2016年12月30日金曜日

ロバの耳通信「元気がほしい時はAKB48とドリカム」 at the end of 2016


「恋するフォーチュンクッキー」「365日の紙飛行機」「ヘビーローテーション」がマイベストかな。「恋する・・は」前奏が始まったら、カラダが自然にリズムをとっている。

ドリカムは美和ちゃんの元気+シットリ情感で、誰かに愛されているような気がするから不思議だ。「うれしい!たのしい!大好き!」「LOVE LOVE LOVE」「晴れたらいいね」とかね。

早朝でも夜中も、Audio Technicaのヘッドフォンは良く働いてくれる。ありがとうね。

2016年もあと2日で終わりだ。来年に期待するものもないけれども、なぜか感慨深い。At the end of 2016...

2016年12月24日土曜日

ロバの耳通信「私たちが好きだったこと」

「私たちが好きだったこと」(98年 宮本輝 新潮文庫)

夜中に読んでいて、気が付いたら鼻が膨らんでいてハナミズが詰まって、マブタの端からミズが流れていた。女と同棲していた頃を思い出し、なつかしさに胸がイッパイになって。いや、実は同棲なんぞしたことはないから、そんな気がしただけ。

優しくワガママな4人の男女の出会いと別れの青春物語。普通の結婚をして平凡な暮らしをしてきた私にはうらやましいほどの夢物語が切ない。しおりのかわりに挟んだ指まで何度も振り返って読んだところがたくさんあったから、結末がわかったけれど、反芻するために最初からまた読もう。
この文庫本の表紙はいけない。トレンディー風というか軽すぎ。いや、このトレンディドラマが本筋で、経験もないシェアハウス生活に妄想を膨らませ、懐かしがって深読みしたワタシがオカシイのかもしれない。

著者については学生時代にかぶれた宮本百合子、のダンナ(宮本顕司元共産党委員長)だと勘違いしていたし、あんなに感動した映画「泥の河」(81年邦画)の原作者とは知らなかった。「私たちが・・」も映画化されているとのことだが、4人の配役が本のイメージとかなり違うようだし、映画評はあまりよくないようだから、・・やめとこう。

2016年12月19日月曜日

ロバの耳通信「ノース -北極の宿命-」

「ザ・ノース -北極の宿命-」(07年仏・英)

「グリーン・デスティニー」(00年中ほか)、「SAYURI」(05年米)以来の大ファンのミシェル・ヨーの主演ということで期待して見たが、予想を裏切らない「怖い」女だった。ミシェルの前では英のハードボイルド男のショーン・ビーインもただの脇役の感。追われてツンドラに住む母娘にも似た二人の女が助けた男を取り合い、男は娘に惑い、最後には男は女の怖さにおののき逃げ出すという海外版「ぼっけえ、きょうてえ」。全編極寒のツンドラが舞台。雪の景色の繰り返しとセリフの少ないシーンは時に静止画のようでもあり、妙に印象に残る。ツンドラの狩りの暮らしは興味深く、サバイバル映画としても楽しめる。
薄暗い空。外は吹雪、夜はテントの中のランプの明かりだけ。固めたようなカメラワークで舞台劇のように切り取られた画面の中で男を絡め、汗ばんだミシェル・ヨーはいつものように艶めかしい。

2016年12月8日木曜日

ロバの耳通信「しあわせの隠れ場所」

「しあわせの隠れ場所」(The Blind Side 09年米)

悪いのがあんまり出てこなくて、ホロリとさせたりドキドキさせたり、とにかくステキな人たちによるハッピーエンドストーリーは典型的な米映画だから安心して見ていられる。NFL選手のマイケル・オアーを主人公にした実話だと。

この映画の実際の主人公は、孤児マイケルの後見人ママ役になったサンドラ・ブロック。元気いっぱいのサンドラは、涙っぽい肝っ玉かーさん。たぶん「地」じゃないかな。昔通った英語学校にちょっと似た感じの先生がいて名前は忘れてしまったけれど、大げさなしぐさと元気な声でみんなにビッグマウスと呼ばれていたことを思い出してしまった。

サンドラ・ブロックとの出会いは「スピード」(94年)ああ、元気なおねえちゃんだなというのが第一印象、そのあと「デンジャラス・ビューティー」シリーズ(00年、05年米)が格好良くて、「ゼロ・グラビティー」(13年米)も良かったけれど、いつも「いいひと」じゃなくて、たまには意地悪な「わるもの」もやってくれないかな。

「しあわせの隠れ場所」では、あの足切りおばさん「ミザリー」(90年米)役のキャシー・ベイツがあまり似合わない「いいひと」役で出ていた。
サンドラの娘役で「あの」英ミュージシャンのフィル・コリンズの娘、リリー・コリンズがめっちゃ可愛かった。「白雪姫と鏡の女王」(12年米)の白雪姫も可愛かったけれど、色白のこのコは真っ赤な口紅がとても似合うのだよ<「シャドウハンター」(13年米)>。

2016年11月27日日曜日

ロバの耳通信「長女たち」「薄暮」「ブラックボックス」

首都圏が半世紀ぶりの雪とニュースで騒いでいた日、風邪でダウン。いろんなことをするのが面倒、テレビの音もうるさい。気休めの風邪薬と読書。


「長女たち」(14年 篠田節子 新潮社)

三話からなる。カミさんにどれが面白かったかと聞いたら、糖尿病を患った母「ファーストレディー」(第三話)だと。長女に生体移植を迫る糖尿病を患ったワガママ母がワタシに似ていると。うーん、そうかもなと落ち込む。自分でもそう思いながら読んでいたから。いやいや、ワタシはワガママだけれどもそこまでの犠牲を強いたりしない・・・筈、と断定できないほど、家族に迷惑をかけている自覚と反省はある。
「ミッション」(第二話)は、未開地に現代医療を持ち込む難しさに例えをとっているが、医療漬けにして生を無理強いする現代医療そのものへの問題提起。
「家守娘」(第一話)は認知症の母との葛藤。ホラー作家らしく、どの物語も読者を心底怖がらせるが、追い詰めてしまわず、逃げ道を残してくれていてホッとした。
昔見た怪談映画では、どんなにおどろおどろしいシーンの連続で怖がらせても、ラストはお墓に手を合わせて回向するシーンが多かった気がするが、そうでもなければ(書く方も、読む方も)続けられないのではないか。


「薄暮」(09年 篠田節子 日本経済新聞社)

売れなかった郷土画家の足跡を追う画集編集者の物語の体裁をとっているが、長く重い物語の主役は嫉妬に狂って惚けてしまった画家の妻。ほかの登場人物も汚れた沼から浮かび上がって、水面に風船をつくるメタンガスのように弾けることがなく、いつまでも物語から消えない。底なし沼で遮二無二にもがいているうちに、最後はぽかっと浮かび上がって息がつけた。すべての不都合を痴呆という言葉で曖昧に片付けてしまわなかったのが良かった。
「薄暮」という題に違和感を覚えていたのだが、調べたら文庫版になった際(12年新潮文庫)に「沈黙の画布」に改題されていた。うん、すこし良くなったか。



「ブラックボックス」(13年 篠田節子 朝日新聞出版)

野菜「工場」のパートタイマーが暴露する「工場」野菜のすべて。コンビニとかで売っているパック野菜はきっと食べられなくなる。研修生と名打った外国人労働者を酷使する社会も告発しつつ、答えを出せていない。
篠田の小説にしては珍しく出口がない、救いがない。

2016年11月23日水曜日

ロバの耳通信「バンド・オブ・ブラザーズ」

「バンド・オブ・ブラザーズ」(01年米テレビドラマ)をやっとまとめて見ることができた。シリーズものは手許に揃えてからスタートしなければならない性質(たち)なので、10話がまとめてアップロードされるのを待っていた。シリーズもので楽しんだのは、「東京ラブストーリー」(91年フジテレビ 台北の夜市でVCD版を購入)、「24-Twenty Four」(01年米)以来か。

製作のスティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスは共に大ファンなので、「プライベート・ライアン」(98年米)の兄弟作ともいえるこの「バンド・オブ・ブラザーズ」を楽しみにしていたが、無料動画サイトでもなかなかアップロードされず、また画質も良くないのであきらめかけていたところ、アメリカドラマの専門サイトで偶然見つけ、小躍り。日本語吹替え版のDVDも出ていて、それをアップロードした様子で、画質も良く、真夏の夜のひとり映画会で楽しむことができた。

主人公のウィンターズ少佐を演じた英男優ダミアン・ルイス、瞳の色が薄い個性ある顔は「ドリーム・キャッチャー」(03年米)でエイリアン役をやっていたので、やたら懐かしかった。

ストーリーはアメリカ陸軍第101空挺師団第506歩兵連隊第2大隊E中隊の訓練から対ドイツ戦勝利・終戦までを描いた(wiki)ものだが、激しい戦闘シーンは4話くらいまでで、その後のエピソードは厭戦と友情。9話「なぜ戦うのか」では、ユダヤ人収容所の悲惨さがドキュメンタリーフィルムのように描かれ、これが反戦ドラマであることに強く印象付けられた。

2016年11月14日月曜日

ロバの耳通信「ポーラースター ゲバラ覚醒」

「ポーラースター ゲバラ覚醒」(海堂尊16年文藝春秋)

キューバ革命のリーダーだということのほかには、星の印の付いたベレー帽をかぶったイラストが私にとってのゲバラだった。ベストセラー作家がゲバラを描いた4部作の1作目だという。

喘息の発作で「まだ早いよ」と死神に嫌われた幼いゲバラが、ベッド際で両手を組み合わせていた母に、自分のために神に祈っていたのかと聞いた息子に、否と。さらに、どうして神を信じないのかと問うた息子に母は答える。「神様を信じないのではなくて、神さまなんていないと思っているだけ。もしも神さまがいるのなら、世の中に不幸せの人がいるはずがないでしょう?」それでも、母は何かに祈っていたのだ。

啓示的な物語が時間を行き来しながら語られる。まだ100ページをすこし超えたところだが、この本は450ページ「しか」ない。もう4分の1を超えているじゃあないか。なんと惜しむ時間の短いことか。オレンジ色の表紙の本に魅せられている。こんなに、続きを早く読みたいと思ったことは、このところついぞなかった。

2016年11月12日土曜日

ロバの耳通信「シュガー&スパイス ~風味絶佳~」

「シュガー&スパイス ~風味絶佳~」(06年邦画)

原作は山田詠美の「風味絶佳」。フェンスと米軍住宅の福生の風景と、挿入されるアメリカの懐メロと米軍機の騒音がなぜかピッタリ。OASISのうたう主題歌「LYLA」もなかなかです。ガソリンスタンド(劇中ではギャスステーションと呼びます)のあんちゃん(柳楽優弥)と、そこにアルバイトとしてはいってきた大学生(沢尻エリカ)のしょっぱい恋物語です。なんといってもエリカ様が、「パッチギ」(05年邦画)のマドンナ役とちがい、ずるいというかかしこいというか、どこにでもいそうな今風の女子大生なのですが、これがはまり役、まあワタシはこういう娘があまり好きではありませんが、エリカ様はここでもとてもナマイキでとても可愛いのです。ガソリンスタンドのあんちゃんの祖母役の夏木マリもはまり役、ほかのどの女優もこの役はできないと思います。このグランマと呼ばれるモダンなおばあさんは、恋に敗れた孫に、「女の子には優しくするばかりじゃあダメ、シュガー&スパイスだよ」と説教する、ワタシにはちょっと生臭ばあさんなのです。

ワタシの「ばあちゃん」はもうずいぶん前に亡くなりましたが、死ぬまで孫のワタシを100%甘やかしてくれました。割合厳しい家(つまりは貧乏なため余裕のない家)に育ったので、ときどき息が詰まりそうなこともありましたので、よくひとりぐらしのばあちゃんの家(なぜかよく引越しをしてました)に入り浸って、我が家にはゼッタイにない、ばあちゃんの好きなプロレス記事とエロばかりの夕刊紙(九州スポーツです。ちょっと前の東京スポーツとほぼ同じ)や、なんとか実話というこれもあやしげ週刊誌をめくりながら、期限切れの甘納豆を水煮した「煮豆」を食べたり、手作りの「どろどろ」甘酒を飲んだりしたものです。

ワタシが田舎を捨ててこちらに住むようになり、自転車から落ちて怪我をしたというばあちゃんはあっという間に亡くなり、ばあちゃんを焼場で骨にしてからの帰りに、ワタシは、ワタシの一番大切なものをなくしてしまったことに気づき、悲しくて、口惜しくて、いまもそのときのどうしようもない気持ちを忘れることができません。ばあちゃんはいまでも、体の調子の悪い時に、夢のなかで歯のないニコニコ顔でワタシの前に出てきて「よかたい、なんも心配せんでよかたい」と慰めてくれます。

2016年11月10日木曜日

ロバの耳通信「サイダーハウス・ルール」


「サイダーハウス・ルール」(The Cider House Rules、99年米)監督のラッセ・ハルストレムは「親愛なるきみへ」(10年米)で気に入ってしまったスウェーデンの監督。

きっかけは図書館の新刊の棚で真新しい「サイダーハウス・ルール」を見つけて読み始めたが、ハードカバーの割りに字が小さく、筋は単純なのになぜだか頭に入ってゆかない。原作が「ホテル・ニューハンプシャー」(86年米、89年新潮文庫)などで有名なベストセラー作家のジョン・アービングなので期待して手にとったのだが。上下に分かれていて時間がかかりそうな気がして、あらすじとかも調べ、登場人物名をカードに書き出して読みすすめるもなかなかはかどらない。ジョン・アービングの小説は総じて重い、あるいは暗い題材を描いているが、骨格となるのは人間の力強さや希望の確信のようなものだから、どこかで共感し満足できるはずなのだ。

開いたあともないようなマッサラの増版本でこのまま返すのも業腹なので、2-3日は読みすすめた。いつものミステリーの文庫本だと数時間で読んでしまう(代わりに、気に入ったら、繰り返し読む)のであるが、この本はなかなか捗らない。翻訳者によるものか、行と活字のバランスか、紙質とかもあるのかもしれない。下巻もチラ見するとストーリーは面白そうだし、早く読みすすめたいと思ったのだが。

ネットで映画化されていたと知り動画検索したが、消されている様子(著作権の関係からか、最近はとみに多い)。海外の動画サイトで検索してやっと見つけ、とにかく映画を先に見ることにした。ちっ、吹替えも字幕もなしか・・。

主人公のふたりがトビー・マグワイア(「スパーダーマン」のヒーローだ)、マイケル・ケインで、きれいな英語を使ってくれるので、細かいところは別にして、あらすじも頭に入れての映画なので、結構楽しめた。「モンスター」(03年米)で娼婦の連続殺人犯役でアカデミー賞を取ったシャーリーズ・セロンがトビーと同年齢なのにキレイなとなりの「お姉さん」役で、うむこれくらいキレイならお姉さんと呼びたい。映画を見終わって、原作、といっても翻訳本だが、に戻ったが、相変わらず読みにくい。で、上巻の半分くらいまで読んだところで本のほうはギブアップ。この映画、音楽もなかなか。うむ、図書館の本から良い映画と音楽までたどり着いたのでヨシとしよう。DVD借りて、ちゃんと見るかな、今度は。

2016年11月5日土曜日

ロバの耳通信「水神」

「水神」(すいじん 帚木蓬生 09年新潮社)

極貧の農民、水飢饉に悩む庄屋、老いた役人のそれぞれの物語が九州の筑後川の治水工事の史実のなかに格調高い日本語で淡々と語られる。この小説に、「悪人」は出てこない。吝嗇や傲慢はあっても、謀略や裏切りは出てこない。ワルモノを次から次へ登場させ、裏切られあるいはそれに打ち勝って、ハッピーエンドで終わるような安直さはない。難関の繰り返しだから平穏無事なはずはないのだけれども、辛い、苦しい、そこまでやるかといった深淵を覗かせることもない。志(こころざし)は悪と対比しなくても、まっすぐに読者に伝わる。

著者は執筆中に白血病が発見され、下巻はベッドで書いたという。断じて、諦観ではない。人の本質が悪ではないことを改めて認識させる860余ページを一気に読み終えたときの爽快感は忘れがたい。

2016年11月3日木曜日

ロバの耳通信「半落ち」

「半落ち」(04年邦画)

横山秀夫の同名小説(03年講談社)の映画化。いまにも降り出しそうな寒い午後、CMなしでTV放映されたので。条件の違う原作と映画を比較することはできないのだろうし、特に映画は限られた時間に収められなければならないとしても、アルツハイマーの妻殺しとその裁判だけにに強いスポットを当てたこの作品は失敗ではなかったかと。原作でも充分には語られてはいないが行間から伝わってくる、妻殺しの刑事の心情が置き去りにされているじゃあないか。アルツハイマーが社会問題として大きく取り上げられ始めていた時代だからといって、うーん、ちょっと違ってないかと。「壊れてゆく妻を見たくなかった」と、原作本と同じセリフだけれどもセリフの重みが違うような気がする。

横山の「複数の物語が絡み合って本質に繋がってゆく」面白さが削ぎ落とされ、あらすじだけを舞台に引っ張り出しライトを当てたような田舎芝居は見ていて居心地の悪さを感じた。日本アカデミー賞やら、主演男優賞(寺尾聰)受賞作という。オイオイ、原作者泣くよ。キャスティングもめちゃめちゃ。学芸会のように皆が「良い役で」少しづつでしゃばる。殺された妻の姉役の樹木希林だけかな、良かったのは。
ダメ出しの最後はエンディングの追想シーンと森山直太朗の歌。直太朗は大好きだけれども、脈絡もなく歌が始まり、急に明るい画面に変わったのでCMが入ったのかと思った。帳尻合わせに、こんなシーン入れるんじゃあないよって。

2016年11月2日水曜日

ロバの耳通信「天国の青い蝶」

「天国の青い蝶」(04年/カナダ・イギリス)

人には誰でもかなえたいと思う夢がある。車いすを離せない脳腫瘍の少年の夢は、ジャングルに住むという青い蝶「ブルーモルフォ」を捕まえること。同行するハメになった著名な昆虫学者の青い蝶は、17年前に妻とともに捨てた娘に会うこと。実話の映画化だとか。先住民の娘が言う、「なぜ青い蝶にこだわるの。あなたも私もすべてが青い蝶なの」と。自分のことを思うとため息をついてしまう。なかなかこれに気づかず、不満だらけで暮らしている自分を叱ったりする。不安の虜となったワタシはメーテルリンクの青い鳥をつまで探すつもりなのか。

不器用な昆虫学者役にはアカデミー賞男優ウィリアム・八一ト。風采のあがらないただのおじさんだが、この役をこなした彼は「一俳優人生の中で最高の体験」と感動を語ったと。監督のレア・プールは女性にしかできない繊細な、しかし病的ではない、あたたかな心のこもるアプローチでこの作品を仕上げ、この映画をただの難病モノにはしなかった。

偉くなることや、金持ちになることもいいのだろうけれど、今日は咳が少なかったとか、いつものエビフライ定食の添え物のパセリが、今日は特別みずみずしくて良い香りがしたとか、小さなステキで新しい発見。幸せとはこういうことの積み重ねなのだと思うようになってきた。

2016年10月31日月曜日

ロバの耳通信「夏の終わり」

「夏の終わり」(13年邦画)の満島ひかりが良かった。瀬戸内寂聴の自伝小説の映画化ということで、不倫女の身勝手さを描いた映画かと偏見を持って見て、フムフムやっぱりそうだったかと得心しながら見たのだが、それらの嫌悪感を全部チャラにするくらい満島の魅力に参ってしまった。

満島を最初に知ったのはカロリーメイトのCM「ファイト」(12年)なのだが、同じ満島かと思うくらい。女の本性というのはこんなものなのだろうが、こんな女を相手にしたら疲れるだろうな。

ロングショットからのカメラワーク、ワンシーンの長さ、切り取ればそのまま写真になりそうなフレームワーク、舞台劇のような大声のセリフなど昭和の映画と見紛うこの映画は、初めてなのになぜか懐かしい。満島の元カレ役の綾野剛が未練タップリ男を演じ良かった。

最も印象に残ったのは満島の家(妾宅)に不倫相手(小林薫)の妻から電話がかかってくるという想像するだけでも恐ろしいシーン。

「だって、愛しているの。」という言葉で、すべてを押し通す女の論理が怖い。

2016年10月26日水曜日

ロバの耳通信「共喰い」

「共喰い」(13年邦画)17歳の少年の役で日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得した菅田 将暉(すだ まさき)は確かに良かった。ただ、この映画の良さは原作(田中慎弥による第146回芥川龍之介賞受賞の同名の短編小説)であり、田中裕子(片腕の魚屋の母)、木下美咲(恋人)、篠原ゆき子(父の愛人)、三石研(父)ほか、これ以上は考えられない配役のせいではなかったか。

舞台となった下関の言葉はワタシの故郷のソレと似ていて、映画のあちこちの風景やセリフにデジャビュを感じてドキリとする。ワタシの時代は、こんなに激しくはなかったとはおもうが、青春の鬱屈に大小はない。時間がたてばなおさらそれが大きく響いたり、掠れて小さくなったりもするが。

雨漏りを受ける洗面器の音、夕立の雨の騒ぎ、競って鳴くセミの声がいい。先週買い替えたばかりのオーディオテクニカのヘッドフォンがウレシイ。エンド・クレジットでは「帰れソレントへ」のギターで思い切り泣かせてくれるが、なぜかこの映画にぴったり。暗い映画館だったら、泣いたかも。辛いとか、悲しいとかじゃなくても涙は出る。





2016年10月20日木曜日

ロバの耳通信「天国の扉をたたくとき」

「天国の扉をたたくとき 穏やかな最期のためにわたしたちができること」(ケイティ・バトラー 16年 亜紀書房)

ジャーナリストである著者が、過剰医療に苦しめられた終末期の父親と、朽ちてゆく夫を支えながらも夫の死にざまに納得できず自らは終末医療を拒否した母の姿をこれでもかこれでもかと、メスで刻むように生々しく描いたノンフィクション作品。法外な医療費や医療保険が高度医療器メーカーや専門医の報酬へ吸い込まれてゆくアメリカの医療制度にダメ出しをしながらもそこから一歩も出ることができなかった家族のジレンマが伝わってくる。疾病、排泄障害、認知などに一気に襲われた老人とその家族の彷徨の末は戦うことも逃げることもできない暗黒の深い穴。
救いのように散りばめられた愛の物語は、戦争で片腕を失った若者が妻と出会い、幼子を連れて南アから新天地ニューイングランドに移住し家を買い家族で内装を楽しむというアメリカンドリームのよう。ただ三人の子供たちは家を出てそれぞれの暮らし。
南アを田舎に、新天地ニューイングランドを都会と置き換え、老老介護、健保制度崩壊など、どこかの国と問題は似ているが、同じように答えがないことに気付く憂鬱。

2016年10月17日月曜日

ロバの耳通信「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

朝から雨の朝、テレビ放送された「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(11年米)を録画で。立ち上がりからファンのトム・ハンクスが出ていてプロットもなかなか面白いのだが、BSながら民放なので、テレビ通販のCMでコマ切れにされるやら、地震の速報やらで集中出来ず、結局、CMなしのネット動画で見ることに。テレビは情報番組やバラエティーの専用箱になってしまったか。


アスペルガー症候群の息子(新人トーマス・ホーン)とその父親(トム・ハンクス)、母親(サンドラ・ブロック)や、口がきけない間借り人(マックス・フォン・シドー)、黒人女性(ヴィオラ・デイヴィス)などなどアカデミー賞俳優が続々、ただオールキャスト映画ではなく役がピッタシでキャスティングが素晴らしかった。いつもうるさいサンドラ・ブロックのヒス気味の母親も息子の気持ちを取り戻すシーンでは普通の優しい母親。キャスティングも映画の大切な要素だとあらためて実感。

ストーリーは9.11で父親を失った息子が、父親が残した一本の鍵にあうドアをNY中を探しまわるというだけなのだが、後半から感情が崩壊、鼻水と涙が止まらなくなった。悲しいとかそういうのではなく、なんだか「懐かしい気持ち」なのだ。何が懐かしいのかもわからない。こういう映画はなかなかない。パソコンの画面を見ながらしゃくりあげているジジイをほおっておいてくれたカミさんに感謝。

後で知ったことだが英監督スティーブン・ダルドリーの作品「リトル・ダンサー」(00年英)、「めぐりあう時間たち」(02年米)、「愛を読む人」(08年米)は見ていたが「トラッシュ!-この街が輝く日まで」(14年英・ブラジル)を見ていないことを発見。次の雨の日のために探しておこう。

2016年10月14日金曜日

ロバの耳通信「悪人 深津絵里の魅力」

「悪人」(吉田修一 朝日新聞連載、朝日文庫版)を読み終え、ネットで書評に書き込みをしていたら、映画を見てみろとのtwitterで教えてくれた方が。えっ、映画があるのか。こんなに面白い本なら映画があっても不思議ではないと、早速ネットで。DVDを借りに走る時代は終わった。晴れ渡った夕方だが風の強い中をDVD屋に行く代わりに、動画でスグ見れてしまう。なんて世の中になったもんだ。

「悪人」(2010年邦画)では、本と違い「九州訛」(長崎弁+博多弁)のセリフが直接耳にはいってきて懐かしさと聞かないで済ませたい気持ちが交錯した。わが故郷の九州は楽しい思い出があるばかりのところではない。殺され女を演じる満島ひかりも敷居というか、貞操観念が低く、怒りっぽいステレオタイプの九州の女性を演じ、普段はカロリーメイトCMくらいしかなじみがないこの女優の存在感もあったが、なんと言ってももう一方のステレオタイプの九州女、情が濃くて寂しがりや、になりきった深津絵里がとてもよかった。深津絵里はこの映画当時38-9歳、大分の生まれ(だから九州訛りが自然だったのか)だとか、「踊る大捜査線」の湾岸署刑事課盗犯係とはタイプが違う、倦んだ洋品屋店員の役がとてもハマっていた。こういう女性に連れて逃げてと言われれば、誰もが惑うにちがいない。

だれが悪人かという問いだけの、答えのないこの映画は、深読みすれば苦しくなるから、神経症の虞(おそれ)があるムキには薦めない。叶うなら何度か見るといい、深淵を覗くものは地獄に落ちる。

2016年10月7日金曜日

ロバの耳通信「タクシードライバー」


「タクシードライバー」(76年米) 

ちゃんとみたのは初めて。ジョディー・フォスターのファンだったし、彼女の出たシーンを覚えていたので、この映画も「ちゃんと」見たと勘違いしていたらしい。ジョディーのファンだったと強調したのは、近年のジョディがつまらないから。

「告発の行方」(88年米)「羊たちの沈黙」(91年米)がピークで、「コンタクト」(97年米)、「パニックルーム」(02年米)と煮え切らない作品で幻滅、2014年の同性愛結婚などニュースで見るくらい。額に青筋を立てた神経症のようなジュディが好きだったが、どの映画を見てもそればっかりじゃあ飽きるさ、そりゃあ。

「タクシートライバー」は例のニヤケ顔(これがなんとも言えないくらいいい)のめっちゃ若いロバート・デニーロの狂気、孤独と優しさを堪能できる。監督がスコセッシだから面白くないハズがないのだが、車の形が変わった以外今も当時と変わらないニューヨークは魅力的。不眠症の主人公が夜専門のタクシートライバーの役だから、背景に流れる夜のニューヨークの街並みとネオンがいい。サックスだろうか、全編むせび泣くような音楽がいい。

ラストは爆発してしまった主人公がギャングと打ち合うスコセッシらしいカタストロフィーをドキドキする心臓の鼓動のようなドラム入り音楽で楽しめる。半世紀前の映画とは思えない、懐かしさと新鮮さを同時に感じられる作品。ちゃんと見てよかった、台風続きの雨の夜。

2016年9月21日水曜日

ロバの耳通信「私にはコレに向き合う勇気がない。ファイト!」

毎朝のことだが、気になることがある。

エレベーターから降りてきた車椅子の女性が駅員さんとホームで電車を待つ。通勤列車が入ってくると、駅員さんがホームと電車の間に渡し板を置き、車椅子の女性を電車に乗せる。その間、女性も駅員さんも一言も発しない。女性はその間、つまりはホームで電車を待つ間から、電車に乗るまでずっとスマホに向き合い、顔をあげることもない。ありがとうとか、いつもすみませんとかそういう言葉は「一度も」ない。ちょっとのしぐさや微笑みさえも。

駅員さんは同じ人ばかりではないから、この無言劇は特定の不仲な関係だからではないらしい。
最初のころは、その車椅子の女性は、耳か口も不自由なのかと思っていたが、何度か、お友達だろうか、ホームで親し気に話しているところに出合わせたが、普通に会話をしていたから口がきけないわけではないことは確か。

ワタシは車椅子で電車に乗ることはないから、この女性の立場にはなれないし、駅員さんでもない。それぞれの事情もあるだろうからとは思うが、気になってしかたがない。毎朝、毎朝だから、この無言劇を見るのが辛くなってきた。何かが間違っている気がするが、ワタシにはなにもできない。明日から、少し早めの電車に乗るようにしようと思う。朝から気分の悪い思いをすることはないと、逃げる自分に言いわけをしながら。

「ファイト」(中島みゆき)が好きだ。

2016年9月11日日曜日

ロバの耳通信「すべての映画が面白いわけではない」

「ザ・マスター」(12年米)。世界三大映画祭の監督賞を制覇した(wiki)とあった。
どこがいいのかわからない。半分も見ないうちに飽きてしまって、こんなに有名な映画なんだから、きっとこれからの話の展開が面白いのかもとか、鈍感私が感じることができないなにか深淵な背景があるのかもと、いくつかの映画評をチェックして「オモシロイとこ探し」しながら最後まで付き合ったが、それでもさっぱり。砂の女と添い寝するラストシーンまでワタシの理解力を超えていた。

主人公の精神を病んだ男を演じたホアキン・フェニックスも、カリスマ男役のフィリップ・シーモア・ホフマンもほかのたくさんの映画ではあんなにイキイキ、悪役らしくしていたのに、ふたりとも怪しげな酒に飲まれた酔っ払い。酔っ払いが嫌いだからそう思うのだろうが、映画の中の二人の酔っ払いは、箴言ともとれるかもしれないさっぱりわからないたわごとを延々と繰り返す。シラフでも繰り返される議論や感情の沸騰は、オトナのケンカの席に居合わせてしまったように、居心地の悪さを感じてしまうのだ。

楽しさや悲しみや怒りの共感のない映画で、残り少ない時間を割くのは時間がもったいない気がする。一歩下がって、この映画に共感を覚えることができない自分のアタマの悪さや理解力のなさや、感性の鈍さを認めるとしても、ワタシのそれはこれから改善されることはないのだから、どんなに前評判が良くたくさんの賞を総なめにした作品でも、ごめんだ。

「マルホランド・ドライブ」(01年米仏)は巨匠デビット・リンチ監督の傑作とされている。もしかしたら、と見ることをずっと楽しみにしていたのだけど、「やはり」ダメだった。ナオミ・ワッツも大根。作品に恵まれていないとはも思うが、「21グラム」(03年)ではドキドキするくらい、日本映画の二番煎じの「ザ・リング」(03年米)でさえあんなに魅力的だったのに。

リンチ監督の「ツイン・ピークス」(90年テレビドラマ、92年米映画)、「イレーザー・ヘッド」(76年米)も世界中の多くの知識人を大ファンにしたが、カルトを楽しむ度量の広さも小難しい作品をわかったフリをして楽しむことも、知識人の仲間にはいれないワタシにはできなかった。


「チャイルド44 森に消えた子供たち」(15年米)
「あの」リドリー・スコット製作だが、暗さ以外に彼らしいところのない映画、クヤシイ。スウェーデンの監督ダニエル・エスピノーザの力不足か。これだけの原作(トム・ロブ・スミス「チャイルド44」09年版「このミステリーがすごい!」海外編第1位)とのフレコミだったから、結局最後まで見てしまったが、もっとなんとかならなかったかとも思う。

主人公の国家保安省の捜査官の役、トム・ハーディーは、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(15年米)や「レヴェナント: 蘇えりし者」(15年米)、「欲望のバージニア」(12年米)<秀作-サウンドトラックだけでも聞く価値あり>のニヒルなタフガイさもなく、なんともとらえどころのない演技。ステキだったのは「欲望の・・」と同じカリアゲ7・3の髪型が決まっていたことだけ。トム・ハーディーはこの髪型が好きらしい。

その妻を演じたスウェーデン女優ノオミ・ラパスは「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(09年スウェーデン)などのミレニアムシリーズの魅力的なシタタカ女とはうって変わって、これも何を考えているのかわからない役つくりとなった。愛していると言いながらそれが伝わってこない女優に用はない。大ファンのゲイリー・オールドマンの扱いもゼンゼン気に入らなかった、残念。オールドマンを使うのなら「レオン」(94年仏米)でジャン・レノに手榴弾で吹っ飛ばされるのを観客が喜んで見るくらいのカリスマ性を持たせてほしかった。主人公の上司役のフランスの名優ヴァンサン・カッセルだけが、いつものように冷酷無比でハマっていた。

ただ、ひたすらに旧ソ連の秘密警察の横暴さと底知れぬ怖さを強調したような映画になってしまったが、たぶん原作の意図とは違うと思う。仮に、そのステレオタイプの横暴さや怖さがホンモノだったとしてもロシア文化省が、本作について”史実を歪めている”と非難したとのこと、ふむふむ、さもありなん。内なる醜さを突き付けられるというのはつらかろう。とはいえ、権力の暗い面ばかりを見せたい反ロシアキャンペーン映画なら、ハッピーエンドなんかにしてほしくなかった。

ワタシは無類の映画好き。しかし、映画は面白いか、ドキドキするか、心を打つか、なにかの引き金になるか、好きな俳優、特に好きな女優が出ているか、ストーリーに共感するか、音楽がいいか、などなどワタシの好みじゃないと。

2016年9月8日木曜日

ロバの耳通信「月の上の観覧車」

「月の上の観覧車」(荻原浩 11年 新潮社 )どれもが珠玉というのだろうか、短編集のどれもが切ない。「胡瓜の馬」では、里帰りした同窓会で、失くした彼女とのことを知る。「ハの字の眉」と「な」がなんとも切ない。こんなわけのわからことを書いても伝わらないのはわかっているが、どうしてもココに書いておきたかった。昔の思い出なんて、本人しかわからない、否本人でさえ理解できていないことの積み重ねなのだ。

過日、焼きスルメのパックを買った。ワタシは歯が悪いのでふだんはほとんど買うこともないのだが、カミさんが食べたいと。口に入れて浸みだすスルメの味が、唾液と混じってなんだか旨い。ほとんど噛んでいないので、口の中でふやけたスルメはいつまでも旨みを口中に広げている。昔はよく食べたものだと、思い出し、いつまでも飲み込めないでいる。なつかしさに涙が出た。

恋と言うには幼すぎる思い出やそのあとの青春の苦さはいつまで忘れないでいられるのだろうか。残された時間がだんだん少なくなって、ほかのいろいろなことを忘れてしまっているのだが。

2016年9月2日金曜日

ロバの耳通信「警察小説」


図書館にリクエストを出して何か月か待ちで読むことができた「64(ロクヨン)」(13年横山秀夫 文藝春秋社)をスタートに「第三の時効」(02年)、「臨場」(05年)、「ルパンの消息」(91年)、「看守眼」(04年)、「深追い」(05年)と横山の警察小説にはまっている。キッカケは週刊文春の広告欄で「64(ロクヨン)」が紹介されていて、どうも映画化され(まだ、見ていない)話題になり、原作本をもう一度売り込もうというハラだったのだろうがキャッチコピーが秀逸で、翌日には本屋に走り手に取ってみたら、これは面白そう、と。

「半落ち」(02年)ー直木賞候補になりつつも、大揉めして横山が直木賞との決別宣言をした話題作ー04年に寺尾聰主演で映画化ーこれも良かったー以来の横山作品。


「後悔と真実の色」(09年貫井徳郎 幻冬舎)

書き出しがこうである。「申しわけ程度にいくつかの星が瞬いているだけの暗い夜空を見上げたとき、大崎通晃はなぜか『いやだな』と感じた」(本文のママ引用)。なんだかこれだけで、この本に引き込まれてしまった。幻冬舎の本で外れを経験したことがない。明るく、楽しい小説は殆んど読むことがない。暗いジメジメしたところを、なにかを引きずって歩くような小説が好きである。主人公がどこかに行き着いた時の到達感が好きなのか、引きずられて歩く可哀想な人を上から目線で見るのが好きなのか。



「地の底のヤマ」(11年西村健 講談社)

ハードカバー2段組の860ページは確かに読み応えがあったし、これだけの大作を軸をずらさずに書ける作家のチカラを感じた。かっての炭鉱の町大牟田(福岡県)の警察官の物語が大牟田弁の訛りで語られていた。ただ、主人公はこの刑事というより、ヤマ(炭鉱)を支えてきた男たちであり女たちであり、ガキ。だから、これらの人々がページの中で、石炭を掘り、酒を飲み、ケンカに明け暮れる、その間を警察官たちが自転車で駆け回る物語は、例えば新聞紙を一旦丸めてそれを広げて、その端に火をつければジワジワと炎が広がって行くような、一気に燃え広がる不安を感じながらも、同時に最後まで燃えて白い灰になるだろうという確信を持って読むことができた。決して、曖昧なままでは終わらない、警察小説がここに。

これは警察小説であると同時に、ワルガキたちの「スタンバイ・ミー」物語である。家庭を捨て、定年間近になって同じく警察官であった殺された父の犯人をやっと突き止めた警察官は、ただただ寂しい。

ページをめくるのがもどかしい位、どっぷり浸かった。もうこれほどの本には会えないような気がする。


「劇場版 MOZU」(15年邦画)

主人公の警視庁公安部の倉木警部を演じた西島秀俊は、妻子を殺された役柄とはいえストイックで恰好良すぎ、ワキ役の警視庁刑事部の大杉警部補の香川照之がゼンゼン刑事らしくなくてよかった。香川照之はドラマ「半沢直樹」(13年テレビドラマ)ですっかりファンになってしまい、私のアタマの中では「悪人に見えるが、実は善人とみせかけ、その実、極悪人」なのだ。スピンオフドラマの「大杉探偵事務所」では刑事をやめた大杉が怪しげな私立探偵になるというからそっちのほうが面白そうな気がする。

MOZUはドンパチだけでなく双子の殺し屋や架空の国ペナム共和国(撮影はフィリピンのマニラ)でのカーチェイスなど、ハチャメチャなシーンが続くから退屈はしない。この映画の原作は、「百舌の叫ぶ夜」「幻の翼」(逢坂剛 集英社文庫)なのだが、私は逢坂剛とは相性が良くないらしい。根がケチなので、手に入れた本は、我慢しても最後まで読む、気に入らなかったら同じ著者の別の本を探しても読むということで、多くの本を読んできたが、逢坂剛は何冊も途中で挫折している。

2016年8月22日月曜日

ロバの耳通信「完全なる報復」

「完全なる報復」(09米)台風上陸が決まりテレビ番組は終日コレばっかり、どこにも出かけられないから、というよりどこにも出かけたくないから今日はネット動画の日。

主演は「レイ」(04年米)でレイチャールズを演じてアカデミー賞やゴールデングローブ賞をとったジェイミー・フォックスだが、好みは、復讐のオニを演じたジェラード・バトラーの方。「300(スリーハンドレッド)」(07年米)でレオニダス王で圧倒的な存在感を感じて以来の大ファン。

ストーリーは強盗に妻と娘を殺されたエンジニア(ジェラード・バトラー)が、司法取引で犯人を極刑に出来なかったため強盗と司法取引にかかわった関係者に報復してゆくという「よくある」復讐劇なのだが、その復讐の方法が周到で残酷。この手の復讐モノが好きなワタシでも、残酷すぎて、やりすぎの感。「完全なる」と題されているから、犯人が死んでからも最後にドンデンガエシとかもあるかとラストシーンまで緊張して見てしまった。

舞台となったペンシルベニア州フィラデルフィアは、古い町並みと近代ビルが混在する大都市。15年ほど前に仕事で訪れたが、大きなホテルの前もウシロも大きな通りで、翌朝は空港へのシャトルを予約、アシがないワタシは今日のようにどこにも出かけられず、ホテルのギフトショップでカミさんのためにハーブ油の詰め合わせをオミヤゲに買ったことを覚えている。明日は帰るからとカミさんに電話をして、チェックアウト時に電話代のバカ高さに文句をつけたら、ココはよその州に比べ電話代が高いのよとナマイキな顔をして化粧の濃いホテルのオネーサンに言いくるめられたことをいまも覚えている。

2016年8月20日土曜日

ロバの耳通信「ドーピング」

どうすればよいかわからない

何年も、委員会とコーチのいう通りにしてきた。
厳しい食事制限と練習。絶対ひっかからないしし、検査は委員会でやるから検査ミスも起きないからと何種類もの「サプリ?」。吐きそうな味のプロテインドリンクにも慣れた。

メダルがとれたらと、委員会は両親のためのアパートと、弟の奨学金も約束してくれた。ロンドン大会では、メダルまでもう少しのところだったし、カラダ作りと練習を重ねてきたから、リオでのメダルは指定席だと思っていた。

委員会から突然の連絡があり、リオには出場できなくなったと。耳を疑った。コーチは消えた。目の前が暗転した。お前たちの言うようにしてきたじゃあないか。

2016年8月9日火曜日

ロバの耳通信「おにぎり」


おにぎりを食べる時、いつも思い出してしまう話。

ピカドン(原爆)のあと一旦稲佐山に避難した。

夕暮れも迫り、ぞろぞろと山を降りる人々のなかに、顔を煤だらけにした小学生を見つけた。
自分の身内にも同じ年頃の子供がいることから、持っていたおにぎりをあげるため声をかけた。

わき道にはいり、新聞紙のおにぎりを広げその子にあげたが、自分がたべはじめても中々食べようとしない。

わけを聞くと、「これから家に戻り、はぐれてしまった母、姉を探す。折角いただいたおにぎりだが、自分はまだ我慢が出来るから、ピカドンにやられているであろう母、姉に食べさせたい」と。

神はどこにいて、何を見ていたのだろうか。

2016年8月3日水曜日

ロバの耳通信「イコールズ」

「イコールズ」(Equals16年米)未来都市が舞台で、長岡造形大学で撮影をしたことが有名になった作品。

コンクリートとガラスの吹き抜けの空間芸術は近未来を想像させるが、この映画が暗に示唆する感情のないクリーンな「嫌な」世界なのかも。共感か嫌悪かは別にしてこの映画を見て、行ってみたい場所がまた増えた。

監督がドレイク・ドレマス(「今日、キミに会えたら」(12年米、日本未公開)のラブストーリーの味付けながら、製作総指揮リドリー・スコット、ニコラス・ホルト(「X-MEN アポカリプス」(16年米)、クリステン・スチュワート(「アクトレス〜女たちの舞台〜」(14年米)が有名だが、「オン・ザ・ロード」(12年米)のメアリルーが好き)の主演ということで外れようもないし、湧き上がる恋愛感情、失った喪失感は生と死のハザマを行き来したロメオとジュリエットにも似たジェットコースター気分も味わえる。

日本公開は未定らしいが、字幕付きでネットでみることができるので、なにかいい映画を見たいとお探しの向きに勧めたい。

2016年7月19日火曜日

ロバの耳通信「冬の光」(篠田節子)


「冬の光」(篠田節子 15年文藝春秋社)出だしは篠田らしい真っすぐに差し出された刃のような鋭さ。ワタシも四国遍路を夢見たことがあったから、父の足跡をたどる娘と一緒に歩いた気がした。「旅」「出会い」「病い」篠田の創作の定番が、盤の上を歩くと不意に現れる碁石のように体に当たる。避けきれずワタシの体に傷をこしらえることになった碁石はなぜか「黒」のような気がする。

表紙の写真や装丁も美しく、図書館のプラスチックカバーがかかっているためか半年経っているとは思われないキレイさだ。なにより、ほんの少しだけ象牙色がかった良質紙に、凛と立っているような活字の美しさは、普段、薄汚れた古本や方眼紙の枡を埋めたような電子本の活字モドキに比べるべくもない。


本編の軸となるのは、企業戦士が密かに愛し続けた女性とその死。繰り返される出会いと別れは、これほど悲劇的でなければ自分の過去のなかの棘にも似ている。

本書の表題を見て思い出したのが、映画「冬の光」(63年スウェーデン)。イングマール・ベルイマン監督の名作。これはゼッタイ見たほうがいい。

篠田の「冬の光」では父、富岡康弘は「死者の声」を聞き信仰を得る。ベルイマンの「冬の光」の牧師トマスは自らの信仰に苦しむ。神はどんな顔をしているのだろうか。





2016年7月9日土曜日

ロバの耳通信「メアリー・カサット展」

横浜美術館に。暑い日が続くなか、曇り空で気温もそう上がらないだろうという天気予報を聞いて、ふだんはあまり寄ることもない、みなとみらい地区に思い切って出かけることにしたのは、前売り券を購入していた「メアリー・カサット展」とまた食べたいと思っていたランチメニューのため。

「あふれる愛とエレガンス。あのドガをも魅了」の前宣伝に惹かれて行ったメアリー・カサット展は、中年女性であふれていた。

館内は寒いくらいにエアコンが効いていて歩き回るうちに、膝が冷え、だるくなってしまった。気に入ったのは「桟敷席にて」(1878年)のドガに強い影響を受けました感の強い、印象派の油絵一点だけで、メアリー・カサットの作品の間に展示されているドガのエッチングや知らない作家の作品、影響を強く受けたという日本画が煩わしい。

作品を見るときは、まじりっけなしで緊張感を持って楽しみたい。展示室に「雑多に」(・・と思う)詰め込まれた作品は美術館の特設展示場としてはやむをえないとしても、解説のプレートの字の小ささと情報量の少なさにも閉口した。併記してある英語の解説文よりずっと短く編集された日本語の文字はさらに小さく、近づいて目を凝らさなければ読めず、同行したカミさんは「ジジババなんか来るなと言ってるじゃないのと」、うん同感。

メアリー・カサットは一回りすると飽きてしまって、常設展にまわった。そうだ、横浜美術館は「現代美術」がメダマだったのだと思い出し、膝の冷えを言いわけにしてすぐに出てしまった。抽象画や意味不明の彫刻などに何かを感じたりするような感性は、カミさんにもワタシにもない。

赤いくつ号(巡回100円バス)で駅前に出て、お昼をとっくに過ぎたステーキハウスは奥の禁煙席を頼んだのにタバコの匂いが流れてくる席。後ろで騒いでいた中年グループが騒がしかったが、ポテトフライをたっぷり添えたチキンステーキはいつもの味で満足。帰りに寄ったスーパーにセルフのコーヒーミルがあったので、店員さんに使い方を教えてもらいながらペーパーフィルター用に浅煎りを「ガガガ」、なんだか懐かしいコーヒーミルの音、昔はあちこちのスーパーにあったのに最近はあまり見なくなった。
カミさんが挽きたてのコーヒーを早くお家で飲みたいというから、スイーツも買って、できたばかりのバイパスを抜けて自宅へ。ひさしぶりのみなとみらい外出は、まあ楽しかったかな。

2016年7月6日水曜日

ロバの耳通信「残穢」(ざんえ)

「残穢 -住んではいけない部屋-」(ざんえ16年邦画)
原作を先に読んでたせいもあるのだろうが、近年の邦画の凋落を納得してしまうひどさ。小説家の私(竹内結子)も怖い話を持ち込んだ久保さん(橋本愛)もミスキャストというか必然性も個性も抹殺。原作でもちゃんとは出てこないオバケを鳴り物入りで出すは、効果音で脅すは、ふた昔前の時代劇の怪談映画と同じじゃないか。監督どーした、脚本どーした、原作者が可哀想な気がする。唯一の救いは和楽器バンドによる主題歌くらいか。数十秒のテレビCMのほうがよっぽど良かった。韓国で映画化してくれないかな(本気)。

原作は小野不由美の「残穢」(ざんえ)(12年ハードカバー、15年文庫 新潮社)。原作にオバケは出てこないが、読むんじゃなかったと後悔したほど怖かった。怪現象を追いかけていったら、何世代にわたり家やに憑いたりして、伝染病のように広がっていた呪いのようなものをドキュメンタリー風に追いかけてゆくというだけのハナシなのだが、コレを読めば古家や貸アパートは借りられなくなる。家人が寝てしまった薄暗い部屋でスタンドの明かりで読んでいると、自分の後ろが気になる。

電子本でも怖かったから、ページの紙魚(シミ)や行間に潜む狂気のようなものが気になることもある紙の本だと怖くて最後まで読めなかったかも。

2016年7月2日土曜日

ロバの耳通信「ブラインドマン」「13Hours:The Secret Soldiers of Benghazi」「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」

「ブラインドマン」(13年、仏)リュック・ベッソンの製作・共同脚本、監督がグザヴィエ・パリュだが、全編リュック・ベンソンらしいノワールの味付けが効いた味わい深い作品。「その調律は暗殺の調べ」という副題がついているが、退役軍人の盲目の殺し屋とそれを追うヤモメの刑事の関係は、フランスのノワール映画独特の男の繋がりのヨコ糸に、刑事を慕う部下の女刑事がタテ糸を絡め夜や雨のシーンの多い、暗いだけにおわりがちな作品に情感を醸しだしている。女刑事の役のラファエル・アゴゲがなんともイイ女で、この映画には刑事の上司の女署長、殺し屋が通う売春婦と3人しか女が出てこないのだが、それぞれにみんな魅力的なのがフランス映画らしい。

ラファエル・アゴゲといえば、こちらも脇役ながら好演していた「黄色い星の子供たち」(11年、仏)も、忘れがたい作品。第2次大戦中、フランス政府によるユダヤ人一斉検挙を題材にした作品で、「ブラインドマン」と同じく、小劇場の封切りがとっくに終了したためネット動画かDVDで見るしかないが、機会があればぜひ見てほしいと思う。



「13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi」(16年、米、日本未公開)12年にリビア・ベンガジのアメリカ領事館が襲撃された事件が題材。CIAの傭兵<軍事組織GRS(Global Response Staff)>が主人公にはなっているが、味方も敵もリビア人のドンパチだらけ、何をどう理解すればよいのかという動揺のなかでドンパチ映画を’楽しんで見ている’自分がいた。この映画の説明がちょっと難しいので、新聞の論評を勝手に引用。実のところ、この論評もわかりにくいのだが。

本作「13 Hours」は、リビア人達に加えアメリカ政府を悪者として描いている。そして、マイケル・ベイは、その感度の鈍い映画スタイルにとっては、一貫性など前提にされないという事を、証明し続ける事で自身のキャリアを構築してきた人物でもあり、その部分こそが、影の力からの脅威に、一つの姿勢を表せる要素なのだと言えるだろう。その意味でいって、彼がここでおそらく批判している、ほとんど顔もみせない政府の人間達を、彼自身が反射している訳でもあり、その姿はまさにアメリカ人そのものと言えるのだ。(The New York Times)




「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」(Locke 13年英)不倫し妊娠させてしまった同僚の出産に立ち会うためにハイウェイを急ぐ主人公ロックが車中から、やりかけの仕事の部下や上司、病院の医師、不倫を告げられた妻、息子など多くの人々と携帯で話をするというそれだけのハナシなのだが、限られた時間の中で携帯で話をすることしかできない状況はデジャブがありなんだか身につまされた。

86分の映画のすべてがハイウェイを走る車、車中、流れる風景だけの映像。キャストはロックだけ。あとは携帯の音声のみというラジオドラマのようだが緊張感のある作品。動画サイトでも見れるので、雨の夜、一人で見る映画としてぜひ勧めたい。

2016年6月21日火曜日

ロバの耳通信「海街diary」

テレビ放映された「海街diary」(15年邦画)を。雨の月曜日に腰を据えて見る映画は、予告編やら原作本の書評やら事前チェック怠りなく準備。監督や配役もワタシ好みだし、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞ということで期待も大きかったのだが、出来が悪いというほどではないのだけどね、イマイチ伝わってこないんだよ、というワタシのコメントに、一緒に見ていたカミさんが「一時間半に押し込めているんだから、そこまではムリじゃないかなー」と。それはそうなんだけど、筋立ての設定からもっと、もっと奥深いジワーっとくるものがあるはずなんだ。(是枝裕和)監督だから、涙を無理強いさせたりはしていないこともわかっているんだけども、これだけの原作、監督、配役、音楽を手当てできていながらと残念。

「海街diary」の原作は吉田秋生による少女コミック。作画はうまくないが、横顔のアップやセリフを抑えたコマ割りは絶妙だし、主人公の四姉妹が住むという鎌倉の町や海、江ノ電極楽寺駅の描き方ではホンモノを良く知っているワタシにはこの漫画のコマのほうがずっと記憶に残っている。

音楽を担当したのが、菅野よう子。「花は咲く」の作曲で有名だが、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」(03年邦画)などのアニメ映画やゲーム「信長の野望」シリーズ(86年~)、CMなどなど、日本を代表する作曲家、プロデューサー、ピアニスト、最近は歌手もーで大ファンである。近年はゲームなんかもエピック流行りで、映画やゲームそのものより強い印象を与える楽曲が多いが、「海街diary」
決して前には出てこない音楽は菅野よう子らしくて好感が持てた。

外はまだ雨が降っている。

2016年6月17日金曜日

ロバの耳通信「死後結婚」


韓国人の描写をさせたら、岩井志麻子ほどウマい作家はいないのではないか。「日本人よりも韓国人の男性と付き合った数の方が多い」と公言しつつ年下の韓国人の夫、愛人を持っていると、それだけでもすごい。

ワタシが生まれたところは、駅裏に在日の部落があって、親たちにとっては差別の対象、ワタシにとってはなにか隔絶された島。近づいてもいけないといわれて育ち、それでも小学校のクラスにいた色白の女の子はその部落の出身だとクラス中が知っていたのだけれども、イジメはなかったと思う。幼すぎたワタシが気づいていなかっただけかもしれないが、ワタシはその子をいつも遠くから見て、憧れていたような気がする。学生時代、トナリの女子寮に住んでいた髪の長い優し気な朴さんと、すこし話をして以来、韓国女性とは知らない国のアイドルであった。その後、韓国に何度も行って、韓国女性のみんなが色白で髪が長く、おとなしいひとばかりではないということを再認識したとき、初恋の思い出を汚されたような気がしたものだ。

「死後結婚」(05年 岩井志麻子)は怖い物語である。主人公の京雨子が慕う沙羅は在日の設定。色白の端麗とも妖艶とも異なる説明しがたいが、ワタシにとってステレオタイプの韓国女性。岩井の小説はどれも恐怖と性愛にあふれていて、出てくる女性が、少女から老婆に至るまで、とにかく怖く、心惹かれるのだ。食われるとわかってて、求愛してしまう雄カマキリを笑っている人間も同じか。

2016年6月3日金曜日

ロバの耳通信「雨の日の映画会」

一日中雨の予想が出ていたので、明るいうちは「ソロモンの偽証」(15年邦画)、夕食後に「サンクタム」(Sunctum11年、米)を。

「ソロモンの偽証」は文庫本を手に取ったこともあったが、ちょっとニガテな学園モノだし6冊(約3000ページ)もあるということで尻込み。テレビで前・後編を放送ということで、録画して一気に。


公募で決まったという主人公(藤野涼子)が日本アカデミー賞ほか各賞の新人賞をかっさらい評判も良かったが、ワタシは中学生役のシロウト集団にひとりだけプロ女優がいるような居心地の悪さを感じた。いじめられっこ役の石井杏奈とその母親役の永作博美、気弱な担任の黒木華がステレオタイプのイヤなオンナに描かれ印象に残った。

新し映画のせいか、キャスティングではいま活躍中のタレントが大勢出演していて、そのタレントをワルモノにしないよう、チョイ役で終わらせないよう八方美人色に仕上げたせいで映画全体を落ち着かないものにしている。こういうシリアスな原作・脚本の映画では、軸となる数人の役柄が浮かびあがり、ほかの役は風景に溶け込むという、舞台劇のようなのが合っているのではないだろうか。
この映画の主題歌をU2が提供して話題になったが、ミスマッチと言っていいくらい。誰の責任なのかはわからないが、こんな使い方をされたらU2ファンは怒るよ、きっと。

「サンクタム」はアリスター・グリアソン監督、ジェームズ・キャメロンの製作総指揮。「タイタニック」(97年米)「アバター」(07年米)(共にキャメロンの監督・製作総指揮)と大ヒットのあとに鳴りもの入りでリリースされたが、評判はいまいちだったようだ。監督のチカラの差か。実話をベースとしたというドキュメンタリー仕立ての映像はワタシには楽しめたし、サバイバルでむき出しにされる人々のエゴや厳格な父を嫌う息子との情愛などストーリーもよかった。洞窟ダイビングのシーンなど、ぜひ、大スクリーンでもう一度見たい。

2016年5月23日月曜日

ロバの耳通信「森山良子Touch me ...」

森山良子デビュー50周年記念コンサート「Touch me ...」に行ってきた。森山のライブは日比谷の野音のフォーク祭り(ほぼ半世紀前なので記憶は曖昧)以来。「愛する人に歌わせないで」(68年シングル)、「森山良子インナッシュビル/思い出のグリーングラス」(69年アルバム)の2枚のレコード(!)が始めだから、抒情とフォークがワタシの森山良子で、まあ懐かしのメロディー聞いて青春の思い出に浸ってくるかと。

スタートは知らない曲で、そのあと懐かしの曲のメドレーを目をつぶって浸りながら聞いて、うんうん、やっぱりライブは浸みるなーといい気持ちになっていたら、映画音楽、シャンソン、ジャズと次から次へ。ああ森山良子は抒情歌謡とフォークだけじゃなかったんだと。

最高のアレンジとアドリブにも聞こえる「聖者の行進」、バーバラストライサンドを強く意識したという「ピープル」など森山が歌うとこういう曲になるんだとただ驚き、感動してしまった。約2時間半のライブでほぼ同じ年の森山良子のパワーをもらい、このところ体調を崩してメゲそうになっている自分にハゲシク活をいれることができたのだ。ライブはいいな、やっぱ。

2016年5月18日水曜日

ロバの耳通信「ひまわりの約束」


「ひまわりの約束」「STAND BY ME ドラえもん」(14年邦画)の主題歌。歌っているのが、秦基博。ずっと知らなくて、「あん」(15年邦画)をネットで泣きながら見ていて、主題歌の「水彩の月」(すいさいのつき)に刺され(まさにグサッと刺され)タイトルバックまでしっかり見てこの曲を知った。「あん」については、テーマが重くてすぐには書けそうもないので、いつかーということにしたいが、この「水彩の月」ほか秦基博の歌をYouTubeサーフィンで調べて、「ひまわりの約束」までたどり着いた。「STAND BY ME ドラえもん」は確かに見たのだが(うん、なんだか懐かしい気持ちのいい映画だった)。

どうして君が泣くの まだ僕が泣いていないのに・・で始まる歌は、優しくて浸みる。弾き語りベストアルバム「evergreen」(14年10月)にふたつともはいっているが、YouTube で歌詞を見ながら聞くほうがずっと浸みる。

秦基博と「あん」の監督・脚本の河瀨直美の対談~君にもう一度会えるとしたら~がDVDのおまけ画像にあるらしく、探しているのだが。河瀨直美も大好きなのだ。

2016年5月15日日曜日

ロバの耳通信「赤目四十八瀧心中未遂」

赤目四十八瀧心中未遂(あかめしじゅうやたきしんじゅうみすい 03年日本)

邦画を見ることはあまりない。理由はうまく説明できない。面白い、つまりは好みの作品に中々あたらないというそれだけ。韓国映画を好んで見ているから、ハリウッド偏重というわけでもない。

「反時代的毒虫」としての「私小説作家」を標榜した車谷長吉は本作で第119回直木賞を受賞。

3時間のこの映画の見所は多い。世間を捨てて毎日モツのクシ打ちで暮らす主人公はいつも下を向いていて、近親相姦を題材にした実相時昭夫監督の「無常」(70日本)の田村亮を彷彿とさせる。アマ(尼崎)のボロアパートに住む雑多な住人たち、入れ墨師、売春婦などなどがそのまま描かれている。音声(録音)が良く、昔の映画をネットで見るというハンディがありながらも、モツを串に打つ音、廊下や階段を歩く音、雨の音、ツクツクボーシのなき声などなどココロにまで響く。機会があれば暗めの画像と一緒に場末の映画館で楽しみたい。

寺島しのぶが朝鮮人の売春婦を演じている。良くは知らないから想像するだけなのだが、いかにもという感じで、濃密なシーンも、一緒に「この世の外へ」の旅に出てしまう結末にもなぜが納得してしまう。この映画だけで寺島しのぶが好きになった。また悪いクセが出た、良い女優にめぐり会うとまいってしまう。

映画仲間からの推薦だと、テレビドラマらしいが「実録ドラマスペシャル 女の犯罪ミステリー 福田和子 整形逃亡15年」というのが良かったと。そうそう、寺島しのぶが週刊誌のネタになっている。「寺島しのぶの乱」は尾上(菊五郎)の「お家騒動」だと。ミーハーの悲しいサダメ、つい読んでしまった。

2016年5月5日木曜日

ロバの耳通信「A BEST -15th Anniversary Edition-」浜崎あゆみ

浜崎あゆみのベストアルバム「A BEST」の発売15周年記念盤「A BEST -15th Anniversary Edition-」が、良かった。

娘が我が家にオキザリにしていた15年前の「A BEST」(2001発売)を良く聞いていた。よく、雨の公園わきに止めた中古レガシーのなかで、カミサンと。子どもたちがみんな巣立ってしまい、すっかりやることがなくなったワレワレは、アテもないのに車ででかけ、一日中を車の中で過ごしたものだ。

そのあと、買った2台の中古車はルーフが薄いコンパクトカーなので、大好きな雨の日に音楽を聞こうとしてもルーフを叩くバラバラという雨の音だけが響き、音楽どころではなくなってこのCDも聞かなくなり、車の買い替えの時に失くしてしまっていた。

1. A Song for ××
2. Trust
3. Depend on you
4. LOVE~Destiny~
5. TO BE
6. Boys & Girls
7. Trauma
8. End roll
9. appears
10. Fly high
11. vogue
12. Far away
13. SEASONS
14. SURREAL
15. M
16. Who…
17. A Song for ××(Acappella Ver.)
18. Trust(Acappella Ver.)
19. Depend on you(Acappella Ver.)

新しいアルバムは、マイベスト3でもあるA Song for XX、Trust、Depend on youは、オリジナルのほかにアカペラも。これがとても良かったんだ。

Song for XXでは尖った少女とその母親との行き場のなかった葛藤をこう歌った。

いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって誉められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言うほどに
笑うことさえ苦痛になってた

ひとりきりで生まれて一人きりで生きていく
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた

http://www.uta-net.com/song/11126/

やっぱりあゆみはいいなー、聞いてるだけで浸みちゃうよ、涙がでるよ。あゆみももう37歳。結婚して離婚してそれでも変わらないな、という安心。

2016年5月1日日曜日

ロバの耳通信「僕だけがいない街」

ありえない設定だけど、そこは日常の風景。原作(三部けいのマンガ)も読んだが、声優や主題歌など、文字だけの小説やマンガよりも、アニメは「具体的」に嬉しさや、哀しさなどの感情がナマに眼、耳から直接伝わる。紙の上だけの「ひとりよがりの想像の世界」から、テレビアニメや劇場版アニメでは日々の暮らしのようにより近くに感じることができた。

繰り返し襲ってくる「リバイバル」は、日々の暮らしで感じるデジャブのようだし、トラウマでもある。あらためて考えてみると、ストーリー展開のなかのイベントは、虐待、誘拐といった暴力ばかりなのだが、この暴力から主人公のみならぬ観客をすくいだしてくれるのが、実社会では中々得難く理想ともいえる仲間や友情、というのが、若い人にも受け入れられている理由
ではないか。

いずれにせよ、マンガ、ノベライズ小説、テレビアニメ、劇場用アニメとどのメディアでも耐えられるストーリーは、枝葉で変っているものの、主人公の悟の強い意志とその周りの少女の思いで骨太に組まれており、このストーリもすごいと思う。さらに、マンガから劇場版アニメへの展開のなかで、良質な作画が品質を落とされることなく、またキャラクター設定に合致した、声優のキャスティングなど、きめ細かい演出がされていることなど、近年の作品群でこれだけの品質を維持できていることに感動した。

次の変移として考えられた実写(映画)の失敗で、原作がダイナシになることが怖かったが危惧に終わったようだ。同名の新作(16年3月邦画)藤原竜也はともかく(この世代に良い男優がいない)、ヒロインに有村架純とは・・、乃木坂とか欅坂にいっぱいいるだろうにと本気で。キャスティングにやや不満は残るが、子役の中川翼と鈴木梨央がいい。「ALWAYS三丁目の夕日」(05年邦画)の古行淳之介役で出演した子役の須賀健太がこの映画の本当のヒーローであったように。三丁目の夕日シリーズでは続編が出るたびに酷くなったから、「僕だけが・・」は、続編はいらない。

2016年4月24日日曜日

ロバの耳通信「君が元気な頃に、絞るような声で歌っていた「ミスサイゴン」の舞台をボクは忘れない」

「舟を編む」(13年邦画)
2012年本屋大賞を獲得した原作は三浦しをん。いちばん良かったと思うシーンは。恩師の死に目に間に合わなかった主人公マジメ(松田龍平)が自宅に戻り、妻カグヤ(宮崎あおい)と差向いで遅い夕食を食べるところ。蕎麦を食べ始めるも悲しさと悔しさにすすり上げるマジメの背中をカグヤが黙ってさする。
小津安二郎監督の「晩春」(49年邦画)の紀子役の原節子とその父親役の笠智衆の間で交わされるセリフは少ないが情感がジワリと伝わってくるモノクロシーンを彷彿とさせる。
映画を先に見てしまったが、原作を読みたい。今年の秋からテレビアニメも放映されるとのことだが、さてさて。

「愛の選択」(91年米)
原題は、Dying Young (The Choice of Love)とあり、若くして死ぬこと(副題は邦題とおなじく、愛の選択)で、白血病で苦しむ青年キャンベル・スコットと臨時雇いの看護婦(実は看護婦ではないのだが、どうでもよいー)ジュリア・ロバーツの恋愛映画。難病ものなので、ハッピーエンドとはいかないが、落としどころをわきまえているノー天気ハリウッド映画。最後まで安心して見れる。同じくノー天気のジュリア・ロバーツは天真爛漫なキャラで意外性もなくこれも安心して見れたが、役名が予備選でトランプと戦っているヒラリーだったのがちょっと興ざめ。キャンベル・スコットが迫真の演技でなりきった末期の白血病の青年が、同じ病気で亡くなった本田美奈子に重なってしまい涙が出た。君が元気な頃に、絞るような声で歌っていた「ミスサイゴン」(92年が初演)の舞台をボクは忘れない。

中学一年の同じクラスの双子の女の子の片方が白血病で亡くなって、しばらく空席となり教室にポッカリ穴が開いていたのを思い出す。残った子と印象がごちゃ混ぜになっており、50年以上前のことなのだから曖昧な記憶もしょうがないと思うが、赤い髪の色だけは覚えている。色の白さやおとなしい印象は、ずっとあとになってワタシが勝手に作り出した虚像なのかもしてない。残った片方はいま、どうしているだろうか。

「オペラ座の怪人」(04米)
同題の映画はほぼすべて、劇場ミュージカルは一度。映画では、エンリオ・モリコーネが音楽監督をやった98年版を凌いで、最新のこの作品が最高だと思う。主役、準主役の男優はミュージカルらしい大振りな演技。とにかくクリスティーヌ役の女優エミー・ロッサムが素晴らしい。撮影当時16歳だったとのことだが、可憐な歌の間に(演技か本質的なものかは不明ですが)女の本性が垣間見える表情もあり、ふたりの男を天秤にかけるこの役は適役。この映画は歌唱シーンが多く、歌唱もほとんどが本人がやっており、映画というより舞台に近い感覚。そして暗いシーンの多い映画では舞台より映像の広がりが感じられ、いつでも何回でも楽しめるDVDがあってよかったとつくづく思う。

初めて本物のミュージカルを見たのは、30歳頃。「コーラスライン」を舞台で。早朝に並んで買ったシューベルト劇場(42nd,N.Y)の当日券の半額チケットは最前列の右から2番目。踏み鳴らす舞台の床から舞い上がる埃も、舞台の下の幕間からオーケストラの熱演も見えた。そのあとも何度か海外で見たのだがが、言葉のハンディを超えられず、字幕つきの日本公演や劇団四季や映画に頼るようになった。最初は舞台じゃなければと、高いお金を払い、良い席にもこだわったのだが、CDに置き換えられたクラッシックコンサートと同じ。入場券を手に入れる手間、バカ高い値段、劇場への往復のわずらわしさ、前に座ったひとのアタマの影やとなりでおしゃべりをするカップル、声の調子の悪い歌手にお目当ての歌手が体調不良とかで、嫌いな代役・・・と、不便と不運に苛まれることが続き、DVDやネット動画に落ち着いた。もっとも、近年は、特に冬場は劇場や映画館でトイレや咳をガマンしながら長時間座っていることが辛いというのが本当の理由。

2016年4月18日月曜日

ロバの耳通信「アウトロー」

面白い映画にめぐり会えずちょっとイライラ。こういうときはとっておきの「私設映像バンク」を使うしかない。そのためにほんの10年ほど前にはメダマが飛び出す価格だった外付けの500ギガのハードディスクを買ったのだから。

「アウトロー」(Jack Reacher 12米)、トム・クルーズの主演というだけで面白いに決まってるのに、映画の原作(One Shot)がベストセラー作家のリー・チャイルドのジャック・リーチャーシリーズものなのだから、何度見ても飽きることがない。脇役だがロバート・デュバル、リチャード・ジェンキンスほかの名優が出ているとか、まあ、話しのネタは色々あるが、ワタシにとっての不幸はどうしても好きになれない英女優ロザムンド・パイクが主役級で出ていたことか。ロザムンドは「ゴーン・ガール」(Gone Girl 04米)でア
カデミー主演女優賞ほか世界中の映画賞をかっさらったほどだから、世間はワタシの好みとはかなり違うようだ。「ゴーン・ガール」も確かに面白かったが、この女優じゃない方がずっと良かったのではないかと今でも思っている。

「アウトロー」のヒーローである元米軍憲兵隊捜査官ジャック・リーチャーはなんといっても強く、カシコイ。原作も何度か読んでいるから、映画のなかでもゼッタイに死なないこともわかっているから安心して見ていられる。バスに乗ってどこかに去ってゆくところなんか、(高倉)健さんが寂しい背中を見せて去ってゆくシーンにも似て、実に格好いいのだ。

ロバの耳通信「他人がどう思うか気にしなければ良かった」

偶然見つけたサイトに、人が人生を終える時に後悔する20の項目というのがあって、そのいちばんに「他人がどう思うか気にしなければ良かった」とありハゲシク共感してしまった。
http://frieheit.com/home/2016/02/08/america80/

アメリカで80歳以上の老人を対象としたアンケートで「人生で最も後悔していること」は何ですか?の問いに対し、7割が「チャレンジしなかったこと」だと答えたと。うん、うん、そうだね。

勝手気ままに生きてきたように見えるらしいワタシだが、カミサンやムスメからは、KY、普通は危険予知なのだがここでは「空気を読めない」ヒトと、言われ続けてきた。ジブンではそれなりに、世間にも諂(へつら)い、言いたいことの半分も言えず、我慢の人生を歩んできたつもりなのである。最も気にしていたのが他人の目であり、それがワタシの行動のブレーキになっていたのではないかと。ブレーキがなかったら多分、犯罪者にでもなっていたのではなかろうか。ワタシの欲望には限りがなく、だいたいは反社会的であったような気がする。20の項目のほとんどに共感し、そうだ、その通りだと手をたたきたくなる。

あと、13-4年で、このアンケートの歳になるが、あと13-4年経っても、そうだそうだと共感しつつ、自分を少しも変えられずにいる自分を想像してしまう。