのだろうか、意味が分からない言葉も混じるが、意味が通らなくても聞いているだけで涙が出た。ジワジワ、ジワジワ沁みるような歌だ。

満島はもうそう若くもなく、そう美人でもなく、ゼンゼン色っぽくもないが、なぜかいとおしかった。抑えようもない喜びや、行き場のない悲しみを全身で訴えていた。ほかの女優でこの役をやれるのはいないと思う。
カメラワークは昔の日本映画を見ているようでなんだか懐かしかったが、子供たちや島の人たちの衣服、特にミホの喪服とか、小道具が妙に新しかったりして、細かいところの手抜きは残念。ただ、それらの小さな不満を全部チャラにできるくらい、満島が良かった。

「海辺の生と死」と「死の棘」は同じ舞台設定なのだが、一方は妻側から見た情熱的な出会いと妻の一途な思い、他方は夫側からみたその後で浮気をした敏雄と嫉妬に狂ったミホの諍いが延々と続く夫婦生活。

「死の棘」日記(08年 新潮文庫)の表紙に二人の写真がある。仲良しに見える。オリジナルの「死の棘」(81年 島尾敏雄 新潮文庫)が映画化(90年 邦画)された際のミホ役の色白の松坂慶子は白い顔に悋気の青筋をこめかみに立てて、敏雄役(役名はトシオ)の岸部一徳を毎日責めていた。松坂のミホはキレイだが心底怖かった。



2018年10月18日木曜日

ロバの耳通信「ノルウェーの森」

「ノルウェイの森」(04年 村上春樹 講談社文庫)

ずっと前に「何度か」読み始めたが、数ページで挫折していたからまた途中で飽きるだろうと読み始めたら、上下巻を一気に読んでしまった。下巻の表紙は深緑色地紋赤文字。ワタシの中の何が変わったのだろうか。「1Q84」(09年~ 新潮社)ですっかりまいってしまった青豆のような少女に会えることを、村上の本に期待していたのかもしれない。

「ノルウェイの森」にいたのは直子(ワタナベの親友キズキの幼なじみ、のちワタナベの恋人)やら緑(大学の同級生)やらレイコやらたくさんの女性が登場したが、青豆も青豆のようなコもいなかった。ただ、ただ甘やかされてわがままな哀しい女たち。振り回されて打ちひしがれてしまう男たち。
発行部数の累計が1000万部と、日本で1、2のベストセラーだと。単に流行(はやり)モノだったのかもしれない。ワタシにも青春があったから、ほかの多くの読者と同じく、ワタナベに共感するところもあったのだが、読み終えて残ったのは女性たちへの同情。好意やあこがれなんて感じない。青豆はあんなに恋しかったのに。
ワタナベは話が上手で親しくなった女性のほとんどとエッチをしていた。いつも女性の前ではあがってしまうワタシは好きになりすぎる気持ちをコントロールするのに精一杯で、とてもそれどころじゃなかったのに。

「ノルウェイの森」(10年 邦画)のワタナベ(松山ケンイチ)と直子(菊地凛子)のゼンゼンつまらない映画をガマンして半分だけ見ていて、「ノルウェーの森」がビートルズの曲だということも知らずにいたのだ。この映画も何度かトライした覚えがあるのだが、ワタナベも直子も、その他ほとんどの配役がことごとく嫌いになってしまった。「青いパパイヤの香り」(93年 ベトナム・仏)で新鮮な風を映画界に吹き込んだトラン・アン・ユン監督も日本語はダメらしい。ファッションモデルの水原希子に緑のセリフを棒読みさせてどうするんだ。
映画のチカラはすごいと思う、それ以来原作も、松山ケンイチと菊地凛子も遠ざけてしまった。菊池凛子のワガママ、ナマイキさは際立っていた。菊池は原作の直子に一番近かったのかもしれないのだが、とにかくコイツが嫌いになった。世界の各賞を総なめにして「バベル」(06年 米)の何かの賞をとった千恵子役の菊池も「」嫌いだった。原作を通しで読めたからといって、この映画をまた見る気にはなれない。原作も映画もそれほど好きってことじゃないらしい。うーん、単に菊池が嫌いなのかも。いやいや、原作本を嫌いになったのも、菊池のせいか(八つ当たり)。あ、2時間強のこの映画で良かったと思うのが、ワタナベが直子を失った喪失感に海岸で咆哮するシーン、だけ。

タブレットには「海辺のカフカ」(09年)「騎士団長殺し」(17年 ともに新潮社)の電子版をずっと未読のままにしている。さあて、どうしようか。

2018年10月16日火曜日

ロバの耳通信「亜人」

「亜人」(17年 邦画)


同名の漫画を単行本(桜井画門13年~ 講談社、同年から漫画雑誌 good!アフタヌーンにも連載)で、10巻以上あるボリュームを飛び飛びに読んでいて、「死なない人間」の再生の仕組みとか「黒い幽霊ー例の包帯のバケモノ<これが単行本の印象深い表紙になっている>とか、まあ、普通では考えられないとんでもないストーリーを楽しんだ。なんでもできる漫画の真骨頂というところか。
アニメ化(16年 劇場版、テレビドラマ版)は予告編や番組紹介動画をチラ見して興味を持てなかったが、実写化されたということで早速。

交通事故に遭うまで自分が亜人だと知らなかった研修医の永井圭役を佐藤健、テロリスト佐藤役を綾野剛、厚生労働省の役人戸崎役を玉山鉄二と今ハヤリの若手男優を置いたが、配役はどうだろうか。自分が亜人であることに思い悩む役柄だからだが、いつも難しい顔をしている綾野剛を、テロリスト役をとらえどころのない佐藤健のほうがずっと良かった気がする。包帯のバケモノののCGはゼンゼン気持ち悪くなく、自動小銃や短銃がいかにもプラスチックのピカピカだったり(まあ、しょうがないか)、発射音が単調だったり、細かいところで手抜きすぎか。
結果、漫画のほうが面白かったが、実写版もまあ楽しめた。実写は漫画を超えられないのか。漫画の実写化では木梨憲武&佐藤健主演の「いぬやしき」(18年 邦画)が話題になっているようだが、さて漫画を超えることができているのだろうか。

2018年10月13日土曜日

ロバの耳通信「タイタン」「ウォーロード/男たちの誓い」

「タイタン」(18年 米ほか)

このところ台頭著しいネットフリックス( Netflix)米オンラインDVDレンタル及び映像ストリーミング会社の作品。日本のDMMかGYAOといったところか。面白い作品も多いのだが、「タイタン」を見るとやや粗製乱造といわれてもしょうがないんじゃないか。

人口過剰で土星の惑星タイタンへの移住を進めるために、タイタンの過酷な環境に適合できるようにボランティアの人体改造を試みるが、改造されたボランティアがバケモノになってしまうというなんともハチャメチャSF。原作がイイカゲンなのだろうが、改造された男に拒絶反応がでてきたところぐらいから、今まで何とか付き合ってきた話のスジが崩れ、ラストに突然改造マンがタイタンに降り立つ。これで、人類のタイタン移住のプロジェクトの本格稼働というハッピーエンド、なんだこれは。主人公に「ターミネーター4」「アバター」(いずれも09年 米。「アバター」では主人公ジェイク・サリーで一気に有名になった)サム・ワーシントンをもってきたが、うーん、とにかく表情がない役者。テレビシリーズでは頑張っているらしいけれど。

「タイタン」で消化不良になったから、何度目かの「ウォーロード/男たちの誓い」(07年 中国・香港)を口直しに。何度みても面白いのは、史実に基づいた丁寧なストーリー展開に加え、大ファンのジェット・リーとアンディー・ラウが出ていて、極めつけは女優シュー・ジンレイが美しいから。役柄、薄汚れボロをまとっているがなんともいえないくらいだ。若い頃のチャン・ツィイーにもまいったが、この中国女優の美しさは類をみない。

2018年10月9日火曜日

ロバの耳通信「子犬のように、君を飼う」

「子犬のように、君を飼う」(09年 大石圭 光文社文庫)

マカオに賭博に行ったバツイチの作家が、マカオで中国人の少女を買いホテルへ連れ帰るとう、「夢」のような物語。ロりの小金持ちがカジノに勝って気が大きくなって、娘のような少女をモノにしようと散財するというただのエロ小説。裏表紙の本の紹介には”異端の純愛”とか”究極の恋愛”とあったが、なんだか違う気がする。見えるのは中年男性の汚らしさやすれっからし売春婦のしたたかさ。その両方共を精一杯美化しようとしている。それができていないから普通に薄汚れた世界が見えるだけの変態小説。
金があれば何でもできるのだろうが、金で買ったり欲に惹かれても純愛の気分は味わえるのだろうか。
エピローグは、少女に一緒に日本で暮らすことを約束して別れ、帰国する飛行機の中。たぶん、思い通りにはいかないとココロの底ではわかりつつも、日本での少女との暮らしの困難さに思いを馳せ、あげくのはては”まあ、なるようにしかならないさ”と、もう忘れてしまおうとしている中年男のズルさの暴露がこの作品のウリなのか。それなら、本編のエロ小説を短く切り上げ、この少女との日本での暮らしと別れを残酷に描いてくれたらいい作品になっただろうと思う。残念。

2018年10月2日火曜日

ロバの耳通信「ジャッジメント・フライ」「ハイヒールの男」「ベルリンファイル」「闇刻の宴」「列車に乗った男」

この夏何度目かの大型台風。どこにも出かけられず、結局、GYAOに頼ることになってしまった。カーテンを閉め、雨と風の音を聞きながらの映画会。カミさんは一日中、本を読んでいた。

「ジャッジメント・フライ」(13年 米)
原題がChariot。チャリオットはアラスカに核爆発で港を作るという計画、もちろん実施されず。映画のなかでは政府による陰謀ということだけで、内容はあきらかにされていない。行方不明になっていた米のボーイング727に、本人の意思ではなく乗せられた8人の乗客がパイロットのいない飛行機を操縦し、ワシントンDC空港に降りようとする。ストーリーの合理性もあったもんじゃなかったが、舞台劇のような緊迫感が伝わってきて楽しめた。5点満点の3点


「ハイヒールの男」(14年 韓)
公開時に見たのだが、面白かった記憶がありまた見てしまった。ホントは女になりたい凄腕の刑事<チャ・スンウォン>の物語でハードボイルドとアクションを楽しめた。韓国の刑事モノは結構面白い。5点満点の4点

「ベルリンファイル」(13年 韓)
これも再見。ベルリンを舞台にした南北の謀略モノ。韓国情報局員<ハン・ソッキュ>と北朝鮮諜報員<ハ・ジョンウ>の韓国2大スターが渋い演技で良かった。ワタシ的には北のハ・ジョンウ妻役<チョン・ジヒョン ( 「猟奇的な彼女」01年、「デイジー」(06年)ほか>が、変わらぬ美しさで、彼女を見たいためだけにこの映画を再見したようなものだ。5点満点の5点


「闇刻の宴」(15年 邦画)
オムニバスホラーときた。観客を怖がらせてホラーなのだということを、監督も脚本家も忘れている。女優にギャーっと怖がらせても、それをハタから見ているだけだからわざとらしく、ただシラケる。
オムニバスは使える時間が限られているから恐怖を圧縮してめっちゃ怖がらせてほしいのだ。つまらない短編を詰め合わせても、上映時間のための時間稼ぎだと思われるだけ。6編らしいが、ガマンにガマンして3編を見て挫折。後半に期待なんかできない前半の倦怠感。5点満点の0点。時間のムダを保証。

「列車に乗った男」(02年 仏独ほか)
フランスの名優ジャン・ロシュフォールとジョニー・アリディのために作られた映画。昔のフランス映画の伝統のノワールの香り一杯。アウトローにあこがれる初老の元国語教師と落ち着いた暮らしを考え始めた流れ者が出会い、別れてゆく。ワタシ、流れ者役のジョニー・アリディの大ファンで、この映画も3度目かそれ以上。ジョニーは現役のロックスターで「あの」シルビー・バルタンの元ダンナのプレイボーイとしても有名。香港を舞台にした「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(09年 仏香港)が特によかった。
「列車に乗った男」は派手さも、ジェットコースターのような活劇もない映画だが、ジワーっと、オトコの心に浸み込むような映画。ジャン・ロシュフォールもジョニー・アリディも昨年亡くなってしまった・・。5点満点の5点

2018年9月26日水曜日

ロバの耳通信「神様のカルテ」「舟を編む」

「神様のカルテ」(夏川草介 11年 小学館文庫)

軽い読み出しで始まる。最後まで、「草枕」の漱石風の語りは変わらない。平坦な語りの中で展開する物語の、患者、看護婦、同僚の医者、下宿先の住人、飲み屋の主人、カメラマンの妻・・登場人物すべてへの、また彼らすべてからの優しさが快い。

24時間365日を標榜しているために慢性人手不足になっている地方病院の若い医者が日々の医療に追いまくられ、大学病院からの招へいに気持ちが動く、という「よくありそう」な物語なのだが、後半の高齢のガン患者の看取りのところでは涙が出た。主人公と周りの人たち、特に妻ハルとの会話がとても軽妙で、優しい。こういう医者でありたい。こういう患者でありたい、こういう夫でありたい。

たくさんは語らない夫婦の日々の会話がなんともよかった「舟を編む」(三浦しをん 11年 光文社文庫)を思い出した。

両作共、本屋大賞を獲っていて、映画化もされている(「舟を編む」(13年)のほうだけしか見ていない)が、両作とも妻役が宮崎あおい。うーん、世間的には理想の妻の姿が宮崎なのか。うーん、嫌いだとは言わないが・・。

2018年9月20日木曜日

ロバの耳通信「スカイクレーパー」「アップグレード」

「スカイクレーパー」(18年 米中)


香港の超高層ビル火災と脱出劇。現役プロレスラーでもあるドウェイン・ジョンソン(リングネーム「ザ・ロック」)が元FBIでビルのセキュリティ責任者ーが炎のビル内に取り残された家族を救出するために、国際的なギャング団と戦うというアメリカらしいアクションヒーロー映画だが、ビルの火災やインテリジェントビルのCGがよくできていて楽しめた。映画は娯楽。映画館の大きな画面と大音響で楽しむことをおすすめする。

米中合作というが、どういう「合作」なのかは興味あるところだが、アメリカと中国の貿易戦争がさらに悪化しつつある今日。なんだかんだ言っても、ソレとコレは別のハナシなのだろうか。


「アップグレード」(18年 米豪)

今年6月に本国では公開されソコソコ好評だったらしいが、日本公開は未定とのことで邦題も仮題とのこと。B級らしく、配役も女刑事役で目玉グリグリの黒人女優ベティ・ガブリエル(ホラー映画「ゲットアウト」(17年 米)では家政婦役で好演)以外は知らない役者ばかりだったのだが、原作のせいか、脚本が良かったか、ともかくめっちゃおもしろかった。

原題はUpgradeで、コンピュータでソフトウェアを最新版にすること。映画の中でステムと呼ばれる体内コンピュータが暴走し、組み込まれた人間を操作するようになるというストーリーは噴飯モノなのだが、コンピュータと神経をつなぎカラダを動かすとか、ありそうな話に作られていて結局最後までドキドキで見てしまった。
近未来の自動運転車や音声コントロールの居室がよくできていて、モノグサなワタシはちょっと憧れた。いい女刑事役ベティ・ガブリエルが簡単に殺され、ラストのつじつまの合わなさはクエスチョンマークが付いたままだったが、半身不随になりコンピュータを埋め込まれた夫と殺されたはずの妻(無名だがカワイイ)のハッピーエンドで終わったからまあ、いいや。

2018年9月17日月曜日

ロバの耳通信「Banshee/バンシー」

「Banshee/バンシー」(13年~16年 米テレビドラマ)

アメリカのテレビドラマは面白い。やめられない。やっと「ウォーキング・デッド8」を見終わったばかりだというのに。
ペンシルバニア州のバンシーという小さな町に巣くうワルモノたちの物語。果てしない暴力とセックス。こんなのをテレビで放送してるのか。言葉も4文字の繰り返し。

登場人物はほとんどワルモノ。それが皆いい演技をして、毎回ハラハラ、ドキドキの繰り返しだ。シーズン4全38話、ワルなりに個性ある役を得て光った役者が次々に殴られ、撃たれ死んでゆく。それほど有名な役者ではないから、どのドラマを見ても皆同じような役ばかりで有名なタレントが、面白みのない演技をしている日本のテレビドラマとはわけが違う「贅沢さ」だ。特にワル悪玉の護衛役マシュー・ラウチ、女警官役トリエステ・ケリー・ダンなんて主人公のフッド保安官役アントニー・スターをはるかに凌いでいた。このふたり、メッチャ好きになってしまった。トリエステなんて部下を持ったりして、挑むような眼で迫られたら、保安官じゃなくてもオカシクなってしまうだろう。
ストーリはカンタンで、ニセの保安官、これが訳ありでめっぽう喧嘩早く、強い。この保安官が昔の仲間たちと町のワルを次々に片づけるだけのもの。シーズン4で終わって、主人公やその仲間が生きているから、シーズン5以降も作られるに違いないと期待。それまでのあいだ、何を見ようか。



2018年9月11日火曜日

ロバの耳通信「ひとは情熱がなければ生きていけない」 「てのひらの迷路」 「ぬばたま」

「ひとは情熱がなければ生きていけない」(07年 浅田次郎 講談社文庫)
「てのひらの迷路」(07年 石田衣良 講談社文庫)
「ぬばたま」(10年 あさのあつこ 新潮文庫)

台風でどこにも行けず。このところ「流転の海」(90年 宮本輝 新潮文庫)の8部作のうちの4冊を集中して読んでいたのでアタマが「流転の海」漬け状態。面白い本だとつい嵌まり込んでしまう。で、気分転換に短編集を3冊。

「ひとは情熱・・」なんて長い名前なんだ。おまけに<勇気凛凛ルリの色>なんて副題もついている。エッセイやら講演会の記録やら折り詰め弁当風だが、浅田次郎らしいヒカリモノもあって楽しめた。”自分の書いたセリフで泣くうちは、小説家もまだまだ”(「鉄道員(ぽっぽや)」余話)なんてところ、良かった。

「てのひらの迷路」、石田は「4TEEN(フォーティーン)」以来だったけれど、やはりプロの小説家というのはすごいと思う。20余の短編がすべて珠玉の掌編。膨らませればどれもいい作品になりそうなくらい。ワタシも一時モノカキになる夢を持っていた時期もあったけれど、こういう優れた短編を読まされると、「まいった」。増長して鼻高になっていたシロートのワタシはひっぱたかれた気分。はい、ワタシが悪うございました。

「ぬばたま」これは怖かった。「残穢(ざんえ)」(15年 小野不由美 新潮文庫)以来か、本読んでゾッとしたのは。出だしから、ヘビだらけ。ただでさえ怖い色白のウツクシイ女と天井から落ちてくるヘビなんて。夢に見てしまった。あさのあつこって、こんな作家だったのか。引き出しの多さに脱帽。

2018年9月6日木曜日

ロバの耳通信「北斗 ある殺人者の回心」

「北斗 ある殺人者の回心」(15年 石田衣良 集英社文庫)

600ページ近い大作であるが、長さは感じさせない。前半は父母による家庭内暴力に晒される少年「北斗」の物語、後半は「北斗」が殺人罪で裁かれる裁判劇。
読後すぐには、少年が殺人を犯しながらも少年時代の虐待を理由に、罪を軽減されたことについての不条理を感じた。殺された2人はいわば成り行きで殺されたわけで、殺されるほどの理由を見いだせなかったから、いくら少年の生い立ちが不幸だったからと言っても「おいおい、それはないぜ、大した理由もなく殺された人たちって、どうなの」となんだか不満が残ってくすぶっていた。
しばらく経って副題が「ある殺人者の回心」とあったことに気づいてしまった。回心を「カイシン」(キリスト教の用語)と読むか「エシン」(仏教用語)と読むかでかなり意味も変わるから、奥付けのフリガナで「カイシン」と確認。ああ、作者の意図はここだったかと、自得した。
ワタシなりの解釈だが、試練(父母による虐待)により成長した少年が大きな罪を犯しながらも、自らの周りの神、すなわち大きな試練をくれた父母、愛してくれた恋人、育ててくれた養母、見守ってくれた保護司、物分かりの良い国選弁護士、そして待つことを約束してくれた義姉、その他たくさんの神のしもべに救われ更生の道を歩むのだろう。そうか、これはこういう物語だったのか。とはいえ、こんな酷い虐待を受ける子供に生まれたくはない、神に近づくことができるにしても、だ。

この物語は花村萬月に書いて欲しかった気がする、より残酷に、より神との邂逅を渇望し、それを得られない物語を。


2018年9月2日日曜日

ロバの耳通信「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」

「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」(18年 米)

「マンマ・ミーア!」(08年 英・米)の続編だと。本編はいい年をしたオバさんとオジさんがABBAの曲に合わせて踊り狂うというミュージカル映画で、騒々しいだけで面白くもなんともなかったことをハッキリ覚えていて、乗り気じゃなかったけれど、「ヒヤ・ウィー・ゴー」に日本のお笑いタレントが出てると話題になったり、封切り後の評判もまずまずということでチャレンジ。くっそー、やっぱり面白くない。前回踊り狂ってたオバさんが、10年後の続編ではオバーさんになって踊りくるっている。

メリル・ストリーブやジュリー・ウォルターズ、元気そうに踊ってるけれどどこかの施設でやらされている健康体操 や盆踊りのノリ。一緒に踊ってるメリルの娘役のアマンダ・サイフリッドなんてこういう動きのある映画って無理じゃないかな。表情も女優って感じはしない。「レ・ミゼラブル」(12年 英)のコゼット役で哀しそうな顔して突っ立ってるのがいいところだって。
「マンマ・ミーア!ヒヤ・ウィー・ゴー」は本編のその後と本編登場人物の青春時代だって、ムリだってそんなストーリー展開。舞台劇のミュージカルが先にできた映画作品にストーリーもあったものじゃないけれど、いま踊ってるのは△△役の青春時代とか設定されてもね、違う役者だから顔も表情もゼンゼン違うんだもの、こちらのアタマがついていけませんって。こういう流行り映画って、聞かれればアソコが良かったよねと、若い人に迎合して答えることもあるけれど、コレはイケない。10年前のオバさん、オジさんだった観客に、あら懐かしーといわせるだけの映画。

2018年8月24日金曜日

ロバの耳通信「君の膵臓を食べたい」「ウンギョ」

「君の膵臓を食べたい」(17年 邦画)


原作本(15年 住野よる 双葉社)や漫画を見、実写版の予告編をYouTubeでチェックして「見ない」ことにしていたのだが< http://robamimi2.blogspot.com/2017/08/ (8月7日ブログ)>、テレビ放映があり録画していたものを台風の夜に。気温は30度を越え、外はすごい嵐で窓を開けることもできず、締め切った居間で夜中にひとりでみることになってしまった。いや、前文が長くなったのは、照れ隠しなのだが、つまり、その、主人公の少女山内桜良役を演じた浜辺美波が良かった。実に良かった。うん、それだけを言いたくてね。 <映画ポスター左上>

「ウンギョ」(12年 韓)

老年の詩人とその弟子の青年のふたり暮らしの家にお手伝いとしてはいった女子高生ウンギョ(キム・ゴウン)。詩人はウンギョの若さが羨ましく、ウンギョは青年にとっては欲望の対象。詩人はデキてしまった若いふたりの性愛を覗くしかない。ストーリーは下世話だが韓国ベストセラーの純文学の映画化だと。原作を読んだ気もするのだが、邦訳はないようだしYouTubeの予告編か映画評を見たのかもしれない。
キム・ゴウンは20歳を超えていたはずだが、女子高生の制服がよく似合う。韓国女性らしい腫れぼったい一重瞼は整形していないということなのだろうか。白っぽい服を着た時の透明感とそれを脱いだときの色気がアンバランスで、それがいい。

キム・ゴウン。全然キレイな女優でもないし、好きなタイプじゃないのに「コインロッカーの女」(15年 韓)、「トッケビ」(16年 韓ドラ)と追っかけのように彼女を探している自分に気付く。
昔の誰かに似ているのだろうか。