2017年12月25日月曜日

ロバの耳通信「ゲット・アウト」

「ゲット・アウト」(17年 米)

親しくなった白人娘の実家に挨拶にゆく黒人青年。娘の実家は南部の素封家。青年はまだ無名の写真家で孤児。白人金持ちファミリーの中に一人のふつうの黒人。一家で歓迎されているようだが、コイツ何しに来たんだと、ジロジロ見られ、ヒソヒソと陰口をたたかれているーような気がする、と思わせて・・ウラがあり、その実とても歓迎されているのだ。オイオイ、なんだかおかしいぞ、この展開。娘の母親、催眠術を使う心理療法士役の名優キャサリン・キーナー(「マルコビッチの穴」(01年))の微笑んだ顔がめっちゃ怖い。物分かりよさげな医者ー娘の父も怖い。娘の弟も怖い。みんな、みんな怖い。

ストーリー展開と効果音楽がジワジワと「予想できない不安」だから、心底怖い。人種差別問題を正面に押し出した社会派映画ではないが、アメリカの拭い切れない黒人差別の歴史は怪談映画の沼に浮いた戸板の裏。ひっくり返せば必ずオバケがいる、暗い廊下の奥にはいつも何かが潜んでいる。この映画を普通にみてるとヒドイ目にあうよ、脳を開くシーンとか、とんでもないシーンまであるホラー映画だから。白人は怖いよ。最近見たなかじゃあ、1、2番の怖い映画かな。

ゲット・アウトは「出ていけ!」、セリフにもでてくるが、文字通りの意味、お前らは入れてやらん。

2017年12月23日土曜日

ロバの耳通信「草にすわる」「心に龍をちりばめて」

「草にすわる」(06年 白石一文 光文社文庫)「心に龍をちりばめて」(11年 新潮文庫)

「草にすわる」には「草にすわる、砂の城、花束」の3中編、「心に・・」は女性が主人公で同級生の元ヤクザとの邂逅を描いた、登場人物を思い切りステレオタイプに描いたマンガや映画のような作品。設定は嫌いじゃないが。

「草にすわる」はまあ、心中物語をハッピーエンドで楽しめたからいいが、初めての白石一文の主題が自殺、病院や継子だと知った。カミさんが白石作品は暗いからキライだと言っている理由もなんとなくわかる。

主人公の何もしないと決めた5年間にちょっとあこがれたが、心中相手の曜子(なぜか作品中ではずっと”さん”付け)が、私にはちっとも魅力的でなかった。どの小説でも重要な役割を持ち描かれる女性像は、だいたいは魅力的に思えるのだが、白石の作品に出てくる女性はほとんど私のダメな「しっかり」タイプ。うーん、好みが違うということだけなのだろうか。「草にすわる」では、若くして妻子を残し30歳で死んだ詩人八木重吉と残された家族の不幸を引用しているが、作品の主題もこれ。八木重吉の悲しさは伝わるが、白石の気持ちは伝わらない。「砂の城」は文学者が自説を述べるというだけの作品で、白石の意図がコレだとしたらつまらない。「花束」は白石が文芸春秋で記事を書いていた経験で書いたらしい経済小説で、この手の作品に必要な「臨場感」「切迫感」が思い切り欠けていて入り込めなかった。どうして「花束」なんて名前にしたのか。場違いな花束にこじつけられたエンディングのせいで作品がダメになっている。ちっ(舌打ち)。

「心に・・」の幼なじみの元ヤクザ優司がやたらと格好良い。ふるさとと縁が切れてしまった私にはいない幼なじみがうらやましい。優司に”俺は、お前のためならいつでも死んでやる”と言われた美貌の主人公の「魅力」が描き切れていないのが残念。

ハイライトの主人公が、婚約相手の母親にタンカを切るところ、うんうん、気持ちはわかるけど、ほぼ2ページを費やす長いタンカはやたら饒舌。声高の長いだけのタンカは相手を怒らせるだけで、自分の気持ちを伝えることも、自分の高ぶりを収めることもできない。

と、白石には文句タラタラだが、この4作品の出来、不出来を考えると、「当たり」もありそうな気がする。ほかの作品も読んでみよう。

2017年12月14日木曜日

ロバの耳通信「64(ロクヨン)」

「64(ロクヨン)」(16年 邦画)
同名の原作(横山秀夫 15年 文春文庫刊)を先に読んで、書評記事からNHKテレビドラマや映画があることを知ったが、テレビドラマは主人公役をはじめ配役が好みに合わず、映画は前後編合わせて4時間ということで躊躇。猛暑続きの日々、出かけるのも億劫。エアコン効かせて遮光カーテン閉めてひとり映画会。

主演の佐藤浩市をはじめ錚々たる配役。キーとなる人物にキチンとスポットが当たっていたから登場人物の多さも気にならず、小田和正の「風は止んだ」が流れるエンドロールまでしっかり楽しませてもらった。映画の結末は原作のソレよりひねったシナリオで久松真一(脚本)の面目躍如といったところか。原作ー映画と二度楽しめた。登場人物の顔と性格を脳に刷り込んだところで、もう一度、原作を反芻したいと思う。横山秀夫はいい。

2017年12月11日月曜日

ロバの耳通信「恥辱」

「恥辱」(07年 カーリン・アルヴテーゲン 小学館文庫) 

なんだかイヤらしい名前の本で図書館の貸出申込みの際ちょっと気になったが、図書館のオジサンはいつものようにシレっと貸してくれた。当たり前か。直訳は「恥」だが、同名で有名な本がある(89年 サラマン・ラシュディ 早川ノベルズ)からか。「隠し事」くらいにしてほしかった。

カーリン・アルヴテーゲンはスウェーデン版「パトリシア・ハイスミス」といったところか。うん、もっと怖いが。
「喪失」(04年 同 シリーズ2作)が私にとっての初見。暗い物語で、奥に行けばゆくほど恐ろしいものが出てきて、帰りの道も分からなくなり途方に暮れてしまって、この一作でオシマイにしていたのが約10年前。まだ、自分に力が漲っていて、怖いもの見たさを探さなくても十分怖いことが溢れていたから、それ以上を求めなかったのだろう。先がそう長くなくなった今、畏れや、もろもろへの躊躇がなくなってきたのは良いことか、悪いことか。

「恥辱」(シリーズ3作)は兄の死に囚われた完璧主義者の女医がオカシクなってゆくメインストーリーに加え、肥満のためヘルパーの力を借りなければ暮らせなくなった女の物語で共通する「孤独」が限りなくて怖い。著者も若いころに兄を事故で亡くし鬱に苦しんだというから、感情描写は真に迫る。

「裏切り」(06年 同 シリーズ4作)の主題は表題そのもの。2組のカップルが不倫の疑いで憎しみ合うという出口のない物語。圧巻は夫の妻への一言「きみといても楽しくない」、こう言われたら確かに返す言葉はないであろうし、私なら途方にくれるに違いない。シリーズ1作の「罪」(05年)、シリーズ5作の「影」(9年)があるし、ほかにも何作かあるらしいが、読んでゆくほど棘(トゲ)が刺さってゆくような物語は疲れるから、しばらくお休み。このシリーズを訳している柳沢由美子の訳のうまさには感心。女性原作+女性翻訳の組み合わせは、私にとっては鬼門なのだが、アルヴテーゲンと柳沢は相性も良いらしい。

柳沢の翻訳で秀逸だと思うのは「笑う男」(05年 ヘニング・マンケル 創元推理文庫)。下手な翻訳のために面白い作品がワヤになった作品を知っているが、柳沢は実にうまい。ベストセラーになった「笑う警官」(13年 角川文庫)など「マルティン・ベックシリーズ」「ロセアンナ」から「テロリスト」まで マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 共著)も柳沢の翻訳。

ずいぶん昔の話だが、このマルティン・ベックシリーズ」の英語版の何冊かを辞書片手に苦労して読んだ覚えがあり、当時仕事で付き合いのあったスウェーデンの人にマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーという作家を知っているかと尋ねたら、破顔一笑、スウェーデンではとても有名な作家で、日本人がなんで知っているんだと、ハグされるほど喜んでもらえたのを思い出した。
 

2017年12月7日木曜日

ロバの耳通信「あの頃、君を追いかけた」

「あの頃、君を追いかけた」(那些年,我們一起追的女孩 11年 台湾)


この年になっても、ふとしたことから甘酸っぱい思い出に浸ってしまうことがある。そういう映画。5人の男子高校生と口うるさい女子優等生役(ミシェル・チェン)の物語で、「青春は恥と公開と初恋で作られる」というのが日本版予告編のキャッチ。なんだか照れくさいのだが、こんな自分にも青春はあったのだ、間違いなく。

「改札口の紺色の群れに目を凝らし」

ワタシの場合、電車通学だったから帰りが後先になってもどちらかが待っていれば駅で必ず会えた。ちょっとした行き違いが重なり疎遠になったあとも、顔を見たくて改札口から流れて来る紺色の制服の中に君を探したものだ。台湾の男子高校生のように、にぎやかでも元気でもなく、ただの根暗のガリ勉だったから。そう、いまのストーカーに近い。

来年には日本でのリメイク版が出て、男子高校生のあこがれの優等生役は乃木坂46の斎藤飛鳥だと。うーん、ちょっと可愛すぎかな。ミシェル・チェンのちょっとナマイキな姉さん風が出せるといいのだが。

テレビの懐かしの歌特集の前宣番組に出演していた太田裕美を見て「木綿のハンカチーフ」(75年)の出だしの旋律を思い出した。つながって「春なのに」(83年 柏原芳恵)も記憶の底から出てきた。いろんなことを一度に思い出して、ちょっと鼻がキュンとなった。

2017年11月26日日曜日

ロバの耳通信「猿の惑星:聖戦記」

「猿の惑星: 聖戦記」(グレート・ウォー 17年 米)

猿の惑星シリーズでは9作目になるらしいが、第1作「猿の惑星」(68年 米)のラストで宇宙飛行士テイラー(チャールトンヘストン)が猿に支配された惑星だと思っていた海岸で自由の女神像を発見してそこが変わり果てた地球だと知り絶望するシーンは半世紀たった今でも忘れることができない。以降、シリーズ作品を何作かみたがどれも「イマイチ」の感があった、それは「猿」の特殊メイクの拙さか、「猿対人間」のステレオタイプ・ストーリーの稚拙さか。

「聖戦記」の主役は前作品と違い「猿」。主人公シーザー役のアンディー・サーキスとその特殊メイクが素晴らしかった。

アンディー・サーキスは俳優というより、「ロードオブザリング/ホビット」シリーズ(01年~ ニュージーランド・米)のゴラム、「キングコング」(05年 ニュージーランド・米)など今やモーションアクターで有名になったが私の好きな役者。あたりまえだが、「聖戦記」シーザーの目はアンディーのものだった・・ような気がする。それにしても、昨今の特殊メイクはすごい。

2017年11月22日水曜日

ロバの耳通信「スコーレ No.4」

宮下奈都「スコーレ No.4」(09年 光文社文庫)

「羊と鋼の森」(15年 文芸春秋社)で宮下の本を初めて読んでマイってしまい、この作家の本を読みたいと思っていていたら、カミさんが図書館に予約していたこの「スコーレ No.4」を読むハメになってしまった。「ハメ」としたのは、カタカナに加えNo.4と数字付きの名前の本で、しかも(偏見だがあまり、いい本に当たっていない)光文社ということで、とっかかりに悩んでいたが、読み始めたらすっかり魅入られてしまった。

巻末の解説を文学評論家の北上次郎が解説の半分を引用に費やし、”文章を味わいたい”(北上)と書いているが、本当に、この本のどこをとっても、丁寧で優しい。一人の女性が中学、高校、大学、就職と4つのステージを経ながら、家族や友人との優しい関係のなかで育ちながら、少し離れたところから冷静に、自らの心情を記録している。山も谷も、憎しみや嫉妬もないが、悩んでいたいつかの自分もこうだったんだと、いたく共感。手許において、何度も読みたくなるほどお気に入りとなった。


2017年11月21日火曜日

ロバの耳通信「ミッドナイト・エクスプレス」

「ミッドナイト・エクスプレス」(78年 米)

ハシシの持ち出しのためトルコの刑務所に入れられた主人公が劣悪な環境の檻の中でイジメにあい、はてはあやしげな裁判のやり直しでさらに30年の刑を宣告され、ミッドナイト・エクスプレス(脱獄)を試みるという物語。たくさん出てくるステレオタイプのトルコ人が皆、一様に太っていて、残酷で、強欲で意地がわるい。ハシシの持ち出しなんかするからだとも思うが、なんでもありの不条理な檻で一生を過ごすなんて考えただけでも恐ろしい。
トルコ当局がこの映画のトルコ人の描きかたに抗議したとのことだが、ガイジンなんてそんなものだろう。理解できないものは怖いのだ。日本に住むガイジンも日本と日本人に同様の気持ちを持っているだろう。
中国の仕事を始めたときに、言葉のわからない群衆の中に放り出され途方にくれる夢をよく見た。大声で罵られ、指さされて汗びっしょりで起きた布団のなかで、我が家にいることに安堵のため息をついたものだ。

オリバー・ストーンの脚本だから容赦ない。ただ、ノンフィクション小説の映画化といいつつ、脱獄はこんなのアリかよというあっけなさ。うーん。

2017年11月13日月曜日

ロバの耳通信「グランドマスター」「フラッシュバック」

「グランドマスター」(13年 香港)

予告編を見て以来、ずっと動画を探して やっと見つけた日本語字幕版、一度に見るのが惜しくて少しずつ楽しんでいる。ひと月前に中国サイトで見つけた中国語とスペイン語の字幕つきでは、大好きな トニー・レオンとチャン・ツイーの意味不明のやり取りの意味が分からずもどかしい思いをしていた。オープニングのトニー・レオンの格闘シーンは土砂降りの 雨の中。高速カメラで捕らえた雨粒が美しく、ここはセリフもなく楽しめる。PCだけれども画像はキレイで、重低音仕様のJVCのイヤフォンで、暗い部屋で見れば映画館。使い勝手の良い動画アプリのおかげで、いい所を何度でも楽しめる。格闘シーンをスローにしたりして、牛のように反芻しながら見ている。

当時34歳のチャン・ツイーは十分に妖艶 で、いくつも違わないはずの韓国女優ソン・ヘギョの気高さと競っていて魅力的。私のチャン・ツイー好きはチャン・イーモウ監督の映画「初恋のきた道」(99年 中国)以来 のスジガネ入りなのだが、韓ドラ「その冬、風が吹く」(13年)で好演したソン・ヘギョにもちょっとまいってる。

「フラッシュバック」(08年 英)

007 のダニエル・クレイグが自分のために作った映画。ダニエルは落ち目の男優の役。「CSIニューヨーク」(04年~ 米TV)に出ていたクレア・フォーラニやオリヴィア・ウィリアムズなど など、魅力的な英女優がワキを固めていて楽しめた。英映画らしく、ロングショットの海辺や古い家が美しく、海の近くで育ったわけでもないのになぜか郷愁をそそられた。青春の苦い思い出の回想シーンもなんだかなつかしい。秋の夜じっくり楽しむ映画か、涼しくなったらまた見よう。

2017年11月8日水曜日

ロバの耳通信「さよなら、海の女たち」

「さよなら、海の女たち」(88年 椎名誠 集英社)

海のそばで生まれ(と、聞いた)、海のそばで子育てをし(カミさんが)、早朝には遠い汽笛が聞こえるところに住んでいる私には、海には強い思いがある。

図書館の棚の青い背表紙とタイトル、著者名をみて「発作的」に借り出してしまった。

いつものシイナの本は寝っ転がって読むにに最適。

どれも、伝えられない思いがありもどかしく感じながらもそのままにして、いつまでも気にしてしまったり、ずっとあとになって思い出しすこし辛くなる、そんな短編集だった。もっとも印象に残ったのが、最終話の「三分間のサヨウナラ」。女のコと付き合いたくて、映画を撮るという口実で誘い失敗。ずっとあとにそのコからの手紙が来るというだけなのだが、自分にもそんな経験があってシミジミ思い出してしまった。

雨の日のウインカーの動きを、カマキリの腕に例えたところもよかった。シイナの物語にはよく昆虫とか魚の話がでてきて、「秘密宅急便」では”坂道を真面目な昆虫のように一歩一歩真剣にのぼっていった”とか、なんだか和む。

シイナの本は体調がイマイチだったり、ちょっと不安があったりしたときに「第3類医薬品」くらいの役に立ちます。

2017年11月3日金曜日

ロバの耳通信「her/世界でひとつの彼女」

「her/世界でひとつの彼女」(13年 米)

手紙の代書屋を職業とする寂しい男とオペレーティングシステムサマンサの恋物語。耳に突っ込んだイヤフォンの中から聞こえる彼女は、人工知能のOS。実態はないから、キスもセックスもなし。字幕版の彼女の声はすこしハスキーで馬鹿笑いも大声もださないスカーレット・ヨハンソン、とてもセクシー。なんでも話せて、いつでも相手をしてくれる。まいったなー、これはワタシの理想じゃないか。

理想の彼女は何でも言うことを聞く女でも、いつでもサセてくれる女でもない。エッチな関係がないのだから、彼女を友人と置き換えても同じだ。背負うべき義務もどんなメンドウな責任もない。

恋に落ちたサマンサのことを打ち明けられたガールフレンドは、彼の新しい恋を狂気と言う、離婚手続き中の妻も。うん、こういうのって女にはわからないだろう、ゼッタイ。とにもかくにもこの映画は恋愛映画だから、理不尽な別れが突然やってきて、寂しい男はまたひとりに戻る。結局、理想の恋なんてないってことか。

あ、それとこの映画の声だけのサマンサが、ワタシも好きになった。サマンサが恋しい。

2017年10月29日日曜日

ロバの耳通信「IT/イット”それ”が見えたら、終わり」

「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」(17年 米)

原作「IT」(94年 スティーブン・キング 文春文庫)第4巻まである長編を読んだ記憶はあったが、ずいぶん前なので筋もおぼろげ。同名の映画は90年(米)に封切りされていて、気味の悪いピエロのポスターだけが記憶に残っていて、映画そのものは見た憶えもなかった。

「IT/イット・・」は、原作の一部の少年たちの冒険をホラーで味付け。同じく青春物語のキング原作の映画「スタンド・バイ・ミー」(86年 米)は原題「THE BODY/死体」というほど怖くはなかったが、「IT/イット・・」は、次から次へと化け物が効果音楽付きで出てきてやたら驚かされた。古井戸やクネクネ出てくるオバケとかは日本のホラー映画でハリウッドでもリメイクされた「リング」(98年 邦画)の影響を強く受けたらしい。B級のせいなのだろうか、配役は全員マイナー。ほかの作品で見たことのない若い俳優たちが、それでもいい演技をしていて楽しめた。



主役のひとりビル少年役のジェイデン・リーベラーがとても表情豊かだったり、ショートカットの少女ベバリー役のソフィア・リリスがとても可愛かったりで、将来が楽しみ。

うん、そうだ。タイトルバックが始まる直前の暗転にITの文字に重なってCHAPTER ONEという文字が出たから、続編にも期待できそう。

2017年10月27日金曜日

ロバの耳通信「ツイステッド」

「ツイステッド」(04年 米独)

監督がフィリップ・カウフマン、主役がアシュレイ・ジャッド、ワキにサミュエル・L・ジャクソンとアンディ・ガルシアで、配給がパラマウントとくれば面白くないワケがない・・と思っていたのが、大外れ。なんだよ、そんなのアリかよというストーリー展開。うん、確かにミステリー映画なのにワタシに最後まで犯人がわからないなんてオカシイけど、悔しくないよ、あまりにバカバカしくて。

ココは好きな作品を書くところなんだけど、間違ってもう一度見て時間のムダをしないようにまあ備忘録がわりに。

アシュレイ・ジャッドが男にも酒にもだらしない女刑事やったのだけれども、「意外な側面」みたいなところを見せることもなく、女優としてはどーなのかな。マスクだって悪くないし、メだけならイングリッド・バーグマンを彷彿させるマナザシだし、ショートカットは似合ってるし、役の上だけなんだろうけれどもサッパリした性格みたいだし、コジン的には好きなんだけどね。今年はじまった焼き直しの「ツインピークス」に出てるとのことだけど、役ナシみたい。「ダイバージェント」2作(14年、15年 米)でも存在感がなかったけど、名前だけが有名になった女優は使いにくいだろうね。

2017年10月15日日曜日

ロバの耳通信「ホタル」「いつか読書する日」

「ホタル」(01年 邦画)

テレビ日和の雨の午後。
 ずっと前に撮っておいたテレビ放送。1テラのHDDを買ったときは、これだけあれば死ぬほど録画できるとほくそえんでいたのだが、もういくらも空きがなくなってきた。整理しなければと思いつつ、これはいい映画だからもう1、2度は見るんじゃないかとなかなか消せない。HDDの買い増しも考えたが、また同じ憂き目にあうのはわかっているから。

田中裕子がいい。「ホタル」では不治の病の役なのだが、なんだか「病」が似合う。泣いてるようで口元は微笑んでいる。病は、引き返せないうえに先に希望もない暗い道。特攻隊の生き残り漁師の夫役、高倉との旅が悲しい。監督を兼ねた降旗康男の脚本もよかった。大泣きさせずに、ジワっと涙をどこかに滲みこませた。「ホタル」なんて、いい題名だなー。

田中がコツコツと生きる牛乳配達人の役の「いつか読書する日」(05年)も好きな映画だ。薄暗いなかに街灯が点々とともっている長崎の山手の夜明けのシーンと、独身中年役の田中とかっての同級生役の岸部が、長年の思いをぶつけあうところは好きなシーン。

牛乳配達人の田中がバッグの中の牛乳瓶を鳴らしながら、階段だらけの街を駆け足で配達して回る音と追いかけるような音楽が耳に残った。美人じゃないのがいい。哀しい顔をしている。ジュリーとの仲も良いとのことなので、実生活は不幸ではないのだろうが、映画の役の小さな幸せをカミシメテ生きる、そんな感じがいい。かわいそうというのではない。

いっぱいの幸せなら、誰でもウレシイ。田中裕子がやる役はいつも、小さな幸せを精一杯喜んでいる。私もなんとか、いつもそういう気持ちでいられるといいと思う。フシアワセはいらないが、幸せなら小さくて充分。

2017年10月13日金曜日

ロバの耳通信「いぬやしき」

「いぬやしき(10)」(17年 奥 浩哉 イブニングKC)

先月ベストセラーをチェックしていて偶然出会ったマンガ。ネットで読みだして夢中になり、ラストとなるらしい10巻のアップロードを待っていた。「イブニング」(講談社の漫画雑誌)の連載ものらしく、すでにアニメ化もされ、来年には実写版も出ると。確かに、よくできた原作、日本のマンガはすごい。

宇宙人により機械にされた初老の男(犬屋敷)の物語。必死に手に入れたマイホームが家族に喜んでもらえなかったたばかりでなく、ガンで余命3か月を宣告され、生きる意欲を失ったサラリーマンが、ホームレスを助け感謝されたことから人助けを人生の目的と定め、落ちてくる隕石の方向を変え地球を救う・・とまあ、とんでもない設定なのだが、語られるのは家族愛。老け顔で、家族からも「おじいちゃん」とバカにされた父親が、妻や娘の愛を取り戻すという「いい」ハナシ。泣ける。

原作者の奥 浩哉はベストセラーとなりこれもアニメ化されたSFストーリー「GANTZ」(ガンツ)(00年ー03年 週刊ヤングジャンプ連載)で、ストーリーより緻密な手書きマンガが気に入り、何度か見ていたが、この「いぬやしき」も緻密な背景がすごくいい。

2017年10月7日土曜日

ロバの耳通信「カズオ・イシグロ」

「カズオ・イシグロ 」

カズオ・イシグロのノーベル文学賞が決まった夜、カズオ・イシグロ原作「わたしを離さないで」(10年 米)の夢を見た。

私は臓器提供のために施設で育てられたクローンのひとりで、農場のようなところに逃げ込んで、映画とは違い、薄暗い泥道をあてなく逃げ回っていた。散々遊んだゲーム「バイオハザード4」とゴチャゴチャになったらしい。

「わたしを離さないで」ではアンドリュー・ガーフィールド(「アメイジング・スパイダーマン」(12年 米)やキャリー・マリガン(「17歳の肖像」(09年 英))の素晴らしい演技のおかげで生涯忘れられない映画になった。生涯忘れられないなんて大げさな言い方だが、なかなかこう言えるような作品に出会えることが稀になった。

前に綾瀬はるかのテレビドラマ「わたしを離さないで」(16年 TBS)を放送したのでそっちも見たが、ミスキャストのせいか、すっかりつまらなかったのがひどく残念な気がする。綾瀬が嫌いなのではない、いや綾瀬は好き。ただ、ほかのキャストも含め、ゼンゼン役に合っていないのだ。原作(08年 ハヤカワ文庫)がいいだけに残念。

カズオ・イシグロは映画「わたしを・・」の原作者ということでで名前だけは知っていたが、カミサンが図書館から借りてきた「忘れられた巨人」(15年 早川書房)を先に読んでカズオ・イシグロ火が付き、ブッカー賞受賞の「日の名残り」(01年 ハヤカワ文庫)も図書館で予約しようとしたが、すごい数の待ちということで断念。大好きなアンソニー・ホプキンス主演の同名の映画(93年 英米)があるということでそれを探している。

「忘れられた巨人」はアーサー王時代のイングランドを舞台とした老夫婦の旅物語。土屋政雄の衒わない翻訳がアタマに自然に浸み込んでくるにも拘わらず、読み返してゆくと隠れていた亡霊のようなモノがページの隙間から顔をのぞかせるから、ページに指を挟み反芻しながらオソルオソルまたドキドキしながら読んだ。映画化の話しも進んでいるらしい、これも期待したい。

2017年10月2日月曜日

ロバの耳通信「逢いびき」

「逢いびき」(14年 邦画)

当たり役というのだろうか、極めて個人的な見解で、だが。女優が輝くほど魅力的に見える映画がある。「アトランティスの心」(01年 米)のミカ・ブーレム、「鉄道員(ぼっぽや)」(99年)の広末涼子、「高校教師」(93年 テレビドラマ)の桜井幸子、「隠し剣 鬼の爪」(04年)の松たか子など、これらの女優への自らの好意、まあ「好き」を確かめるために映画を見る。代表作でないものもあるが、そんなことはどうででもいい。

この映画を見るまで女優丸純子を知らなかった。マイナーな作品だし、みつけたのも YouTubeの予告編めぐり。約2分の予告編のなかのほんの数秒のいくつかのシーンで、好きになってしまった。ほかのいくつかの作品もチェックしたのだが、「逢いびき」ほど丸純子がすてきに見える作品を知らない。

港町を舞台に人妻が不倫の道を進み、結局幸せになれないという、まあよくあるストーリーなのだが。ただ、こういう出会い方をすると、初恋のように、いつまでも「好き」を続けられないかもしれない。だから、丸純子については、ほかの作品を見ることをやめよう。「逢いびき」は38歳の時。女性がいちばん美しい年齢のしっぽのほうかもしれない。ことしで41歳だと。うん。あきらめよう。

2017年9月24日日曜日

ロバの耳通信「赦す人:団鬼六伝」

「赦す人:団鬼六伝」(15年 大崎善生 新潮文庫)
偶然手に取った本だったが衝撃はすごかった。大崎は映画化された「聖(さとし)の青春」(15年 角川文庫、16年 邦画)の原作者として名前だけはうっすらおぼえていたが「あの」団鬼六の伝記を書いていたとは知らなかった。作家としての、また将棋指しとしての団鬼六の破天荒な人生を追いかけながら、鬼六に惹かれることをやめられない自らの人生も吐露している。鬼六を愛して止まなかった大崎が自分の人生と重ね合わせて、それぞれの時と場所をさまよっている。

鬼六の家系や両親の人となりなどは、時にはほら吹きにも思える鬼六よりの聞きとりが中心。だから、ノンフィクションとばかりは言えないのかもしれないが、鬼六の編集者としてあるいは友人として愛情をもって鬼六を描き切っている。鬼六の臨終を書いたページでは、鬼六を愛した人たちとの最後では涙がせり上がってきて、震える手で鼻をつまんで涙と鼻水をとめた。

映画で終わっていた「聖の青春」を読むときは、ひとりの時にしよう。若くして亡くなった聖は鬼六よりずっとかわいそうな気がする。愛した人も少なく、愛された時間もずっと短いと思う。「聖の青春」は雨の午後か深夜に読もう。

2017年9月17日日曜日

ロバの耳通信「ザ・ライト -エクソシストの真実-」

 「ザ・ライト -エクソシストの真実-」(11年 米)

悪魔に取りつかれてしまった神父役のアンソニー・ホプキンス、この役を演じられるほかの役者は思いつかない。優しい語り口の神父が、凄みのある悪魔の表情に変わるところなんぞは、何度見ても怖い。怪談映画のような無音の緊張の連続から突然の擬音。思わず身を竦ませる。悪魔を信じることができることが、神を信じること。悪魔を信じることができなければ、悪魔と戦うことができないーと、信じる宗教は違うが、妙に説得力がある。

顔がそのままポスターになる俳優なんて、アンソニー・ホプキンス以外にはいないんじゃないか。

ロバの耳通信「いわさきちひろ」

「ラブレター」(04年 いわさきちひろ 講談社)

安曇野にちひろの美術館があるという。いつか行きたいと思っているのだが、行ってしまえば行きたい行きたいという気持ちを失くすことになるのがわかっているから、行かないほうが良いのかもしれない。

ちひろの絵は効く。つらいときとかに見ると薬のように効く。こんなに効くのは、ワタシが幼いころに母をなくしたということにかかわりがあるのだろうか、それとも、ちひろの絵には仏さまがついているのだろうか。

「ラブレター」 は、ちひろが夫松本善明のことを想った日記から始まる。挿絵が良くて繰り返し読んだ。オビには「バツイチ 家無し、職もなし。27歳、愛と不屈の物語。」とあったが、絵本や挿絵だけでは計り知れないちひろの暮らしを知って、ちひろの絵がますます好きになった。

「少女雑誌の口絵かなんかで、はじめてローランサンの絵を見たときは、本当におどろいた。どうしてこの人は私の好きな色ばかりでこんなにやさしい絵を描くのだろうかと。」まいったね、私もそう思った。

2017年9月12日火曜日

ロバの耳通信「アトラクション」

「アトラクション」(17年 露)

アトラクションAttractionという邦英題はついているが、ロシア語の原題Притяжениеは魅力とか重力、引力の意味があるようだ。どうもそっちの方がいい。なぜか人間にソックリの地球外生命体に、主人公が喫煙とかの人類の悪弊を弁解しながら説明するのがいい。地球外生命体、まあ宇宙人が地球人の考え方や暮らしを学ぶときに、哲学問答をするのが、「ラストサムライ」(03年 米)のトムクルーズと渡辺謙の会話を思い出させる。「アフガン」(05年 露)で監督、製作、主演の三役をこなした気骨の監督フィヨルド・ボンダルチェークはかなり影響を受けたにちがいない。

ロシア映画といえば、圧倒的に多い戦争映画かゲームものが定番なのだが、これは画像もキレイな3D-SFXだし、女優さんはキレイだし、音楽はハンス・ジマー(前出「ラストサムライ」
)風だし、長いタイトルバックの始まりに流れる主題歌は思い切り切ないラブソングでハリウッド大作を意識しているのだろう。主人公の父親の大佐役をやったオレグ・メンシコフが「エイリアン2」(86年 米)でアンドロイドのビショップ役を演じた米名優ランス・ヘリクセンを彷彿とさせる存在感。2時間強と長いから、すこし中だるみはあるが大音響の3Dで映画館で見たい。

2017年9月10日日曜日

ロバの耳通信「スプリット」

「スプリット」(17年 米)
ナイト・シャマラン監督の新作ということで期待してみたが、前半はダラダラとした精神分析医と多重人格者の会話や、多重人格者に監禁された3人の少女ー中学の演劇部でもこんな演技はしないだろうと思うほどの大根ーが逃げ出そうとするシーンなど退屈な時間が続く。本物の多重人格者に見える名優ジェームズ・マカヴォイの表情や、ラストに獣人になるところ以外は見るべきところはなかった。シャマランへの期待が大きすぎたか。残念。

シャマランのほかの作品、たとえば死人が見える「シックス・センス」(99年 米 以下同じ)、死なない男「アンブレーカブル」(00年)、ミステリーサークル「サイン」(02年)、閉ざされた村「ヴィレッジ」(04年)、自殺する人々「ハプニング」(08年)などなど、ほとんどが「不思議」を描いた作品で、ノッケからギョッとするシーンが多いのだが、この作品は多重人格者が24番目の人格として自分の中に獣人を生み出すというもので、変身「X-MEN」シリーズ(00年~)や人狼「ウルフガイ」シリーズ(70年~ 平井和正)を思い出させる。
この多重人格者も彼に監禁される少女も、幼い時に肉親などに酷い虐待を受けていたという、いままでの作品と同じ流れ、つまりは<どんなに不思議に見えても、結果にはそれなりの理由がある>。
wikiによれば続編「グラス(仮題)」(18年予定)ではこの多重人格者が生み出した獣人が主人公になるらしい。ラストでチョイ役で出たブルース・ウイルスが主演とのことで、こっちに期待したい。

2017年9月3日日曜日

ロバの耳通信「静かな雨」「心はあなたのもとに」

「静かな雨」(16年 宮下奈都 文藝春秋社)「心はあなたのもとに」(13年 村上龍 文春文庫)

2冊の恋物語を読んだ。「静かな・・」はたいやき屋のこよみさんを好きになった青年の物語。こよみさんは交通事故で1日しか記憶を保っていることができない病に。「博士の愛した数式」(03年 小川洋子 新潮社)のアレである。「心は・・」は、ファンドマネージャーが愛した風俗嬢サクラが1型糖尿病で死んでしまうという物語。どちらかを選べるのならば、こよみさんかな。無人島にどちらかしか持ってゆけないとしたら、村上の591ページより宮下の107ページを選ぶ。時間がたっぷりあっても、長編に散りばめられたひけらかしや名言に共感を感じないより、優しい言葉だけの滲みてくるような文章を、声に出して読んでいたいから。


宮下奈都は本屋大賞で話題になった「羊と鋼の森」(15年)以来か。「羊と・・」もココロに残るいい作品だったが、ワタシはこの「静かな・・」のほうがゼンゼン好きだ。こよみさんが交通事故で入院したところなんて、ほんわか恋の物語を楽しんでいたものだから、まるで身内が事故に遭ったときのように自分の心臓の鼓動が聞こえ、一瞬だが脳が白くなったような気がした。なんて作家なんだ。

終章の4行がいい。滲みた。

ビンボー人のせいか、女性をお札でひっぱたいてモノにするなんてのは趣味じゃない。あこがれもしない。村上がいつもの上から目線で、ワイン、料理、ジャズ、サッカーはてはほかの女性関係などを「たっぷり」ひけらかしてくるのが鼻について、どうもイヤだった。主人公が幼い時の出来事、例えば教師だった母のことや住んでいた家のことなどを語るところなんか、自分の環境とは全く違うのにとても懐かしかったりして、いい作家だなとか思うこともあったのに。

1型糖尿病はとても大変な病気みたい。病気、とひとくくりにしてはいけないのだろうけれども、肺ガンで亡くなった友人のことを思いだしたりするとね、病気って本当に「大変だ」と思うんだ、軽かったり重かったり、治ったり死んじゃったり、なんだかとても不公平な感じはするけどね。

まあ、1日しか記憶を保てない病気より、1型糖尿病はずっとずっと苦しくて辛い病気に違いないし、死んでしまった風俗嬢のサクラは可哀そうだけれども、ソコをいくら悲しい劇に仕上げても、愛人に死なれた大金持ちの物語なんて・・つまらない。

あとがきに、1型糖尿病について書いた動機は結局この病で亡くなることになった村上の友人のことだあった。ソレはアリだと思う。親しい人、特に自分より若い人を病気で亡くす不条理さは余りある。しかし、設定を風俗嬢にしたのはどうかな。たぶん、不規則な生活なんかを想像するとなんだかもったいない気がする、命が。作品の中のサクラは可愛いけれど、ワガママである。糖尿病の影響で高じた神経病かもしれないが。水商売をしたり学校に通ったり、旅行をしたりで、そりゃあ病気も悪化するだろうよ、とか反感さえ覚える。第一、この病に苦しんでいる多くの方々は、普通の暮らしを願いつつ叶わぬ闘病生活を強いられているという。男と女の狡さを伝えたくて書いた作品ならば成功しているのかもしれないのだが、なんだか割り切れない。

ファンドマネージャの仕事の話はとても興味深く、村上らしい理詰めの説明は説得力もあった。しかし、繰り返しひけらかされる趣味の世界や、エロ小説のような寝物語は食傷してしまった。そういう中で、最初から最後まで語られる1型糖尿病のディテールが、プロットの重要な意味を持つとは言え、不謹慎にさえ感じられた。

恋についてのフランスの哲学者の引用から始まる解説を小池真理子が書いている。小池によれば、この小説は村上龍が書いた「ほとんど珍しいほどの」純愛小説だと。うーん、違うと思う。風俗嬢だからどうこうでもないけれども、「片翼だけの天使」(84年 生島治郎)のその後、結局金をむしり取られて別れてしまった(らしい)話もあるしね。

2017年8月30日水曜日

ロバの耳通信「柳橋物語」

「柳橋物語」(山本周五郎 63年 新潮文庫)

貧しかったり、病気をしたり、思いが通じなかったりいろいろなことが主人公おせんやその周りの人々に起きるのだが、みんな決して不幸なままで終わってはいない。身が辛くなるほどのもどかしさや、幸せになってほしいとの心底からの思いを感じたりするのだが、江戸時代という設定からかわが身を同化させることもできず活字を追っても泣けなかった。こういうのを人情噺というのだろうか。落語家に語ってもらえば思い切り泣けたかもしれないが、不幸がこれでもか、これでもかと語られると行け出せなくなることがわかっているから泣けなかったのだ。
山本周五郎を知ったのは「さぶ」(65年 新潮文庫)からで、初めて本で泣いた作品。
「樅ノ木は残った」(58年)、「赤ひげ診療譚」(同年)、「五弁の椿」(59年)、「どですかでん」「季節のない街」62年)など映画やテレビドラマでかなり見ているが、意外に読んでいないことに気付いた。周五郎の研究者の竹添敦子が、女性を主人公にした周五郎の底本をシリーズ化(山本周五郎中短編秀作選集 05年~ 小学館)しているということがわかったので、ここから始めたい。

2017年8月24日木曜日

ロバの耳通信「無垢の領域」

「無垢の領域」(13年 桜木紫乃 新潮社)

桜木は中学生の頃、「挽歌」(56年 原田康子 61年新潮文庫)を読んで文学に目覚めたという。重い霧のような同じ雰囲気があるがるが、桜木のほうがもっと重いか。桜木の著作は、目を瞑っていると強くなる感覚、例えば匂いや音についての描写が多くて、どうしても引きずられてしまう。セリフがストレートじゃなくて、二度読みすると棘(トゲ)に気付いてしまう。セリフの間の短い文章もセリフを繋いでしまうから、文章に感情の切れ目がなくなる。たとえば、母が娘に小言を言い、そのあとが、こうだ

”もう好きにしなさいと母が言う。ずっと好きにしてきた、と思う。”(224p)

切れ目ない共感という意味では悪いことではないのだろうが、物語にドップリ浸かってしまう。その結果、読み終わってもメソメソした感情が払拭できずに、別の本に感情を移せないでいる。
純香という知的障害(らしい)女のコが哀しい。この本では結局死んでしまうのだが、そうでなかったらやりきれない。

この本のなかで、「シェルタリング・スカイ」(90年英映画、91年新潮文庫)が紹介されるが、こちらは砂漠を旅する中年夫婦の旅物語だからストーリーは全く違うのだが、何かが似ている。届きそうで届かないヒトのココロの間の距離みたいなものか。

2017年8月17日木曜日

ロバの耳通信「蜩の記」

「蜩の記」(10年 葉室麟 祥伝社)

10年後の切腹を命じられた侍の物語。日本文学者のロバート・キャンベルがあとがきを書いていて同じところで気持ちが通じていることを知り、なんだか嬉しかった。著者のみならず、ほかの読者との共感は読書の喜びだが、こういう時代物を読む人はだんだん少なくなるのだろうか。

為すことを終え「この世に未練はない」と言い切る武士に、僧侶が「未練がないというが、それは残されたものの心を気遣ってはいないと言っているようなものだ。この世をいとおしい、去りたくないと思って死ななければ、残されたものが気の毒だ」(拙訳)と諭す。原文では、当時の言葉で、「残された者が行き暮れよう」なのでかなりニュアンスは異なるとも思うが、出だしから最後の一文「蜩の鳴く声が空から降るように聞こえる。」まで、武士の矜持がそれを知らない自分にさえ滲み込むように伝わってきた。

同名で役所広司らが演じた映画(14年 邦画)がありテレビ放映されたものを録画しているので、原作をもう一度読み返す前に見ようと思う。原作で十分に読み切れなかった御家騒動、これがやたらと込みあっていてわかりにくかったので映画で補おうかと。こういう映画を自宅で見るには、雨の日がいい。こう猛暑が続くと、雨が恋しい。

ここまで下書きして数日置いて、別の切り口が見えてきた。矜持とは何かとまた考えてしまった。言い訳もせず泥をかぶり、不実なく期限の切腹まで過ごしたこの武士に、田舎の貧しいが平穏な暮らしなど、少しはいいこともあったのかもしれないが、自分には決してできないと。

すこし長く生きてきて気が付いたことだが、次から次へと失敗を重ね、不都合なことが続いている、いまもだ。時間を戻すことができたら、同じ選択を決してするまいとはおもうが、いかんせん手遅れだ。選べるならば、生まれることさえ躊躇するにちがいない。

夕方にベランダに立ち、涼しい風のなかに混じるどこかの夕餉の支度のにおいに、小さな幸せを感じることはあるが、貯まった不満や押し寄せる不安の大きさは法外に大きい。人生の喜びと苦しみはバランスがとれていないと感じていて、さらに悲しむべきは年を重ねるにつれ天秤の傾きが大きくなっていることに気づく。

2017年8月13日日曜日

ロバの耳通信「ポンペイ」

「ポンペイ」(14年 米)

ウリが「バイオハザード」監督最新作だと、確かにそうだがほかに良いキャッチにしてくれてもよかったのでは。「バイオハザード」(02年~ 米)はファンだし、ミラ・ジョボビッチを妻に持つポール・ウィリアム・スコット・アンダーソン監督は好きな監督だけれども、「ポンペイ」の出来はイマイチだった。CGのおかげでヴェスヴィオ火山の爆発でポンペイの町が焼きつくされるシーンは圧巻で、3D画像を楽しむ映画なのだろうが、剣闘士マイロ役のキット・ハリントンもポンペイの大商人の一人娘カッシア役のエミリー・ブラウニングもダイコン。好き合うふたりなら情感を漂わせてくださいな。「マトリックス」シリーズ(99年~米)ではトリニティー役、新作ホラー映画「バイバイマン」(17年米)では女刑事を演じた名優キャリー=アン・モスも本作ではただの添え物。なんて配役をするんだ。まあローマの元老議員コルヴス役のキーファー・サザーランドの極悪人ぶりはピッタリだったが。主役もワキ役も火山の爆発で死んでしまう原作のストーリーからは外れるだろうが、もともと史実なんてものもないのだから極悪人だけはシブトク生き残っていた・・なんてのが面白かったのでは。

2017年8月7日月曜日

ロバの耳通信「君の膵臓をたべたい」「君の名は。」

「君の膵臓をたべたい」(15年 住野よる 双葉社)

変わったタイトルの本がベストセラーになったという記憶しかなかったが、映画化されるということで読んでみようかと。読みたい本が増える一方なので、近年は、ベストセラーになったと聞いても、すぐにとびつくことはせず「読書メーター」(ブログ)などで星の数をチェックしてから読むかどうかを決めている。

この「君の膵臓をたべたい(キミスイ)」は、まず手っ取り早く漫画(アクションコミックス)の電子版で、チラ見したところ良さそうに思えたので早速原作(小説)の電子ブック版を入手して読み始めたら、結構はまってしまった。電子ブックで300ページ弱だし、セリフが中心に物語が展開してゆくしで、登場人物も少なくプロットも込み入っていないのでサクサクと読めた。サクサクといっても、セリフがいちいち刺さってきて、涙がでそうになったのだが。膵臓病を患っていて余命1年とされた少女(咲良さくら)と本オタクの孤独な少年(春樹)の交流。「君の名は。」(16年 邦画アニメ)のように、男女が入れ替わったりとかの奇想天外じゃないのがいい。「咲良」とその親友の「恭子」の性格描写が素敵で、著者というより男が望む理想の少女像に仕上げられており、やさしさと強さは「素子」(甲殻機動隊)、「青豆」(1Q49)にも通じている。
「キミスイ」の漫画版は絵もウマくて原作にも忠実で、漫画でもジワ~っときた。実写版も近く公開とのことでYouTubeで予告編をチェックしたが、配役がね・・たぶん、この映画は見ない。オーディオブックもチェックしたが、咲良役の声優が”飛んで”いて、ゼンゼン好みじゃないのでこれもボツ。原作、漫画、オーディオブック、アニメ動画、実写版と元は同じでも、うーん難しいものだな。「君の名は。」も原作だけにしておけばよかった。

2017年8月6日日曜日

ロバの耳通信「ラ・ラ・ランド」

「ラ・ラ・ランド」(16年 米)

ずっと見たいと思っていたミュージカル映画。予告編もwikiもチェックして、アカデミー賞の6部門賞を受けたということで大きな期待していたのに。あれれ、アカデミー賞って、こんなのでももらえるのか。いま、映画やミュージカルはよっぽど枯渇しているのだろうか。
昨年、この作品と同じデミアン・チャゼル監督の「セッション」(14年 米)もアカデミー賞3部門の受賞、評判もよくて期待して見たのだが、ゼンゼンつまらなかった。うん、映画としてよくできていたんだろうけれども、映画って、所詮「好み」に合うかどうかなのだ。この「ラ・ラ・ランド」もどうも入り込めなかった。

主演のライアン・ゴズリングは「きみによむ物語」(04年 米)以来好きな俳優なのだが、エマ・ストーンが好きじゃない。役柄の話ではなく、顔がどうしても好きになれないのだ。「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ(12年、14年 米)「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(14年 米)が評判が良かったのに、私が面白く感じなかったのはエマ・ストーンのせいじゃないかと思っている。エマは歌も踊りもイケるのだが・・。

映像はキレイで、ロサンジェルスの街並みの風景も楽しめる。音楽は素敵で、オリジナル・サウンドトラックのアルバムが出されていて、こちらもビルボードなどのアルバムチャートでトップ位置にいる。特に好きな曲は「City of Stars」、睡眠前の子守歌にいい。簡単な旋律ながら1-2度聞いただけでココロに染みていて、いつのまにか口ずさんでいる自分に気づく。

ロバの耳通信「八日目の蝉」

この季節、駅に続く道や公園は蝉の死骸でいっぱいになる。蹴っ飛ばすとまだ生きていて、ジジジと頼りなく鳴きながらどこかに飛んで行ったりする。長く土の中で暮らし、ほんの数日しかない声を嗄らした青春の日々を儚く思う。足許で動かなくなった蝉は、良い伴侶を得たのだろうか、それとも・・。

「八日目の蝉」(11年 角田光代 中公文庫)

すごいと思うのは角田の筆の力である。序章(0章)の一行目から、私のココロをわしづかみにした。永作博美主演の同名映画(11年 邦画)では、いまひとつ乗り切れず、そうした偏見を持って読み始めた原作だったのだが。七日で死ぬといわれている蝉が、八日を生きたとき見るものについて悲観的なことを言う主人公に、その友人が言う「ぎゅっと目を閉じてなくちゃならないほどにひどいものばかりではないかも」の言葉がワタシには重い。過去に良い思い出が少なく、これからもそう楽しいことがあるとも思えないと泣き言を言いたくなる自分に、誰かが「そうわるいことばかりじゃないと思うよ」と、暗闇の向こうに見えるかすかな光明に希望を持たせる。うん、そうでも思ってなければ、トシを重ねる意味がないよね。


映画のほうは永作に加えて、もうひとりの主人公に、当時の飛ぶ鳥落とす若手女優の井上真央を据えた。役者としての井上を好きではないから強くおもうのだが、配役はとても重要だと思う。NHKでドラマ化されているようだが、 母親役に檀れい、娘役に北乃きいだとか。二人とも好きな女優だが、この原作に似合っているとは思えない。監督、配役、脚本をそろえなければならない映画に原作のハードルは高い、高い。

2017年7月17日月曜日

ロバの耳通信「ルーシー」「新感染 ファイナル・エクスプレス」

「ルーシー」(14年 仏)

予告編を見てから、ずっと見たいと思っていたリュック・ベンソン製作・監督の映画。合成麻薬のせいでスーパーウーマンになったルーシー(スカーレット・ヨハンソン)が大暴れし、最後はコンピュータになってしまうという他愛もない作品なのだが、最近見た映画では「最高に」楽しめた。たまには、こういうハチャメチャもいい。パリのマフィアが韓国人というのが笑えた。

韓国つながりで、もうひとつ。

「新感染 ファイナル・エクスプレス」(16年 韓)。原題は「釜山行き」。ゾンビに支配されたソウルから急行列車で釜山に向かう父娘が無数のゾンビと戦うというこれもとんでもない筋書き。無数のゾンビは「ワールド・ウォーZ」(13年 米)並みで、ハリウッドではCGだったらしいが、韓国映画のゾンビは実写。凶暴で怖い。これも、なぜとかどうしてとか、考えずに没頭できた。映画のだいご味はエンターテインメントだとも思う。イケメン男優のコン・ユの娘役になったほとんど無名の子役がウマかった。こちらは、韓国でも未曾有のヒットで、もうすぐ日本公開らしい。

2017年7月16日日曜日

ロバの耳通信「エイリアン:コヴェナント」「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」

「エイリアン: コヴェナント」(17年 米)


リドリー・スコット監督は決してファンを裏切らない。「エイリアン」(79年 米)シリーズの最新作であり、「プロメテウス」(12年 米)の続編。とはいえ、このシリーズは、どれから、何度見ても楽しめる。怖さは手を変え品を変え、ぞんなバカなと思われるストーリーも、舞台を宇宙にしてリドリーが語ると、未知の宇宙ならこういうこともあるだろうと思わせられる。緊張と弛緩の繰り返しで深みに誘い込む技法は日本の怪談話にも似て、気が付けば観客は舞台の上で踊らされている。エンドはさらなる恐怖を観客に植え付けたまま暗黒に放り出す。

いつも泣き顔のキャサリン・ウォーターストンが良かった。「エイリアン」シリーズのシガニー・ウィーバーになるような、そんな気がしている。

「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」(17年 米)

外れたことのないトム・クルーズの主演、さらにこれも大ファンのラッセル・クローが加われば無敵・・と思うのが常じゃあないか。ユニバーサルのロゴが画面いっぱいに出るだけえドキドキするほどの期待感。どこからか面白くなるんじゃないかと待っていたのだが、エンドロールが出て、アレ、アレこれで終わりかよと腹が立った。生き返ったミイラと戦うという、そもそもが現実離れしたストーリーなのだから固いことは言いっこなしなのだろうが、太目のトム・クルーズがヨタヨタ。SFXと効果音楽があるのだから、何とかならなかったものか。今まで見た、数多くのミイラ映画で一番ひどい。長く待っていた映画だったのに。

2017年7月10日月曜日

ロバの耳通信「ライフ」

「ライフ」(17年 米)

週末の昼食後、眠くてたまらないのでなんとか目が覚める映画をと漁っていたら、動画サイトの口コミ1位になっていた。チェックすると、密室(宇宙船)で地球外生命体と戦うSFとある。「エイリアン」シリーズ(79年~ 米)をはじめ、映画もゲームもこの手のものが好きなので早速。

眠さは吹っ飛び、ずっと手に汗握る状態。この手の映画ではクルーたちが宇宙生物に次々と襲われ、ひとり残されたヒーローかヒロインが地球外生命体をやっつけて無事地球への帰還に・・で、メデタシメデタシとなるのだが。これは、違った。こういう終わり方をすれば、「ライフ2」なんてのもすぐ出てきそう。主演のジェイク・ギレンホール(ポスター中央)は、「ブロークバック・マウンテン」(05年 米)のカウボーイ役が特に良かった。LGBTが現代ほど寛容でない頃のものだが、彼の代表作として勧めたい。

2017年7月6日木曜日

ロバの耳通信「羊と鋼の森」

「羊と鋼の森」(15年 宮下奈都 文藝春秋社)

すでにどこかに書いたか、話したような気がするが面白い本は一行目からそう感じる。装画も装丁もなかなかいい。
ピアノの調律師が先輩や顧客との出会いのなかで成長してゆくという、まあ青春物語なのだが、すこしも青臭くないのがいい。作者がなりたての調律師の言葉を借りてピアノやピアノの音を語るが、迷いながらも、最もふさわしいと思われる言葉を、自分の語彙の貯金から探して、やさしい(易しいと優しい)文章にしているのがいい。よく知らない言葉で無理して背伸びしたために読者を路頭に迷わせたりはしていないのがいい。だから、この作品の半分は主人公とその先輩調律師たちの気持ちの説明。だから、読者は物語と時間を作者と素直な気持ちで共有できる。

この本を手に取ったのは偶然。本屋大賞をとった話題の本だからとカミさんが図書館に予約してくれたおかげだし、どちらかというと一冊の本に時間をかけるカミさんが一気読みをしていたからきっと面白い本じゃないかと期待していた。ワタシの読む本はかなり偏りがあり、さらに臆病だから、初めての作家をチャレンジすることは珍しいのだが、一冊目でこの著者にマイってしまった。著者検索すると結構イロイロ書いてるじゃあないか、ああ、この作者の本をもっと読みたい。また読みたい本のリストが長くなってしまった。

ロバの耳通信「ハクソー・リッジ」

「ハクソー・リッジ」(17年 米)

メル・ギブソン監督作品ということで期待。メル・ギブソンの意図は反戦だったと思うが、国威高揚のヒーローものになってしまった。何に、いや誰に気を使ってこんな作品にしてしまったのだろうか。銃を持たない衛生兵ドスを演じたアンドリュー・ガーフィールドは、「ソシアル・ネットワーク」(10年 米)、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ(12年~ 米)、「沈黙-サイレンス-」(16年 米)で、おなじみなのだが、いつものへらへらヤンキーの表情、こういう顔だからやむをえないが、どうもシックリしない。主役はミスキャストだと思うが、ドスの父親役をやった、ヒューゴ・ウィーヴィング(「マトリックス」シリーズ(99年~ 米)のエージェント・スミス、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ(01年~ 米)ではエルロンドを演じた)がメッチャ良かった。メル・ギブソンはドスより、ドスの父親に反戦の祈りを込めたのだろうか。

日本兵が、次々に吹き飛ばされ、火炎放射器で焼かれるシーンはなんとも後味が悪いし、日本の将官の切腹シーンはただのグロ。沖縄戦が舞台なのだが、沖縄の方々はどう見るのだろうか。

2017年6月26日月曜日

ロバの耳通信「パトリオット・デイ」

「パトリオット・デイ」(17年 米)

2013年のボストンマラソン爆発テロの犯人逮捕までを、警備担当のトミー巡査部長(マーク・ウォールバーグ)を中心に描いている。題名は例年ボストン・マラソン開催されるパトリオット・デイ(愛国者の日、米国の休日ではなく北部のいくつかの州の休日)にちなんでいる。実際にあった事件のせいか記録映像が多く使われ、物語も時間の流れにに沿って展開されるため、自分が映画の中にいるような緊張感がある。最も印象深かったシーンは、爆破テロのあと自宅に戻ったトミー巡査部長を迎えた妻キャロル( ミシェル・モナハン)の安心と心配の入り混じった表情が良かった。

マーク・ウォールバーグはどちらかといえばイケイケ男優で、微妙な表情の変化などは望むべきもないが、ミシェル・モナハンは「ミッション・インポッシブル」シリーズ(M:i:III 06年~ 米)で、トム・クルーズ演じるイーサン・ホークの妻を、「ゴーン・ベイビー・ゴーン」(07年 米)では探偵を。深く、深い海の底のような彼女の眼には「いつも」どきりとさせられる。

テロの犯人のヒジャブを被った妻を「理解しがたい」と切って捨て、MITに通う金持ち中国人留学生にメルセデスを持たせたり、亡くなっり足を失った方々の映像を映画の末尾で流すなど、愛国心を掻き立てる国策映画にしてしまったのは一体誰だろう。